シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年06月09日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 では、犠牲を拒むケルビムを生じさせる要因とは何か?

 いま究めて困難な課題へと近づいた。長い瞑想過程を経た後ではじめて、これから考察すべき概念を把握できるようになるだろう。 これから提示する概念は、長い瞑想後にはじめて、その概念下に横たわる真相を発見するための鍵となる。

 これまで述べてきた「諦め」とは、「土星」上で生じたことを人智学徒は知っているが、同じく「土星」紀に生じた「時間」の創造と結びつけられる。「土星」上で「時間霊」アルカイとともに最初に「時間」が生じたことや、「土星」以前には、「時間」は存在しないので、時間を語ることには意味がない、ということを述べた。

 さて、「太陽」紀の中でも、「土星」上の出来事の繰り返しが生じるが、とはいえ、「土星」紀の「時間」創造から、時間は継続し、「継続」、「存続」という概念が、本質的な「時間」のなかに包含されている。

 アカシャ年代記の中で、「太陽」や「土星」について語られる内容のなかに、「時間は継続的である」という表現を検証するなら、時間は「土星」紀に創造され、「太陽」上にも存在している事実が霊視できる。

 さて、もし、「土星」と「太陽」に関する全ての条件が、これまでの「土星」と「太陽」の講義の中で特徴づけたような形で続いていたら、「時間」は進化の過程の中で生じた不可分な構成要素のうちの1つとなっていただろう。進化のなかの全事象から、「時間」の要素だけを取り除くことができなかっただろう。

 これまで見てきたのは、「時間霊」アルカイが「土星」上で創造され、「時間」が、宇宙の全事象の中に埋め込まれた、という事実である。従って、「土星」以後の進化に関するイメージや想像全ては、「時間」の中で捉える必要がある。

 もし、宇宙で生じた出来事が、これまで提示してきた「犠牲」を捧げるトローネや「徳」を与えるキュリオテテスから構成されているなら、全ては「時間」を前提としなければならない。「時間」に左右されない存在は何もなかっただろう。

 全ての生成や全ての消滅、つまり、時間に関係する全存在は、時間に左右されることになった。



 従って、「犠牲」の拒絶全体の中に横たわるものとは、「時間」という条件を超えて成長するケルビムの能力なのである。「犠牲」を拒絶したケルビムは「時間」を超えて前進し、もはや「時間」に左右されない。

 以上のように、「太陽」進化の様々な条件は2つに分割され、第1の条件は「犠牲」や「徳」として「土星」から直接継続する「時間」に左右され、第2の条件は、「時間」から外れ、「犠牲」を拒絶したケルビムの指導下で、自らを「時間」から引き離すことで、生成と消滅の過程を被ることのない永遠、すなわち永久が誕生する。

 この現象は特筆すべきことである。すなわち、「太陽」の進化の中で「時間」と永遠が分離した地点へと到達できる。「太陽」紀のケルビムによる「断念、諦め」により、その進化期の間に生じた条件の結果として、永遠が生じた。

 例えば、人間が「拒絶」と「諦め」を引き受け、自身の魂の中に参入すれば、ある種の効果が魂の中に生じるのが霊視できるのと同じように、ある種の神的、精神(霊)的な存在たちが「犠牲」と「徳」の遺産を拒絶したことで、永遠と不死が「太陽」上で生じるのを霊視できる。

 「土星」上で時間が誕生した霊的現象を霊視したように、魂のなかの、ある種の状況を通じて、「太陽」進化の局面から、時間が引き剥がされるのが霊視できる。以下の事実には注意を要するが、永遠は「土星」紀に既に準備され、永遠が始まったのは、実際には「太陽」紀ではない。

 しかし、永遠の誕生という霊的現象を、概念の形で表現できるほど明確に霊視できるのは、「太陽」紀である。人間の語る概念と言葉は、「土星」紀にも存在していたという事実を十分に特徴づけできるほど正確ではないので、時間からの分離により誕生した永遠を「土星」上ではほとんど知覚不可能である。

 「太陽」紀の霊視から、人智学徒は、「太陽」紀における神々による「拒絶、諦め」と、不死の達成という両方の意味を知るようになった。

 では、永遠の誕生による更なる結果とは何か?

 著書「神秘学概論」を読めば(とはいえ、その中の記述には、ある意味で、幻想のヴェールがかかっているが)、「月」紀が「太陽」紀に続き、「太陽」紀の終わりには、全存在の条件が一種の黄昏である宇宙的なカオスの中に沈められ、再び「月」として現れる、という事実が理解できる。

 「犠牲」の出現を、再び「熱」として現在、見ることができるが、「太陽」上で、「熱」となった「犠牲」も、「月」上では外(物質)的な「熱」として現れる。「太陽」では、「徳」であった霊的現象は、大気、もしくは空気として、「月」上に再び出現する。

 「諦め」や、「犠牲」の拒絶もまた継続する。「諦め」と呼んだ「太陽」上の霊的現象は、「月」上で生じる全ての現象の中にも存在する。



 「太陽」上での「犠牲」は、外的なマーヤ(幻)の中では、「熱」として現れ、「太陽」上での「与える徳」は「大気」、あるいは「空気」として現れ、「諦め」は、「液体」あるいは「水」として現れる。

 「水」は、外的、つまりマーヤ(幻)であり、もし、「拒絶」と「諦め」という精神(霊)的な基盤をもたなかったら、「水」は存在していなかった。この世界の中で、「水」の存在の背後には必ず、神的な「諦め、拒絶」がある!

 (日本には、「お互い水に流す」という、諦めを意味する格言があるのは興味深い。お互い、過去の経緯を水に流すことで、永遠の関係を形作るわけでもある。)

 「熱」が幻想で、背後には「犠牲」が存在するのと同じように、「大気」、もしくは「空気」も幻想で、背後には「徳」が存在し、物質としての「水」は外的には、単なる物質的な幻想で、真の存在は、ある存在たち(ケルビム)が別の存在たち(トローネ)から受け取ることができた「犠牲」の「拒絶」の反映なのである。

 水は、霊的現象下に「諦め」が横たわるときに、この世界の中を流れることができる。





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Last updated  2011年06月09日 16時53分12秒
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