シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年07月27日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 更に、人智学徒は、もう1つの真実を知っている。

 「高次の世界において神の力は開示され、人々が、善き意志を高めるもとに平和が広がる」(『ルカ』2章14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」)という福音書の言葉の正しい解釈を知っている。

 この平和と愛の報せは、ルカのイエス少年が誕生する際、ルカのイエス少年のアストラル体のなかに、仏陀が、すなわち当時既に、ゴータマ・ブッダとして、最後の受肉を完遂させ、完全な霊性にまで上昇した存在が介入することで、鳴り響く。

 ルカのイエス少年のアストラル体のなかに、地上におけるゴルゴタの秘跡の出現まで進化していた仏陀が自らを開示することにより、平和と愛の報せが鳴り響く。

 以上のように、神秘学の基礎から人類に与えることのできるキリスト=イエスの本質を、眼の前に据えた。

 パウロは、秘儀参入者にも関わらず、当時の人間にとっても、できるだけ理解しやすい概念で語らなくてはならなかった。パウロは、今日よく知られた概念が理解できるような人類を前提とすることができなかった。

 パウロのインスピレーション(霊聴力)の完成は、実際、恩寵(神の高次の力)により引き起こされた秘儀参入を通じて呼び起こされた。パウロは古代の秘儀における正しい行を通じて到達したのではなく、復活したキリストが、ダマスカス(シリア)への途上で、パウロに恩寵を与えることによって到達した。それ故に、この秘儀参入を、恩寵(キリスト)により起こされた秘儀参入と呼びたい。

ダマスカス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%B9



 「ゴルゴタの秘跡において復活した存在(キリスト)は、ゴルゴタの秘蹟以来、地球の領域に結びついて生きている。」

 パウロは復活したキリストを認識(識別)した。

使徒行伝 9章
http://www2.ocn.ne.jp/~seien/study/k-shito9.1-9.htm
http://blog.livedoor.jp/cs_illust/archives/1264290.html

 このダマスカスでの秘儀参入以来、パウロは、この復活したキリストを告げ知らせた。なぜパウロは、キリストを霊聴できたのか?

 この問いに答えるには、少しばかり、ダマスカスでのこの種の霊聴現象に参入する必要がある。というのも、それが全く特別な種類の霊聴現象だったからである。

 秘教学的な事実について、実際に、少しでも学ぼうという気持ちがないと、霊聴現象全てを、単純に混同し、例えば「平和のメッセージ」の著者(6)のように、パウロの霊聴現象を、後の聖人たちに現れた他の超常現象から区別できずに、混同してしまう。

6)「平和のメッセージ」の著者:ヴィルヘルム・ヒュッベ・シュライデン Dr. Wilhelm Huebbe-Schleiden 1846-1916 シュタイナー『わが生涯』(1923-25 GA28 32章)及び連続講義『人智学協会との関係と人智学運動の歴史や条件』(Dornach 1923 GA258 第6講)、シュタイナー『書簡集 第2巻』(Dornach 1953)参照。小冊子の題は "Die Botschaft des Friedens" 1912年6月19日ハノーファー(ハノーバー)で神智学協会のために行われた講演。Leibzig 1912

人智学協会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E5%8D%94%E4%BC%9A

 この著者は秘教学的事実について決して学ぼうとはしない人たちの1人である。



 なぜパウロは、このような方法で、キリストを知覚できたのか?

 ダマスカスの前で、パウロに現れたキリストを、なぜパウロは、復活したキリストである、という確信が持てたのか?

 この問いは、また別の問いへと誘導する。キリストの本質全体が、ヨルダン河でのヨハネの洗礼の際に、ナザレのイエスの肉体のなかに降臨し、完全に入り込んでいくことができるためには、何が不可欠だったのか? という問いである。

 (人智学では、ヨハネの洗礼により、イエスの肉体に、キリストは降臨し、受肉したとされる。)

 さて、先ほど、次のように問うた。キリストの本質が降臨する肉体を準備するためには何が不可欠だったのか?



 ダマスカスの前で、パウロに現れたキリストの光輝(エーテル体)とは一体何だったのか?

 以上の問いに答えたいなら、以前述べた事実に、幾つかの補足を付け加える必要がある。以前述べた事実とは、2人のイエスのうちの、ルカのナータン系のイエスのなかに入っていったアダムの魂は、いわば姉妹魂だった、というものだった。

 この姉妹魂は魂界にとどまった。この姉妹魂はルカのイエス少年のなかに受肉した魂でもあった。しかし、厳密にいえば、この魂が物質体に受肉したのは、このときが初めてではなく、過去にも一度、既に預言的に受肉したことがあった。

 このとき既に、この魂は聖なる秘儀の使者のように現れた。この魂は、秘儀において交流を持ち、いわば秘儀のなかで育み養われ、人類の進化における重要時に派遣された。

 しかし、この魂は、エーテル体のなかにだけ出現できた存在なので、厳密な意味では、太古の霊視に限り知覚できた。実際、太古の時代には霊視が存在していた。つまり当時、このアダムの姉妹魂は、人々に見られるために、物質(肉)体にまで降る必要がなかった。

 とはいえ、この魂は、秘儀のなかの神々の衝動(意志)により派遣され、地球進化において重要事項が為されるべき時には常に、地球の人類進化の内部に繰り返し、実際に出現した。けれども、この魂は太古には(物質体に)受肉する必要はなかった。太古には、霊視が存在したからである。

 この魂は、以前述べたポストアトランティス時代の、第3文化期(エジプト-カルディア)から第4文化期(ギリシア-ラテン)へと移行する際に、この霊視が消滅し、遙か将来に克服(獲得)すべき能力になったときはじめて受肉する必要性が生じた。

 このとき、いわば太古の顕現の補足としての受肉、もはや霊視がなくなった時代に対応するための受肉を引き受けた。このアダムの姉妹魂は、クリシュナのなかに、いわばただ一度だけエーテル体として受肉し、今度は、物質的にも、眼に見えるようになるために、姿を現さなければならなかった。

 クリシュナの次に、この魂は、今度はルカのイエス少年のなかに受肉した。以上の事実から、次のような問いが理解できる。

 クリシュナがなぜ、超人のように語るのか?

 なぜクリシュナは、人間の自我にとって最良の師であるのか?

 なぜクリシュナは、自我の克服を示すのか?

 なぜクリシュナは、崇高な魂として現れるのか?

 という問いに対する答えを理解できる。なぜなら、以前の講義のなかでも述べたが、クリシュナは、人間の肉体に対する受肉まで下降しない魂として現れたからである。

(クリシュナの時代、つまり、大体、紀元前4千年辺りでは、特定の霊能者だけに、エーテル体のクリシュナがみえた。やがて、時代を経るに従って、一部の秘儀参入者を残して、人類は、異族婚のために、霊能力を失っていった。

 古代ギリシアの哲学者たちは、秘儀参入者の末裔である。ソクラテスがなぜ、神々との対話を重視したのか、プラトンがなぜ、イデアを説いたのか、アリストテレスが、なぜ、アレクサンダーを東へと導いたのか、全ては、秘儀参入の叡智の継承にある。

 すなわち、ギーターに残るクリシュナの言葉を伝えるためである。やがて、人類が、全て霊的に盲目となったときに、クリシュナは、キリストとして、イエスの肉体に降臨し、新しい言葉を人類に伝える。

 そして、人間として、神は死に、物質体に死をもたらし、エーテル体として、かつてのクリシュナのように復活する。つまり、クリシュナのときに人類の集合的な魂と、キリストのときの個別的な人類の魂への進化のとの間に、集団から個別へと、堕落した人間の自我に、調停をもたらしたわけである。

 神々と悪魔の天界の集団的な闘争から、個々の人間の地上での個人的な利己主義との闘いに引き継がれたのである。神々と悪魔のハルマゲドンの闘いは、人類1人1人の人生の苦悩との戦いに転じていき、勝利を治めた者には、エーテル体で復活したキリストが霊視できるようになる。人間1人1人の人生後に行われる審判が、最後の審判である。)





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Last updated  2011年07月28日 16時47分20秒
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