シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年04月27日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 人間は、外界から働きかける総計を、内部で色彩イメージに置き変える。個々のイメージ感覚を、内部では1つの全体感覚に統合する。1つ1つの感覚領域に注目するのではなく、1つ1つのイメージ感覚を加工することにより、内部に生きる1つの統一的知覚で満たすような全体感覚に統合する。

上記の感覚を、「内感覚」と呼べる。

 通常の苦しみや喜び、激情や情動における内的な体験全てを、この「内感覚」が与えるイメージと融合できるので、正真正銘の「内感覚」と呼べる。

 例えば、「内感覚」から、ある感覚を、暗く冷たい激情と呼べ、また別の感覚を、暖かく光に満ちた、明るい激情と呼ぶこともできる。

 つまり、人間の内部は「内感覚」を形成する存在に、感覚作用を返(フィードバック)している。

 従って、外界の個々の領域へと向けた多くの感覚に対して、魂を満たす上記のような1つの「内感覚」について語ることができる。

 この「内感覚」は、個々の感覚器官とは関係なく、人間という存在全体を道具として用いる、という事実を、人智学徒は知っている。

この「内感覚」を、サーンキヤ哲学では、「マナス」と呼ぶ。

 この「内感覚」を実質的に形作る存在が、サーンキヤ哲学では、「アハムカーラ」で、「マナス」は、「アハムカーラ」から展開する後の形態となっている。



 最初に「源流(アートマン)」、2番目に「ブッディ」、3番目に「アハムカーラ」、そして、人間内部に「内感覚」として見つけられる「マナス」である。

 この「内感覚」を観察するなら、個々の感覚を取り上げ、個々の感覚による知覚が、「内感覚」のなかで互いに融合されることで、どのような想定(イメージ感覚)ができるか、を確かめればよい。確かめることができれば、この「内感覚」を明確に理解できる。

 上記のような方法をとるのは、今日では、認識の方向が逆転しているからである。現代の認識の進展を眺めると、個々の感覚の差異から出発し、(外の)共通感覚へと上昇することを目指している。しかし、本質的な進化は逆になる。

 宇宙の生成においては、「アハムカーラ」から「マナス」が展開し、次いで「原物質[Ursubstanzen]」が展開することで、人間の内部に、感覚として備わる個々の感覚の形成力が分化した。ただし、これは物質的な感覚器官(物質体の一部だが)ではなく、生命的な形成力として根底にある超感覚的な力である。

 つまり、進化形態の階梯を降りていくと、サーンキヤ哲学の意味で、「アハムカーラ」から「マナス」へと至り、そして「マナス」が個々の形態に分化し、個々の感覚を構成する「原物質」と呼ばれる超感覚力を生み出す。

 以上のように、個々の感覚を見る場合、魂が、この個々の様々な感覚に参加するので、サーンキヤ哲学が与えてくれる叡智を、人智学の学説の内容に対比することが可能である。サーンキヤ哲学は次のように語る。

「マナスが個々の様々な感覚の基盤となる宇宙力へと分化することで、魂は、個々の形態に参入する。」

 人智学徒が知る通り、魂は、個々の形態とは区別できるが、魂が「マナス」のなかへと参入するように、魂が、個々の形態のなかへ参入することで、魂は、個々の形態の感覚力を通じて作用し、感覚力に組み込まれ織り合わされる。

 感覚力と融合することで、魂は、霊-魂的な本質から、外界との結び付きを得て、外界を好むことができるようになり、外界から、喜びや共感を獲得できるようになる。

 例えば、眼の視覚構成力は、「マナス」から分化した。過去の段階、いわゆる人間の物質体が今日のような形態を獲得していなかった頃(サーンキヤ哲学では、以下のようにイメージする)、魂は、眼の視覚構成力のなかに沈潜していた(眠っていた)。

 今日の人間の眼は、確かに土星紀の段階において、既に、その素地を獲得していたが、当時の熱の感覚器官が退化し、今日の松果腺のなかに萎縮した後、ようやく発達した。



 サーンキヤ哲学は更に語る。

 魂が、以上の分化原理のなかに生きることで、魂は外界の存在に愛着をもち、外界の存在に対する渇きを生み出す。

 感覚力を通じて、魂は外界と関わりを持つ。外界への愛着や外界への欲求が生まれる。魂はいわば、感覚器官を通じて、触覚を送り出し、外界と力的に関わりを持つ。様々な力の総体や、力の現象的な総体として捉えられた力的な関係を、人間は、アストラル体のなかで統合する。

 サーンキヤ哲学は、「マナス」から分化した個々の感覚力の各々の段階における共同作用について語っている。

 この感覚力(原物質)から、更にまた精妙な(霊的な)基本要素(微細身)が生じる。人間のエーテル体は、この基本要素から作られていると人智学徒は考えている。この基本要素は、比較的、後になってからの産物で、人間のなかのエーテル体のなかに見つかる。



霊的な展開(進化)に従って、「源流」、「ブッディ」、「アハムカーラ」、「マナス」、「感覚力(原物質)」、精妙な「基本要素(微細身)」が形成されてきた。

 外界、自然界にも、上記の精妙な基本要素(微細身)は、エーテル体、もしくは生命体として存在している。例えば植物である。

 サーンキヤ哲学の意味で、宇宙全体の進化の根底において、植物のなかでは、上から下へと、「源流」から下降してくる展開(進化)があるようにイメージできる。

 植物の場合、全てが超感覚的存在のなかで起こり、そこから植物のエーテル、ないしは生命体のなかに生きる精妙な基本要素(微細身)へと濃密化してはじめて、物質界における現象(リアル)となるが、他方、人間の場合、現在の進化においては、高次の形態や原理が、「マナス」から既に物質的に顕現している。

 (植物では、エーテル体から物質化しているが、人間は、マナスから既に物質化しているわけで、人間の方が、物質界に深く参入しているといえる。)

 人間は、個々の感覚器官が外的に顕現しているが、植物では、後に発生した感覚実質が精妙な基本要素(微細身)やエーテル的な基本要素へと濃密化してはじめて生じる。更に、エーテル的な基本要素が濃密化して、粗雑な基本要素が生じる。物質界で遭遇する全物質は、この基本要素からできている。

 サーンキヤ哲学の意味で、人間を、下から上への進化に従って、次のように分けることができる

粗雑な「物質体」、精妙な「エーテル体」、「アストラル体」(この表現は、サーンキヤ哲学では使わず、代わりに「感覚構成力体」という表現がされている)、「内感覚」、すなわち「マナス」、「アハムカーラ」、すなわち、人間個人の根底に存在し、個々の感覚領域を知覚する「内感覚」だけでなく、自らを個別の存在として、個を感じる原理。「アハムカーラ」は、この原理を生じさせる。

更に人間のなかに、素質として備えられている高次の原理がくる。すなわち「ブッディ」、東洋哲学では「アートマン」と呼ばれ、慣習化されている霊的な器官で、「アートマン」は、これまで特徴づけてきたように、サーンキヤ哲学では、霊的な「源流」として宇宙的存在と考えられている。

 (「物質体」-「エーテル体」-「アストラル体」-「マナス」-「アハムカーラ」-「ブッディ」-「アートマン」の7つ。人間は現段階で、4つまで、つまりマナスまで獲得している。

 マナスから後は、俗に3種の神器といわれる霊的器官のアハムカーラ、ブッデイ、アートマンで、これからの転生により獲得しなければならない。)

 以上のようにサーンキヤ哲学では、いわば、人間の基本構成体が完全に描出されていることがわかる。





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Last updated  2011年04月27日 16時47分31秒
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