シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年07月21日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 パウロは次のように言う(コリント12章1-30)。

 「兄弟たち、霊界について、是非知っておいてほしい。あなた方が異教徒だった頃、誘われるままに、真実を語れない偶像の下に連れて行かれたことを覚えているだろう。

 あなた方に、はっきりと言っておく。神霊により語る人は、誰も『イエスが神から見捨てられた』とは言わないし、また聖霊によらなければ、誰も『イエスが主である』とはいえない。

 さて、異言(霊言)の天分には様々なものがあるが、異言を与えるのは同じ霊である。仕事は様々だが、与えるのは同じ主である。働きも様々だが、全ての働きのなかの力は、同じ神からくる。

 1人1人に働く霊の告知は、全体の益となるためである。ある人には、霊によって、叡智を語る力が与えられ、別の人には、同じ霊によって、知識が与えられる。

 また、ある人には、同じ霊により信仰が、ある人には、同じ霊により、病気を癒す能力が与えられる。ある人には、奇跡を行う能力が、ある人には預言の能力が、ある人には霊を見分ける能力が、ある人には異言の能力が、ある人には異言を解釈する能力が同じ霊により与えられる。

 これらは、全て唯一の霊の働きであって、霊が望むままに、1人1人に分け与えてくれる。

 なぜなら、1つの身体でも、多くの器官から成り、これら多くの器官が全て一緒になって1つの身体を形作るが、キリストの場合も、この身体と同様だからである。

 ユダヤ人であれ、ギリシア人であれ、奴隷であれ、自由民であれ、人間は皆、人類という1つの全体のために、霊により洗礼を施され、人間は皆、1つの霊を分け与えられている。



 例えば、全身が眼だけだったら、聴覚はどこにあるのか?

 全身が聴覚だけなら、嗅覚はどこにあるのか?

 そこで神は、神が良いとするままに、各器官を、人間の身体に、1つ1つ特別に配置し働きを与えた。もし、1つの器官しかなかったら、身体はどうなるのか?

 多くの器官があって、1つの身体となる。眼が手に、「お前はいらない」、ということは許されない。頭が足に、「お前はいらない」、ということも許されない。むしろ、身体のなかでは、一見して、貧弱な器官が不可欠で、あまり注意を払わない器官が特に重要なことが明らかになる。

 神は、人間の身体を組み立て、人間には取るに足らないと思える器官に意味を与えた。身体が分裂せずに、調和的に共同して働き、互いに気づかうためである。そのため、1つの器官が損なわれれば、全体が共に損なわれ、ある器官が健康であれば、全体が共に歓呼の声をあげるのである。」

 続けて、パウロは、コリント人たちに向かって次のように言う。

 「あなた方は、キリストの身体をもち、あなた方皆が、キリストの身体の器官を形作る。そして、神は、各々の教区に、ある人々を、使徒として置き、また他の人々を、預言者として置いた。

 第3の人々を、教師として、第4の人々を、奇蹟による癒し手として、第5の人々を、助力をする者として、第6の人々を、教区の統制をもたらすために、第7の人々を、異言(霊言)のために置いた。

 例えば、神は、全ての人々を、使徒とされるのか?

 神は、皆を、預言者とされるのか?

 神によって皆が教師、皆が癒し手、皆が異言を語らされるのか?



 否、様々な恩寵の賜物(天分)が共同して働くのが正しく、それが多ければ多いほど、一層、神は良いとされる。」

 それから更にパウロは、1人1人の個人のなかにあり、また教区全体においても働き、ちょうど身体の力が、身体の各器官を集め結びつけるように、教区のなかの個々の成員を集め結びつける力について語る。

 パウロが、キリストという身体の様々な器官として存在する人類に向かって語った以上に美しい教義を、クリシュナといえども、1人の人間アルジュナには語ってはいない。更にパウロは、身体が、個々の器官を統一しているように、様々な個性を統一するキリストの力について語る。

 1人1人の個人のなかに、どの個性も生命力のように生きることができるが、同時に、全教区全体のなかで、再現し、生きる力を、パウロは力強い言葉で特徴づける。

 「私は、あなた方に、他のどの道よりも高次の道(精神性の向上、進化)を示したい。



 私が預言でき、あらゆる秘密を明らかにし、あらゆる宇宙の認識を伝えることができても、また、私が完全な信仰を身につけ、山をも動かせたとしても、愛が欠けていたら、無に等しい。

 また、私が霊の賜物(霊能力の天分)全てを分け与え、自身の身体を捧げ、全霊で燃やし尽くそうとも、愛が欠けていたら、全ては無駄となる。

 愛は常に存在し、愛は寛容であり、愛は妬みを知らず、愛は驕らず、愛は自惚れを知らず、愛は礼儀を知るものを損なわず、愛は利益を求めず、愛は唆されず、愛は誰も恨まず、不正を喜ばず、真実だけを喜ぶ。

 愛は全てを包み、全ての信仰に流れ込み、全てを望み、全てを耐え忍ぶ。

 愛があれば、愛は決して滅びない。預言は、成就すれば消滅し、霊(異言)から語っても、人間の心に訴えかけることができなければ、霊(異言)は止み、知識も尽きれば、廃れる。

 というのは、人間の認識は不完全で、預言も不完全だからである。

 完全なものが現れたら、不完全なものは消え去る。

 私が子供であったときは、子供のように話し、子供のように考え、子供のように感じた。私が、大人になると、子供の世界は消え去った。

 今、人間は、鏡のなかに、ぼんやり映る輪郭しか見ることができないが、いつの日か、顔と顔とを向き合わせるように、(自分のなかの)霊を直に観るだろう。今のところ、人間の認識は不完全だが、いつの日か、自身が、どのような存在であるか、完全に知るだろう。

 さて、自身(人間界)のなかに、いつまでも残るものは、信仰、希望、愛である。そのなかで、一番優れているものは愛であり、愛は上位(神々の世界)に置かれる。

 なぜなら、いずれ、あなた方皆に、霊の賜物(霊能力)が、もたらされるにせよ、預言(霊能)者も、愛を一番に求めなくてはならないからである。

 というのも、異言(霊言)は、人間の言葉ではなく、神の言葉だからである。預言は、霊(神々)の秘密(愛)なので、(愛を一番に求めないと)人間の言葉として、聴き取ることができないからである。」

 (人間の本性は、宇宙の愛からなり、愛を灯すことで、自らの愛をみることができる。「汝自身を知れ!」とは、「愛に目覚めろ!」という意味にある。フィロソフィ「哲学」という本来の意味は、知を愛するのではなく、「愛を知れ!」という意味に思えます。)

 以上のように、パウロは、異言(霊言)の本性を述べている。パウロは、異言(霊言)を語る者は霊界に連れ去られ、神々の下で語る、と述べている。

 「預言を語る者は、人間の世界を、教化するために、戒めるために、慰めるために、語るが、異言は、ある意味、個人を愛で満たし、預言は、教区民たちを教化する。

  あなた方皆が、各自で、異言を語るよりも、愛を一番とし、預言する方が遙かに重要である。教区民の理解のために、異言を語る者が、語られる異言を、(愛をもって)自分で認識できなければ、異言を語るよりも、預言する方が優れている。

 兄弟たちよ、私が異言を語る者として、あなた方の前に来ても、私の異言が、預言や教えや啓示として、どのような意味をもつかを、あなた方に言わなければ、私は、あなた方にとって何の役にも立たない!

 声音が、愛によって秩序づけられ、明瞭に聞こえなければ、私の異言は、笛やツィターの騒音と同じである。ツィターや笛が、愛を奏でる音を出さなければ、ツィターや笛の演奏に、愛を感じることはできない。また、喇叭(らっぱ)が、無秩序で不明瞭な音を出すなら、闘いの支度をする気にもなるだろう。

ツィター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%BF%E3%83%BC 

 あなた方も、愛により秩序づけられた明瞭な言葉を、異言に結びつけることができなければ、これと同じで、全ては、単なる雑音として宙に向かって語られることになる。」

 以上のパウロの発言は、様々な霊の賜物(天性の能力)が、各教区の成員たちに分け与えられ、各教区の成員は、個性を発揮して共同して働かなければならないことを示している。同時に、パウロの教示が登場する人類進化の時点においては、根本的に、クリシュナの教示と区別しなければならない。





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Last updated  2011年07月22日 16時58分43秒
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