シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年10月07日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、自我と同時にアストラル体でも経験できる知覚法は、特に古代の秘儀の場において、超感覚(霊)的世界の探求という目的のために高度に進化した。それが退廃した形だが、中世とその後の時代全体を通じて、更に進化した。

 その知覚法は、近代では、実質的に消滅しているが、通常の夢の中で、覚醒時の意識的な状態にとどまる方法については、太古の秘儀の教師たちから、精神的な方法、もしくは伝統を通して教えを受けてきた人々が、疎らに存在していた。

 そのような秘儀参入者は、いつの時代でも、精神世界に参入できたが、その試みは危険に満ちたものだった。イマジネーション(霊視力)的な認識をもつ秘儀参入者が、通常の夢の世界に浸るとき、直ちに物質世界とのつながりを失うと同時に、意識を失い、無の中に沈み込むような感じを持つ。

 まるで堅固だった地面が、足下で崩れ落ちるかのように、もはや重力に引きつけられていないかのように感じる。内(精神)的な解放の感情、宇宙の海の中に吹き飛ばされたかのような、もはや堅く地面に結びつけられていないために、自分に対するコントロールを容易に失ってしまうかのような感じを経験する。 

 著書「いかにして高次の世界を認識するか」の中で述べた精神(霊)的訓練の目的は、この危険を回避する方法である。正しい方法で、瞑想に取り組む者なら誰でも、魂の「翼」を発達させることができ、重力を克服して、翼を広げることができるということがわかる。

 秘儀参入者が足下の物質的、エーテル的な大地を失うにも関わらず、アストラル体と自我の「翼」を発達させていない場合には、危険な状況が生じる。イメージ的に表現しているが、人智学徒には、この意味がわかるだろう。

 危険は十分に現実的で、精神(霊)的訓練の結果、参入する世界のために、怠りなく準備するなら、あらゆる危険を排除できる。肉体とエーテル体を通して物質世界に与るのと同じように、精神世界に徐々に参加できるようになる。 

 精神世界に多少とも参加できる状態とは、遥か太古の人間の(意識)状態なのだが、今日では、この状態を精神的訓練の実行により達成しなければならない。

 太古の人間の意識状態は、現代人の覚醒意識とは対照的に、以前、記述したようなカルディア人たちの間で見られた精神(霊)的な視覚(霊視力)、すなわち、現代人の通常の夢の意識とは異なる、イマジネーション(霊視力)的な知覚状態に自然に(生まれつき)恵まれている、というようなものだった。



 太古の人々の、肉体のオーラを知覚するという才能に加えて、別の能力(この2つの能力はお互いに関連している)、肉体に受肉していない精神的存在のオーラを知覚可能にする能力を併せもっていた。従って、精神的存在の姿を、いわゆる「夢見た」。

 ここで、太古の人間の知覚と現代人の知覚の違いに注意すべきである。つまり、太古の時代では、現代の肉体に相当するものを知覚するときには、その周囲のオーラを、現実的な夢の中でイマジネーション(霊視力)的に知覚した。

 太古人が精神的存在の、いわゆる天使や元素霊に遭遇するとき、はじめから、そのオーラについての精神的な知覚をもち、その存在の姿を「夢見た」。 

 最初期の画家たちは、上記のような霊眼を用いて描いたが、現代人は、その事実に気づいていない。

 古代の画家たちは、精神的存在を見て、その存在に相応する形態(姿)を「夢見た」。天使(アンゲロイ)のヒエラルキア(位階)に属する存在は、ほとんど人間に似た姿で、大天使(アルヒアンゲロイ)については、身体は明確ではないが、明確な翼と頭をもつ姿として、権天使(アルカイ)は翼の生えた頭だけをもつ姿として描かれた。

 (天使は、肉体をもたずに、エーテル体、アストラル体、自我、霊我の存在で、大天使は、肉体、エーテル体をもたずに、アストラル体、自我、霊我、生命霊の存在で、生命霊が翼に相当する。

 権天使は、自我が最下位で、霊我、生命霊、霊人間の存在で、自我が頭に相当し、頭だけしかない。また、自我しかないので、眼だけの存在として表されることもある。

 叡智の眼とは、権天使の存在を表すシンボルでもある。霊我「マナス」、生命霊「ブッディ」、霊人間「アートマ」は人間が進化して手に入れるべき、三種の神器で、これを三角形で示すなら、三角形に眼を記したシンボルは、権天使、つまり時間を司る神を意味する。

 エジプトのピラミッドは、トート神、つまり時間を司る神を信仰して、神殿としてつくられているが、恐らく、権天使の預言を受け取った秘儀参入の場なのだろう。)

 古代の画家たちが、上記のように描写したのは、その姿を「夢見た」からである。太古の人々にとっては、上記のような洞察力は、現代人が今日、他者の姿を、自然な姿として見るのと同じように自然だった。徐々に失ってきた、超感覚(霊)的な能力を、人間は精神的訓練により再び獲得すべきである。

 しかし、太古人にとって、超感覚(霊)的な能力は自然で、精神的訓練により再び獲得するのは比較的容易だったことから、そのような課題が何年にもわたって精力的に探求されてきた。






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Last updated  2010年10月15日 13時35分50秒
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