シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年03月03日
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カテゴリ: 神秘体験空間


 悪の本性(上)


 近世史を一種のシンボル(徴候、顕現)学として捉えることは、通常の歴史的事実を、その背後に潜む真実が顕在化した徴候(シンボル)と考える態度に値する。

 すなわち、歴史に潜む真実を、外的な知覚対象から取り出そうとする態度である。通常の歴史的事実とは、外なる知覚世界の中に認められる事柄だが、それを真実とするのではなく、その背後に存在する真実の開示として見る。

 上記の態度が超感覚的な要素を前提とするのは当然である。歴史的な考察を通して、超感覚的存在の真の性格を語るのは、容易なことではない。

 なぜなら一般に、人間は歴史上に現れる思想や理念を、即に超感覚的存在だと思っているからである。しかし、地上の世界に現れる感覚や悟性や感性の対象が超感覚的な存在なのではない。

 勿論、歴史徴候(シンボル)学への試みに際し、全ての徴候(シンボル)を同価値にみなすことはできない。事件の背後の真実に到達するためには、ある徴候に特別の価値を置き、他の徴候を軽視する、ということもある。

 これまでも、多少なりとも重要な徴候を近世史の中から取り上げてきたが、これからは、その背後に存する超感覚的な存在に眼を向け、若干の性格づけを行う。

 とはいえ、その本質的な特徴については、既に性格づけを行ってきた。なぜなら意識魂の文化の時代に入ったということが、すなわち意識魂の発達が意識できた、ということは、超感覚的な働きの1つの本質だからである。1つ、というより、これが本質である。

 しかし、以前述べたように、意識魂の内的作業を補足すべき、もう一方の極として、霊的な、超感覚的世界からの働きを求める傾向が、人間の中に存在していなければならない。超感覚的世界からの新しい働きかけと遭遇することなしに、人間の意識が進化を遂げていくことは、不可能である。



 現在、生きている意識魂の時代の中で「悪」について語るとき、心を震憾させられずに語ることはできない。悪の問題を語ることは意識魂時代の最も深い秘密に触れることだからである。

 (意識魂時代とは、人智学では、ポスト「後」アトランティス時代の古代ローマ以降を指す。)

 今日の現代人は、いまだ悪の本質を充分に理解しているとはいえないが、近代における全ての、いわゆる秘密結社の中で、悪と死は秘儀の問題として繰り返し語られてきた。

 事実、死と悪とは、現代人の意識の中では、互いに深い関連をもった2つの概念なのである。

 従って、次のような問いを投げかけてみたい。

 「人類の進化にとって、死は何を意味するのか?」

 現代科学にとって、死とは生命の終わりにすぎず、これまでも、その立場から、植物、動物、人間の死が取り上げられてきた。

 しかし、人智学の立場から言えば、宇宙の中に特定の作用や特定の衝動が働いており、特定の作用や衝動なしに、人間が死ぬことはできない。 

 では、人間に死をもたらす宇宙の作用とは、一体全体、死に対する以外にも、別の働きをしているのか?

 なぜ、そのような問いを持ち出すのか、といえば、人間に死をもたらすのは、この力の副作用にすぎないからである。

 例えば、線路の上を列車が走るのは、少しずつ線路や車輪を削り破壊するためである、とは言えない。にも関わらず、列車は少しずつ線路を消耗させていく。列車は線路を消耗せざるをえないが、線路の消耗が列車の走る目的ではない。



 では一体、人間に死をもたらす力の本来の課題とは、何なのか?

 それは、人間に意識魂の能力を完全に与えるという課題である。意識魂の時代と死の体験とは、霊的に深い結びつきをもっている。その際、問題なのは、人間に意識魂の能力を与えることであり、意識魂を与えることではない。

 (意識を与えているのは、生と死の移り変わりがあるからである。3次元空間を、3次元から理解するには外から眺める必要がある。

 つまり、4次元から見る必要があるが、それには、3次元を抜け出ないといけないわけで、その4次元軸が時間にあたるが、静止した状態でないと、認識できないわけで、人間は時間を得るために、逐次死んでいる。



 これと同じで、人生経験を蓄積し、魂に意識として焼き付けるには、死が必要なのであろう。睡眠は死の親戚である。)

 勿論、著書『神秘学概論』で述べたように、死をもたらす宇宙の力は以前から人体に働きかけてきたが、意識魂の時代には、特に、死をもたらす宇宙の力が、人間の魂に働きかけてくる。死の力が魂に働きかけることで、これからの進化の過程の中で、意識魂の能力を完全に開花できるように促す。

 さて、同じような形で、「悪の力」についても語ることができる。悪の力も、人間社会の中で、他人に対して悪しき行為をするように人間に働きかけるのが目的なのではない。そのような働きかけは、副作用にすぎない。

 死の力が宇宙に存在しなければ、人間の意識魂の能力を発達できないように、悪の力が働かなければ、霊我、生命霊、霊人の力を、人間が発達できない。

 霊我、生命霊、霊人という神的存在になるための力(三種の神器)を受けいれるのは、意識魂の働きなのだが、それを可能にするには、意識魂の時代に、死の力を(西暦三千年紀の半ばまでに)完全に自身の魂の本性と結びつけることができなければならない。

 人間は、実際、死の力により、意識魂の能力を自身の魂に結びつけることができる。しかし、同じような方法で、悪の力を、自身の魂の本性と結びつけることは容易にはできない。

 宇宙における悪の力は、次の木星紀に至ったときにはじめて、現在の死の力を受け入れるような方法で、受け入れるようになる。現在は悪の本質の僅かな部分だけが人間に働きかけている。

 悪の力に深く関わっていこうとするなら、この力の外的な結果に眼を向けるのではなく、悪の本性の有り様を探求しなければならない。

 今、この問題に触れるとき、前にも述べたように、心を震撼させることなしに語ることはできない。それには最大限に真剣な態度で臨まなければならない。人間の中の悪の本性と遭遇するなら、社会の中の悪行ではなく、悪への傾向を心の中に見つけなければならない。

 各人の中に現れる、悪の傾向が生み出す結果ではなく、悪への傾向を生むそのものに眼を向けなければならない。そのときはじめて、意識魂の時代に悪への傾向がどんな人間の中に現れるのかを、問うことができる。

 そして、この問いへの答えは、いわゆる「境域の守護霊(霊界の門番)」を通りぬけ、人間の本性を本当に知ることができたときに獲得される。そのとき、意識魂の時代になると、全ての人間の無意識の中に、悪への傾向がある、ということが分かる。

 霊界への境域(門番)を通り抜ける人は、意識魂の時代を生きる全ての人が、無意識の中に、悪への傾向をもっていることを経験させられる。その傾向が、悪しき行為を生じさせるか否かは、全く別の事情による。

 では一体、この悪の傾向を生じさせる力は、何を求めているのか?

 宇宙の中に、この悪の力が存在するのは、人間を犯罪者にするためではない。それは意識魂を通じて霊的な生活を営もうとする傾向を、人間の中に生じさせるためである。

 悪の力は宇宙の中に働いている。人間はそれを受けとり、霊的な生活を体験し得る力の種を、自分の心の中に植える。意識魂の次元で、霊的生活への突破口を切り開く。

 もし、悪への傾向を、人間が受けとらなかったなら、これからの文化を実らせる霊性を、宇宙から受けとろうとするような意識魂の衝動すらもつようにはならなかっただろう。





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Last updated  2011年03月04日 11時31分20秒
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