シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年09月26日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 さて次に、エーテル体とアストラル体の間の関係にうつる。

 エーテル体と、アストラル体の関係についてもまた、正しく適切な浸透がみられず、エーテル体によるアストラル体に対する卓越性が現れている。このアストラル体に対するエーテル体の卓越性は、超感覚(霊)的な認識能力がわずかでもあれば、すぐに容易にわかる。

 もし、アストラル体に対するエーテル体の卓越性がなかったなら、他にもあるが、人間が涙を流すことはなかった。もし、泣いている人、すなわち、眼の腺組織から、奇妙な塩辛い液体を分泌しているのを観察すれば、超感覚的な認識能力が多少ともあれば、エーテル体のアストラル体に対する過度な活動があることにすぐに気づくだろう。

 エーテル体の優越性のため、アストラル的な経験を、十分にエーテル体の活動の中に刻印できない。アストラル体に対するエーテル体の卓越性が、エーテル体をして、逆に(下位の)肉体の方に働きかけ、涙を流させる、という事実のなかに表現できる。

 (天使たちは泣かないようである。)

 人間のなかの全ての腺組織からの分泌過程についても同じことが言える。腺組織の分泌は全て、エーテル体のアストラル体に対する卓越性に依存している。そのバランスの乱れの影響が、肉体にまで及ぶとき、様々な腺組織からの分泌現象として表現されるに至る。

 もし、不規則性がなく、アストラル体がエーテル体に合致していたら、腺組織が働くときにも分泌は起こらず、アストラル体の活動は、腺組織の内的な運動や活動の中に充分に組み入れられていた。腺組織は何も分泌せずに、アストラル体の機能全体は、エーテル体の中で果たされ、いかなる物質の分泌も生じなかった。

 以上のように、ルシファーの影響の凄まじさが、秘教的な観察から明らかになる。もし、ルシファーが世界秩序に介入しなければ、人間は、例えば汗をかくことなどできなかった。発汗に伴って生じる活動の代わりに、対応する器官の内部で、アストラル体の活動を、そのまま消耗し尽くす活動と運動が生じ、腺組織からは、全く何も排出されなかっただろう。

 以上、第2点として、アストラル体に対するエーテル体の卓越性を書きとめる。



 何故なら、人間の普遍的な感性は、このエーテル体のアストラル体に対する卓越性から生じるからである。この卓越性が、主観的な表現となる。

 (人間は泣くことで悲しくなるともいえる。汗をかくことで、感情が高まる。)

 さて、第1、第2の次の卓越性について言及するにあたり、次の第3も、これまでのような順番で、図式的に考えるなら、容易に次のような卓越性を想定するだろう。

 肉体のエーテル体に対する卓越性と、次に、エーテル体のアストラル体に対する卓越性について説明したから、今度はアストラル体の自我に対する卓越性の番である。

 以上のように、純粋に容易に、知識的な基盤の上から、その図を完成させようとするだろうが、そのような方法では、正しい結論には至らない。第1、第2、第3と順番通りに辿ることはできない。実際、秘教的な真実に関する情報を受け取り、自らの知性により図式的に引き出した結論は、事実とは常に全く異なる、ということが、次のような内容からわかるだろう。

 知的な方法で、神の思考を辿っても何にもならない。ある段階まではたまたま正しくても、長続きしない。

 さて、実際は、第3の不整合として、これまでとは逆の卓越性、つまり、アストラル体のエーテル体に対する卓越性を取りあげる必要がある。そして、この卓越性は、今までの3つの中で最重要である。

 というのも、完全な唯物論的な観点から、人間を考察するとき、多くの唯物論的な著書の中で描かれているように、人間を、他でもない大いなる消化装置として、食べ、消化し、吸収することで身体を構築する一種の機械として、その卓越性から、思い描けるからである。

 実際、唯物論的な観点から書かれた書のなかには、上記のように記述された人間が見つけられるが、せいぜい、食物を摂取し、処理し、筋肉や骨、腱等に分配する大いなる消化装置程度の認識である。

 人間のなかの感覚世界の知覚という第1の不規則的事実を介して、また人間の身体に対する全般的な感性のなかで、様々な腺組織からの分泌過程の経験という第2の不規則的な事実を介して、人間の真の本性全てから目を逸らし、人間を単なる栄養摂取の観点からだけ考察し、口から入った物質が血液中に吸収されるまでに起こる過程を調べあげるなら、アストラル体のエーテル体に対する卓越性の究極の物理的な表現である物質的な過程に遭遇する。

 物質現象世界を、精神(霊)的な観点から考察するときには常に、あらゆる感覚的な現象の背後に精神(霊)的な事実を見るべきである。感覚が受け取れるのは、せいぜい外観だけである。



 不思議な結論へと至ったが、しっかりとこの点に注目すべきである。明確にすべきことは、唯物論がしばしば人間と見なすもの、ほとんどの人々にとって、人生の主要な関心事であり、心配事であるもの、つまり栄養摂取と、身体の様々な器官への栄養供給は、アストラル体のエーテル体に対する卓越性が、ルシファーの影響によって、人間のなかにもたらされたに過ぎない、という事実にある。

 もし、ルシファーがいなければ、もし、ルシファーが、人類進化の初期に、アストラル体とエーテル体の関係を変化させなかったら、人間は、今日行うように、食べることも、消化することも、食物に働きかけることもなかったはずである。

 唯物論の立場から見て、人間に関する主要事項は、ルシファーの活動の所産なのである。何故なら、ルシファーの活動により、人間のなかの、アストラル体とエーテル体の間にズレが生じた結果に他ならないからである。

 ルシファーを通じて、アストラル体は、過剰な活動を持ったため、エーテル体に対する卓越性を達成した。この優越性はルシファーの仕業で、この優越性から、粗雑な物質的な栄養の受容者になるという結果がもたらされた。

 というのも、人間は物質的な栄養を受け取るように、神々に定められていたのでなく、栄養摂取を必要としないような一種の存在になるように意図されていたからである。この事実は、ルシファーの誘惑により、人間の「楽園追放」が生じた、という聖書のなかの素晴らしい表現のなかに見つかる。



 というのも、聖書の中で象徴的に語られているように、人間に最も大きな喪失と嘆きを課したとされる、上記の出来事が、つまり、楽園からの追放を通して、物質的な食物摂取を必要にさせた出来事が、ほとんどの人間にとって、人生で最も強烈な楽しみの1つになっている!からである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011年09月26日 19時33分28秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: