シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年07月26日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 パウロは、秘儀参入者として知っていた叡智全てを、彼の生きていた時代には人類に伝えることはできなかった。しかし、パウロの書簡を、自らの魂に作用させたなら、パウロ書簡が外聞されている知識よりも多くを、魂の奥底で語っていた事実が洞察できる。

 つまり、パウロは、各々の教区に対して話すために、各々の教区の知性を考慮しなければならなかった。そのため、パウロ書簡のなかには、明らかな矛盾のように見える記述もある。しかし、深部へ参入できたなら、実際、パウロのなか全てに、キリストの本質、すなわち、キリスト衝動(意志)が発見できる。

 では、ここで、人智学徒が、ゴルゴタの秘跡の成立(生命を得ること)を、どのように叙述したかを思い出してみる。時代の経過に沿って、事実、2人のイエス少年がいたために、マタイ福音書と、ルカ福音書から、2つの異なったキリスト=イエスの若き日の物語(4)があることを、人智学徒は知っている。

4)2つの異なったキリスト=イエスの若き日の物語:シュタイナー『個人と人類を導く霊の働き』(1911 GA15 第3講);『ルカ福音書』(Basel 1909 GA114);『マタイ福音書』(Bern1910 GA123);『イエスからキリストへ』(Karlsruhe 1911 GA131)参照。

 パウロ書簡の意味に沿って、外的に言えば、「肉、すなわち物質(遺伝)的な血筋によるなら、イエス少年は、2人とも、ダビデの家系に由来し、1人はナータン系、もう1人はソロモン系の出で、2人とも、ほぼ同時期に生まれた」ということになる。

 マタイ福音書のイエス少年のなかに、ツァラトゥストラ(ゾロアスター)が再受肉している事実を、人智学は発見し、そして、ルカ福音書が叙述する、もう1人のイエス少年には、特にゾロアスターのように高度に進化した自我が、当初、受肉しなかった事実を強調した。

 ルカ福音書のイエス少年のなかには、本質的に、地上の人間進化には入っていかなかった自我が生きている。

 この点において、正しいイメージに至るのは少々困難である。とはいえ、いわばアダムのなかに受肉した魂、つまり著書「神秘学概論」(5)の意味で、アダムと呼ばれる存在に受肉した魂が、聖書において楽園における堕罪として象徴的に叙述されているルシファーの誘惑に屈する様子を思い描いてみる。

5)シュタイナー『神秘学概論』(1910 GA13)の「宇宙進化と人間」の章(259頁)参照。

 上記のイメージに加え、アダムの身体に受肉した魂の傍らに、当時受肉せず、物質体に入り込まず、魂のままの霊的な人間を思い描いてみる。

 人類進化のなかに、物質的な人間が発生する前の、後に、2つに分かれる1つの魂があることを想像すればよい。共通の魂のうちの一部が、後裔となってアダムのなかに肉化することで、この魂が、受肉へと入っていき、ルシファーに屈服する。



 この魂とは、秘儀参入者だけが交流できる。従って、この魂は、ゴルゴタの秘跡以前の進化において、自らのなかに、自我の体験をもたず、なぜなら、自我は、人体のなかへ入る受肉を通じてはじめて体験できるからである。

 故に、この魂は、受肉せず、ルシファーの影響を受けなかったので、土星紀、太陽紀、月紀を通じて獲得できた全叡智をもっている。この魂は、人間の魂に可能である大凡全ての愛をもっている。この魂はいわば人類が、人類進化の受肉の経過において、自らのなかにもたらし得る罪全てに対して無垢でもある。

 この魂は、つまり、外に、人として出会うことはできず、太古の霊視者(見者)たちにだけ知覚できた魂なのである。この魂は、霊視者たちにより知覚された。この魂とは、いわば秘儀のなかで交流できた。

 以上のように、人類進化のなかに、というより上に、当初は、霊としてのみ知覚できた魂、すなわち、1人の前人、いわゆる超人を有している。

 (この超人が、アダム・カドモンで、人間として受肉した一方のアダムの魂を、エヴァと呼んだのだろう。すると、聖書の蛇の勧誘により、エヴァが知恵の実を食べた出来事の意味がわかる。)

 この超人の魂が、ルカ福音書のイエス少年のなかに、通常の自我の代わりに受肉した魂である。バーゼル講義(『ルカ福音書』〔GA114〕)を憶えていれば、そのとき、既に述べたが、この魂は、自我に似た魂であり、イエスの肉体のなかに入り込むときには、1つの自我のように働きかけるのは勿論だが、この魂が示す全ては、やはり他の通常の自我とは異なる。

 バーゼル講義で、既に、ルカ福音書のイエスが生まれてすぐに、母にも理解できる言葉で話せた、という事実を強調した。ルカのイエスの場合、似たような事実が他にもあった。また更に、ゾロアスターの自我が内に生きていたマタイのイエスが、12歳まで成長したことを、人智学徒は知っている。

 ルカのイエスも成長したが、こちらはとりたてて人間的な認識や学問を持たず、神の叡智と供犠の力を自らのうちに担っていた。ルカのイエスは成長しても、外的にも、人間的な学習能力を特に示さなかった。

 ゾロアスターの自我は、マタイのイエスの肉体を去り、ルカのイエスが12歳のときに、ルカのイエスの肉体を所有した。この瞬間は、ルカ福音書の12歳のイエス少年について、「両親が彼を見失ったとき、彼は神殿の賢者たちの前で教えていた」、という記述により暗示される。

 更に、人智学徒が知ることは、このルカのイエス少年が、12歳を過ぎてから、自らのうちにゾロアスターの自我を担って30歳までに達した時点で、今度は、ゾロアスターの自我が、ルカ-イエスの肉体を去り、魂の「覆い」の性質全てを、降臨したキリストが所有するという事実である。

 キリストは、高次ヒエラルキアの超人なので、ルカ-イエスの肉体は、誕生から12歳まで、前人的な叡智や神の愛の力に浸透され、次に12歳から30歳まで、ゾロアスターの自我により、多くの受肉や秘儀参入を通じて獲得された叡智全てに流入され、浸透され、キリストのために準備され、ようやく、人間の肉体に受肉できる。



 このキリスト存在に関して近代の聖なる秘儀から得られた叙述のなかに、多くの人たちが発見した事実は、キリスト存在がゾロアスターの自我を内に宿さずに、通常の人体に受肉したなら家族のように親しく、人間の身近にいるように様々に思い描かれ多くの人が敬うキリスト=イエスとは別の、いわば親密にもみえず、人間らしくもない存在になっていただろう、ということだった。

 キリスト=イエスが、あらゆる宇宙の領域からの様々な作用から創造された、と人智学の教説から述べることで、人智学は非難された。このような人智学への非難は、単なる人間の認識の怠惰や、感受性と高次の感情へと上昇しようとしない怠惰に由来する。

 最も偉大な存在の最大、最高を、幾らかなりとも、自らの魂に近づけるために不可欠な、内的な感情や感受性の強度を獲得すべく、魂を大いに刻苦勉励して把握しなければならない。このように最初の感情は、キリストの自我を、以上のような人智学の光(叡智)のなかで観察するときにだけ高められる。





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Last updated  2011年07月27日 16時52分00秒
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