シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年02月25日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間


 事故死(不慮の死)について


  一体、不慮の死は何を意味するのか?

 列車に轢き殺されるような外から暴力的に死へと追いやられる場合と、天寿を全うして死を迎える場合との大きな相違は、誰にでも容易に推測できる。

 勿論、事故(不慮の)死は個々の場合で異なるが、ある観点を見つけることもできる。

 「横死」とは一体何なのか?

 この問いに答えるには、地上生活からではなく、死の門を通過した霊魂が立つ彼岸から、死を見る必要がある。

 今まで何度も述べてきたが、死者の(彼岸の)側から見ると、死とは、肉体を失った死者に、(死後も)生命が存続していることを教える最重要な出来事なのである。

 死に直面したとき、人間は、死後にも自我という意識が存在することをはっきりと悟る。地上の生活では、幼児期にまで遡ることができる記憶が、自我という意識を与えてくれるが、死後から新たな誕生(転生)へと至るまでの間では、死に直面することが、人間に自我という意識を与えてくれる。

 (この世での死は、あの世での誕生である。)



 彼岸から見ると、横死は、最大の影響をもつ経験であり、最大の知覚となる。奇妙に思えるが、この問題を探求していくと、次の事実が理解できる。

 死後の霊界と地上の現界とでは、魂の体験に及ぼす「時間」の働きに大きな相違がある。とはいえ、地上での時間的な体験の中でも、死後における程の大きさではないが、死後の時間的な体験を想起させる場合がある。

 例えば、1日のうちのほんの数時間内の短い経験が、数ヶ月、もしくは数年に及ぶ長い経験よりも、遙かに重要な意味をもつ場合がある。この世の、非常に短い時間内に体験した出来事が、人生に特別大きな影響を与えることもある。

 そのような経験を、「忘れられない出来事だ!」と表現する。この単純な表現の背後には、上記に述べたような意味がこめられている。

 さて、人間が、外界、つまり本質的に自分が属さない世界により、非常に短い時間内に、場合によっては一瞬の間に、自分の肉体が奪われたとき、その死の印象は、もし生きていたら、その後の数10年間に地上で経験したかもしれない経験内容よりも、遙かに豊かとなる。

 事故死に遭遇せず、地上で生き続けた全ての人生経験と比較するわけではないが、死後から新しい誕生までの間に必要な自我という意識の力に関していえば、長い年月をかけなくても、一瞬のうちに、その力を得ることができる。

 従って、横(事故)死の問題については、輪廻転生との関係を顧慮しないと、本当に納得できる説明にはならない。

 死後の自我意識と死に直面した時の関係について、以上に述べた事実から、死そのものを知覚することが、死後の自我意識の強さ、集中力にとって非常に重要である、ということを理解すべきである。

 (地上で長く生きられなくても、その分、霊界で長く生きることになる。若くして死を迎えれば、その状態で、霊界に生きることになる。喩えるなら、学校の進級と同じである。

 量ではなく、質の問題で、長く生きることよりも、質の高い、道徳性の高い人生を送るかどうかにかかっている。それ故、古代ギリシア人は、いかによく生きるか、を考えるために哲学が必要だと考えたのである。

 現代は、アンチエージングが流行しているが、いかに長く生きるかの物質的発想でしかない。犯罪をする老人や、利己主義な指導者というのは、いかに長く生きようが人生の落第者に変わりはない。生き恥を曝している自分に気づかないわけで、未浄化霊、浮遊霊と同じである。



 人間は、1つの宇宙なのであり、その宇宙には自分特有の意識や創造力がある。それゆえ、古代ギリシア人は、「汝自身を知れ!」という課題の下に哲学を学んだのである。)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011年02月25日 16時58分33秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: