シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年03月31日
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カテゴリ: 神秘体験空間
演劇(後半)

 シェークスピアの時代の演技で、現代の新しい書き割り(舞台背景画)や照明の下に芝居を演じるなら、一般の観客は、既に現代の芝居に馴れ親しんでいるので、例えば、母親に連れられ、初めて芝居見物にきた16歳の少女だったら、シェークスピアのような演技をする役者の最初の科白を聞いただけで、次のような疑問を言うだろう。

 「お母さん、どうしてあんなに叫んでいるの。」

 実際、シェークスピア風の芝居は、叫び声で成立しているかのようである。酷く耳障りな叫び声である。しかし、耳障りな演技は、当時には必要だった。

 今日の舞台ではなく、当時の素朴な舞台設定の中なら、耳障りな叫び声により、完成された演劇が可能となった。

 上記の事実に反し、現代風の書き割りや照明を用いた舞台なら、科白だけでなく、内面的な態度においても、役者は、声のトーンを落とす必要がある。激しい耳障りな言葉の表現は避けるべきである。

 役者は上記のような事柄を直接感じとる必要がある。感じとる中に、役者の芸術的能力、内なる芸術性が現れる。そして、正に、この感受のなかに、役者の秘儀参入法(神秘性)が見つけられる。

 この感覚を血肉化して、何度でも、心の中に甦らせることができなければならない。繰り返しできたとき、瞑想法による秘儀参入を可能にするのと同じ方法で、この能力を次第に育てていくことが可能になる。

 役者も人間なので、別の瞑想法も行うこともできるが、役者の瞑想法は、舞台上でなされるのが望ましい。演劇の上で秘儀参入を果たせば、日常生活上のあらゆる事柄に対しても、益々関心が広く、深くなっていくからである。そして、舞台が優れた役者を育てるからである。



 例えば、ハリネズミのおどけた姿を見て、一般人以上に関心を示せる人でなければ、良い役者とはいえない。

 「あのとき、あの若い役人がどんな笑い方をしたか」を、私はよく覚えている。そのように、心から言える人でなければ、良い役者とはいえない。

 また、化粧を落として、劇場から外に出た後で、色々奇妙な夢を見て、時には魘されるようでなければ、良い役者とはいえない。役者は家へ帰るとき、或いは舞台が退けた後で、例えばレストランなどに行くとき、色々な想念の中から次のような想いが生じなければならない。

 「あの科白を語ったとき、脇の桟敷席で意地悪そうな女が柄つき眼鏡で、品定めするように、ジロジロ見ていたが、今思い出しても胸糞が悪くなる。」

 「あの一番深刻な場面で、最上階の後方に座っていた女の子が、誰かにつねられてクスクス笑いをしていた。癪に障る!」

 舞台上では、以上のことは、何1つ意識しなかったが、家へ帰って、椅子にゆったりと座り、本などを取り上げるとき、開いたページの上に、突然はっきりと、例えば「レミギウス・ノイトイフェル酒店」という字などが現れることがある。

 大抵の人なら、以上のような経験があるだろう。はっきりと現れることはなくても、そのような経験があるだろう。道を歩いているときには何も見えなかったのに、後で、突然「レミギウス・ノイトイフェル酒店」という文字が現れる。

 後になって、それが帰り道に見かけた商店の看板の文字であったことに気がつく。しかし、その通り道を通ったときには、その看板を見たことを意識しなかった。

 もし、霊媒であったら、例えば、シュレンク・ノッチング教授の実験の対象にされたら、特定の皮膚の表面などに、「レミギウス・ノイトイフェル酒店」という文字を現出させただろう。

 以上のような現象は決してまやかしなどではないが、皮膚上に現れるのは霊媒の場合で、普通の人間の場合には、開かれた本のページの上に、微かな幻影として現れる。その文字が無意識の中に存在していたからである。

 心療内科医や心理学者のような専門家でない限り、通常は、上記のような事柄に注意を払うことはないが、芸術においては、上記のような異常な魂の法則をとり上げる必要がある。



 舞台上では気づかなくても、その意地悪そうな女の灰色のような眼や眉根をよせた表情や乱れた髪や眼鏡の柄を掴む強張った指が、はっきりと思い出され、悪夢のように立ち現れる。

 以上のことは、役者が周囲を客観的に見、役を演じている間も、現実の中に生き、通常は注意する必要のない細部の事柄をも、舞台上で体験していたことを示している。

 自分の演じる役に全て意識を集中しているにも関わらず、益々、無意識な領域が、全ての細部を鋭く観察していたことになる。

 このような事実を、「舞台俳優の神秘的な秘密」と、私(シュタイナー)は名づけたが、舞台の幕が下り、劇場から日常生活に再び戻ったときに、今述べた無意識の働きが現れ、歪んだ思い出や、時には素敵な思い出が甦ってくることがある。

 あるとき、素晴らしい体験をした。俳優のカインツが、舞台が終った後、悪夢にとりつかれながら、パーティに加わった。そのパーティで、あるロシアの女流詩人と出会った。この女性が好きになった彼は、それからはいつも彼女と一緒に、部屋に戻っていったり、舞台の後の悪夢を抱きながら、彼女と一緒に芸術家仲間のパーティに加わったりした。



 カインツは、平気で観客を軽蔑するタイプの役者の一人だった。合理主義によっては理解しにくい、このような特質こそ、演劇の本質を理解させてくれる。他の芸術と同様、演劇もまた想像力とイメージと霊視を通してはじめて、本質に迫ることができる。

 演劇学校に、芸術的でない人物を講師として招くことがよくないのは、以上の点からも明らかである。そもそも、いかなる芸術も、主知主義や合理主義を受け入れることはできない。過去に何度も経験してきたことだが、文学史専攻の大学教授を演劇学校のような芸術学校の講師として招くときは最悪の結果になる。

 演劇学校の中で必要な事柄は、芸術的なものによって、真に支えられる必要がある。人生全体で、芸術を生きれる人だけが、芸術について芸術を語ることができる。

 (芸術家は、人生全てが芸術でなければならないということなのだろう。)





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Last updated  2011年03月31日 16時57分50秒コメント(0) | コメントを書く
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