シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年08月04日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 人間の周囲の世界では、外(物質)的な科学が支配的なため、何らかの知識を持ち出すとき、常に次のように語るのを聞く。

 「正しい思考を働かせ、正しく判断すれば、知識(真実)へと到達する。」

 最近(1911年12月27日)、私(シュタイナー)は、正しく論理的な判断を行えば間違いなく真実(知識)に至るという上記の仮定には、いかに大きな誤りがあるかを示すために、非常に簡単な例を紹介した。

 論理の正確さが、必然的に真実に導くわけではないことを示すために、その話を、もう一度したい。

 ある村に、少年がいた。彼の両親は、いつも彼にパンを買ってこさせていた。彼は必ず10クロイツ持って行って、代わりに6個のパンを持って帰ってきていた。そのパン1個を買うと、2クロイツになるが、彼は必ず10クロイツで6個のパンを買って帰ってきた。

 その少年は算数が得意でなく、自分がいつも10クロイツ持って行き、パン1個2クロイツなのに、10クロイツで6個のパンを家に持って帰ることが、どうしてできるのか、わざわざ解明しようとは思わなかった。ある日、1人の少年が別の地方から里子として、その家に連れてこられた。

 その少年たちは、大体同年齢だったが、里子の少年の方は、計算ができた。里子は、彼の義兄弟が10クロイツ持ってパン屋に行く様子を見ていた。そして里子は、パン1個が2クロイツであることを知っていたので、里子は、計算のできない少年に言った。

 「君が持ち帰るパンは、5個のはずだ!」 

 里子は計算が達者で、実際、里子の論理は完全に正しかった。パン1個は2クロイツするから、10クロイツでは、パンは5個のはずである、と里子は論理的に考えた。ところが、1つ多い6個を、計算のできない少年は持って来た。



 ところが、次の日もまた、計算のできない少年は、6個のパンを持って帰ってきた。もうおわかりだろう、その地方では、パンを5個買うと1個おまけに付けるという風習があった。従って、5個分のお金で6個のパンを受け取ることになる。パンを必要とした家庭には、その風習は大変結構だった。

 里子は、正しく筋道をたてて考え、里子の考えに間違いはなかった。しかし、この正しい思考は現実とは一致しなかった。この例のように、正しい思考が必ずしも真実に至るとは限らない。何故なら、真実自らが、正しい思考に合わせることなどないからである。

 この例から、意識的に熟考した論理的思考をもってすれば正しい結論には到達できるが、その結論を、現実に照らしあわせた場合には、完全な偽りとなることを、はっきりと理解できる。このような例は、常に起こる。

 結局、純粋な思考を通して得られた証明というのは、決して現実を測る物差しにはならない。

 例えば、外界に関して原因と結果を、無理に結びつけようとして、とんでもない間違いを侵してしまう可能性もある。1つ例を挙げてみる。

 川の土手を誰かが歩いている。その人が、ある地点にくると、土手の淵を越え、川の中へ落ちるのを、あなたが遠くの方から目撃する。あなたは、その人を助けようとして、そこへと急ぐが、その人が川から引き上げられたときには、既に死んでいた。

 さて、あなたの前には死体がある。あなたは、その人は溺れて死んだと、当然、目撃者の立場から言うだろう。あなたは、自らの発言を立証しようと、有り触れた方法で証明しようとするかもしれない。例えば、「恐らく、その人が川の中に落ちた場所に石ころがあった」とでも言うだろう。

 確かに、石ころに躓いて川の中に落ち、溺れたという言い分は、至極、自然の考えである。その人が川の土手に行ったときに、石に躓き、川の中に落ち、溺れて死に、引き上げられる。その人は溺死以外の別の可能性は考えられないと思い込む。

 さて、このような例でも、溺死とは限らない。あなたが、石に躓き川の中に落ちて溺れ死んだ、というような原因と結果のつながりにとらわれなければ、実は、その人が川に落ちたときには、既に心臓発作に襲われた結果、たまたま川の淵を歩いていたので落ちた、という真相を見つけることができる。

 落ちたときには既に死んでいた、というのが真相である。心臓発作後に、その人の身に起きたことが、たとえ生死を左右する出来事でなくても、死という同様の結果となる。このように、一連の出来事から、問題の人間が滑って川の中に落ちて溺れたというような結論が全くの間違いで、現実に一致しない、ということがわかる。

 何故なら、死んでから落ちたのであって、落ちた後に死んで、引き上げられたわけではないからである。このような、捻じ曲げられた結論が、今日の科学文献の様々な箇所に見つかる。ただ、それらには気づかない。第3者が態々調査しなければ気づかないほどである。



 以上のような失敗は、もっと複雑で微妙な原因と結果の関連において、絶えず頻繁に繰り返されている。以上のような例を述べることで、人間の思考が、実際に、現実に関して何らかの決定を下すには全く無能であることを示唆した。





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Last updated  2011年08月05日 16時49分44秒
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