シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年04月23日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 外界においては、人間は、通常の表面的な意識を満たす、あらゆる像(イメージ)の認識を学ぶが、隠れた魂の領域である無意識から脈打って来る気分は、外的な事情によっては決して満たされず、人生の主体的で中心的な主題や根拠を切望する。

 しかし、この主体的で中心的な人生の基盤を獲得するには、人生のなかの特別な出来事を探求するだけでなく、出来事全体に関与する普遍的な叡智を解き明かす哲学を手に入れないといけない。

 (要するに、キリストがいった、「人はパンのみに生きるにあらず」、である。)

 今日、魂の奥深くで生じる気分は、高次の意識への覚醒を求めるが、世界の中に生きる普遍的な叡智と交わるように求める。もし、この接触を行わなければ、何らかの対象への到達不可能な「憧れ」が、魂の奥底から生じてくる。

 上記の意味で、普遍的な叡智を解き明かす哲学は、魂の奥底に生きる「憧れ」への1つの回答でもある。

 世界中で生起している出来事の序章(要因)は、過去の時代にあり、魂の中にある「憧れ」の力を、今日生きる人々が、普遍的な叡智を解き明かす哲学により和らげようとする行為を考慮すると、特に、「憧れ」が脅威となり、消耗させようとするときに、それを和らげようとする力が、覚醒的な意識を超えた隠れた魂の領域(潜在意識)にあることは、別段驚くべきことではない。

 もし、普遍的な叡智を解き明かす哲学が存在せずに、それを手に入れることができなかった過去の時代に、「憧れ」が脅威となっているような人物が生きていたなら、その人物が、「偉大な精神」であるが故に、普遍的な叡智に対する絶え間ない「憧れ」に苛まれ、かえって、人生の意味を把握する可能性から疎外されて来たはずである。

 他方、今日(地球紀)では、像(イメージ)への「憧れ」を和らげ、絶望を沈黙させ、空虚を退治するような「贖い」が魂の中に滴り落ちている。過去(月紀)には、一連の像(イメージ)への行進が止むのを待ち望み、その像(イメージ)が益々大群となって居座るほど、かえって益々、それを待ち望むしかなかった。

 例えば、ハインリッヒ・フォン・クライストという人物が友人に宛て、次のような文章を書き送っているのを見ると、その文章が、「憧れ」に埋没する魂の中に、自らを香油のように注ぎ出す人智学を手に入れることができなかった時代に生きていた人間のものであり、上記の心理がいかに表現されているか、がわかる。

ハインリッヒ・フォン・クライスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88

 「この地球上で幸せになりたいって? そんなことを言う奴がいたら、恥を知れ!とでも言いたい。全てが死で終わる場所で、目的に向かって努力するなんて、いかにも先が読めない、格式ばった人間がすることだ!

 出会い、3度の春を互いに愛し合い、そして、永久に互いから逃げ出す。そもそも愛がないのに、そんな努力にどんな価値があるというのか? 

 ああ、何か愛以上の、幸せ以上の、名声以上の、言語以上の、魂が夢想さえしないようなものはないのか!

 世界の頂点にいるのが悪い精神だなんてあり得ない。人間には、何か不可解なものに過ぎない。人間だって、子供が泣いているとき、笑わないか?

 この無限の広がりについて少し考えてみろ! 無数の時間、各々が1つの生命、各々が、人間のこの世界のように、顕現した存在なのだ!

 ああ、静止した瞬間よ、教えてくれ、これは夢なのか? 夜、仰向けになって見る2枚の菩提樹の葉の間には、その先見性において、人間の思考が捉え、言葉で表現できるよりもずっと豊かな見通しが広がっているではないか。

 よし、何か善い行いをしよう。そして、その行いにより死のう! 人間は既に無数の死のうちの1つを死に、そして、未来にもまた死ななければならない。まるで、1つの部屋から別の部屋に行くようなものだ! ほら見てごらん、僕には世界が大も小もなく一緒くたに箱詰めされているように見える。」

 以上の文章に表現された「憧れ」は、この人物を促し、友人に宛てた、以上の手紙を書かせた。この精神の主クライストは、その「憧れ」に対する充足を、現代の魂が、精力的な理解力をもって人智学にアプローチするような形では、まだ見つけることができなかった。

 この精神の主は、いま(1911年)から1世紀前に、友人のヘンリエッテ・フォーゲルをはじめにピストルで撃ち、次に自身を撃って自殺し、生涯の幕を閉じ、今は、彼の亡骸が葬られた、ヴァンシー河岸にある寂しい墓の下に眠っている。

 クライストが表現した「憧れ」について以上のように読み解けるのは、特筆すべき天啓である。正に「贖い」、カルマの行為というべきだろう。



 いま、この焦点の定まらない「憧れ」を、飾り気のない表現に変え、また、この切なる望みを体現し、悲劇的な行為を注ぎ出した魂を思い出させる出来事を述べることは特筆すべきカルマの解消である。

 この男の精神が人智学徒の前に立つとき、その魂の奥深くに生きる精神の全体性において、人間を地上以外の領域へと連れ戻す精神的存在の生きた体現である、ということに、人智学徒なら、気づくだろう。

 クライストが意義深い表現で、記述している「憧れ」は、自分を超えた領域に横たわる精神的存在の探求を人間に強い、実際に人間が経験でき、もし、彼が自身の生命の糸を未成熟なまま断ち切らなかったら、後に理解できるものである。

 彼は、「個人や人類を導く精神的存在」の最初のページに記述されている存在を発見したのではないだろうか?

 そこで、クライストの作品「ペンテシレイア(ベンテジレーア)」(アマゾーンの女王ペンテシレイアとアキレスの血みどろの戦いに関するギリシャの伝承に基づいて書かれた凄惨な悲劇)について考察する。

ペンテシレイア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B7%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%A2

ペンテジレーア
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=32358
http://kik-i.jugem.jp/?eid=10

 「ペンテシレイア」の中には、ペンテシレイア自身の地上的な意識では推し量れない遙かに多くの表現の記述がある!

 もし、ペンテシレイアの偉大な魂が、地上的な意識をもって包含できるよりも遙かに無限の広がりを持っている、という事実を仮定しなければ、その特殊性において、ペンテシレイアを理解することは全く不可能となる。

 従って、劇中に芸術的な形で、ペンテシレイアの魂の奥底の無意識を引き込む状況が生起する。このようなわけで、クライストがアキレスのために設定するような一連の出来事が、高次の意識から検分される可能性は阻止しなければならない。

 もし、阻止しなければ、その悲劇の重大さを経験できなくなるだろう。ペンテシレイアは、アキレスによって囚われの身となるが、アキレスの方がペンテシレイアの囚人である、と思い込まされる。そのため、「彼女のアキレス」という表現となる。覚醒的意識の中に生きる像(イメージ)は、無意識の中へと投げ入れられる必要が生じる。

 また、ハイルブロンのカティーの中で表現されているような状況では、特に、カティーと、シュトラールのヴェッターとの間の特筆すべき関係は十全たる覚醒意識の中で、人間には気づかれることなく、低次の意識が役割を果たし、魂の奥深いレベルに潜む、その間を行き来する力により遂行される。

 上記の状況を目の当たりにすると、世の中の重力や引力といった通常の力の内部に横たわる精神的な本性を感じ取る。世界の力の内部に横たわる(魔物の)存在を感じ取る。

 例えば、カティーが愛する人の前に立つ場面では、意識下に何が生きているかを、そして、それが、外界の中に生きる惑星の引力として無味乾燥に言及される力と、どのように関係しているのかを見る。1世紀前には、透徹し、苦闘する魂でさえ、意識の深層レベルにまで潜入できなかったが、今日では可能になっている。

 悲劇「ホンブルグの王子」(1810年に書かれたクライストの最後で偉大な作品)も今日では、1世紀前とは異なる形で感銘を与える。人間が達成する全行為を理性に帰属させようとする現代の抽象的な思想家たちに、作中のホンブルグの王子のような人物、すなわち、一種の夢の状態で、偉大な行為や最終的な勝利へと導く行為を成し遂げた人物を、どのように説明するのかを問いたい。

 実際、王子は、覚醒的な意識から勝利を達成したわけでも、高次の意識という意味では特に秀でた人物でもなかった、ということを、クライストは記述している。というのも、王子は後に、死に直面して、メソメソと泣くことを、はっきりと示している。

 王子が力を発揮できたのは、 彼の魂の奥深くに生きていた「憧れ」を途方もない意志の努力によって引っ張り出してきたときだけだった。

 人類にとって、「月」紀の意識から残る遺産は、抽象的な科学では解き明かせない。その遺産は、多くの側面を持つ繊細な概念や、柔軟で緩やかな輪郭を持った精神的な現象を把握できる概念、いわゆる、人智学により獲得されるような概念から導く必要がある。偉大な概念は中庸的で、通常の概念を、自らに結びつける。

 以上のように、今日の魂の中で経験する状態は、宇宙全体に結びついているという事実を人智学が示すことが理解できる。また、魂の中での経験が、事物の精神的基盤に対する概念を形成する、ということも理解できる。

 更に、地球紀に先立つ月紀の時代に「憧れた」が、月紀ではなく、現代の地球紀になってから与えられる「贖い」を達成できるようになった、という事実も理解できるようになる。

 過去の時代の人間たちの心が「憧れた」対象とつながる方法を見つけられず、当時の世界は、「憧れ」を癒す対象を与えることができなかったが、地球紀の現代人には、「憧れ」に対する「贖い」を見つけ、与えることができるという点で、当時の人間に対する一種の賞賛が生じる。

 全ての人生は、全体のなかの1面であるという事実、そして、過去の人類の運命が既に遙か昔に必要としていたような精神的な運動に、今日の人間が人生を捧げることができることを思えば、当時には与えられなかった「贖い」を求める人物たちに対する、ある種の畏敬の念が生じて来る。

 (求めても得られないものを求めるという意味で、月紀の人間は、まるで、ドンキホーテである。)

 従って、人智学を、人類の「憧れ」に対する救済を担うものとして指し示すことができる。クライストという「憧れ」に満ちた人物が、悲劇的な死を遂げてから1世紀経つ今日(1911年)は、荒廃しながら、悲惨に満ちた人間たちが長い間探求してきた叡智を、人智学が与えることができる、という事実を知るのに適した日である。

 ドイツの偉大な詩人が亡くなって百年経った記念日だからこそ、彼の「憧れ」に対する「贖い」として、以上のような人智学的な思想を胸に抱くことができる。





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Last updated  2011年04月26日 16時57分58秒
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