シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年02月09日
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カテゴリ: 神秘体験空間


 世界問題(1921年8月28日当時)


 11月に開かれるワシントン会議の結果に世界中の関心が集まっている。西洋列強のこの会合の議題として、軍縮と太平洋問題が挙げられているが、真剣に考えているのは後者だけであり、前者は一種の道徳的な装飾品と思わなければならない。

 事実、北米、英国、日本という、今日(1921年)の世界史が依存する3大強国の視線は、太平洋に集まっている。太平洋問題の何に関心が向けられているかを調べてみると、その関心の中心になっているのが経済問題であることが分かる。

 経済上の利益に見合った軍縮を行うか、その利益に応じた軍縮を行うか、しか考えられないでいる。各国の国益に応じて、経済問題も対処していかざるを得ず、他の問題は経済活動の光の下でしか扱われざるを得ない。

 しかし、欧米の思考方式は、欧米各々の歴史に沿ってもたらされたまま変わらない限り、アジアでは、この上ない抵抗を受けることになるだろう。

 ロンドンの英連邦会議での南アフリカ連邦首相スマッツの発言は、多くの人々にとって大変重要なものだった。彼は、「未来の政治はもはや大西洋や北海ではなく、今後の半世紀間は太平洋に眼を向けなければならなくなるであろう」、と語った。

 しかし、太平洋の経済問題が重要視され、この方向で為される西洋人の行動は、アジア人の意志と衝突するにちがいない。ほぼ50年前から始まった世界経済は内的に益々発展していき、様々なアジアの民族をも活動圏内にひき入れることになるだろう。

 けれども、民族に現存する相互理解に対する様々な条件に、更に別の条件が加わらなければ、決して良い結果をもたらさないだろう。

 アジアの様々な民族の信頼を得ることができず、共に経済活動を行うことはできないだろう。純粋に経済上の地盤だけでは、或る程度までの信頼しか得ることはできない。



 以上のように考えると、今日の世界問題は最大の到達目標をもたざるを得なくなる。西洋人は数世紀の間、アジア人の不信感を呼び起こすような考え方や感じ方を行ってきた。

 これから、アジア人が、西洋の科学とその技術成果をどれ程知るようになろうとも、アジア人の心をひきつけず、反発させるだけであろう。同じアジア人仲間である日本人の中に西洋文明への傾斜を見るとき、日本人を真のアジア精神の背教者と見做すだろう。

 アジア人は、内的な魂の生活の豊かさに比べて、西洋文化を低次のものと見做している。物質的進歩の点で立ち遅れていることに注意を向けない。ただ魂の努力だけを見る。そして、この努力の点では東洋人の方が西洋人よりも優位に立っていると思っている。

 西洋人のキリスト教に対する態度も、東洋人の宗教体験の深さにまで達しているとは見ていない。この点で今、東洋人の知るキリスト教は、東洋人にとっては宗教的唯物論でしかない。そして、キリスト教体験の真の深さは今、東洋人の眼の前には現れていない。

 西洋の様々な民族が、魂のなかのこの対立を、世界政治の見方の中に取り入れなければ、解決不可能な問題の前に立たされてしまうだろう。この対立を考えることを感傷的だと思い、実際家には関係のないことだと思う限り、人々は世界政治を混沌の中へ追い込んでしまうだろう。

 これまでは夢想家のイデオロギーにすぎないと思ってきた事柄の中に、実践力を認めることを学ばなければならない。

 西洋は、この発想の転換ができる筈である。これまで、西洋の本質の外側だけが発達してきた。東洋人が理解せず、決して理解しようとしないことを、西洋人は達成した。しかし、西洋人が達成した、この外側は、これまで、その本質を現さなかった(魂の)内力から生じたものである。

 この内力を発展できなければならない。西洋人が、自らの魂の内力を発達させた時には、物質生活上の進化だけでなく、精神生活の上で東洋人にとっても世界的な価値を示すような成果をあげられるだろう。

 以上のような主張に対して、次のように応じることもできる。

 「野蛮なアジアに比べれば、西洋には内面化した深い心情があり、高次の文化がある。」

 上記の発言は確かに正しいが、そんな表面上のことではなく、西洋人が深い魂の本質を発達させることができる、ということが大切なのである。



 しかし、東洋人は、この魂をもって公的な社会生活を営んでいる。ここで述べている対立は、倫理上、善か悪か、ということとは無関係である。同様に美しいか醜いか、芸術的か非芸術的かということとも関係はない。

 この対立とは、東洋人が外なる感覚世界の中でも、内的な感性や精神を共体験しているのに対して、西洋人が世界と向き合うときには、魂を内部にしまい込んだままにしている、ということにある。

 (西洋人は裸になるのを畏れるということか?)

 東洋人は感覚を働かせ生きるときにも精神を発揮する。しばしば悪しき精神をも発揮するが、精神であることには変わりない。西洋人は内面生活ではいかにも精神と密接に結びついているとしても、感覚生活は、この精神を逸脱して、機械的に考え出され、秩序づけられた世界に向かって努力していく。

 従って、この傾向を続ける限り、西洋人は東洋人のために、精神的な思考や感性を身につけようとはしないだろう。



 しかし西洋の物質文明は、西洋の中だけにとどまり続けることに満足できないところまで達した。その内部で、西洋の人々は自身の人間性が内的に空虚になり、荒廃していく、と感じさせられている。

 西洋人の魂は存在全体の内面化を達成するために、精神的な生活態度を求めて努力しなければならない。でなければ、進歩の現段階に立つ自分を本当に理解しているとは言えない。

 この努力は西洋が現代という時代により要求されている事柄なのである。それが時間的に、世界政治上必要となった東洋への眼差しと一致しているにすぎない。

 魂の生活を改革する意志がなければ、これ以上の人類の進歩は不可能だということに西洋人が気づかない限り、時代の大きな課題について救いがたい幻想に陥り続けるだけだろう。

 東洋人が魂の偉大さと呼ぶ存在の前に、西洋人が立たされるとき、魂が羞恥心に震えないでいられるだろうか?

 西洋人が物質上の成果の補足物として、古代東方の精神性や魂の遺産を受けとろうとするのは、錯覚でしかない。西洋人が自分の科学、技術、経済能力を真に人間に相応しいものにできる精神内容は、西洋人自身が自分の中で発展できる能力から来なければならない。

 多くの人が「光は東方より来る」と語った。しかし外の方からやって来る光を、内なる光が受けとらなければ、光の知覚にならない。

 魂のない世界政治は魂のあるものにならなければならない。確かに、魂の発達は人間の内密なる要件である。内面化された魂の生活から生じる人間の行為は外なる世界秩序の一端でもある。

 アジア人がヨーロッパ人から学ぶ商業主義は、東洋においては退けられる。精神内容を開示する魂こそが、信頼を送り込むことができる。

 (シュタイナーが、差別主義者とよく誤解される発言がみられる内容といえる。単純にいえば、西洋の科学はあまりに進み過ぎてしまったので、それを制御する西洋的な道徳観念が必要であることを、説いているにすぎない。

 西洋から生じた西洋の問題は、西洋で解決すべきである、という提言に思える。あえてアジアや東洋を持ち出したのは、アジアや東洋を巻き込んで、責任転嫁をしようとしている欧米の上層部の態度を戒めるためといえる。

 シュタイナーのこの願いは西洋の上層には届かずに、結局、2度の世界大戦を起こし、現在でも、西洋と、アジアは、相変わらず対立したままである。現段階では、シュタイナーの悲痛な叫びとなっている。いま欧米は悪魔の掌中にあるように思える。)





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Last updated  2011年02月12日 13時08分07秒
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