シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年10月05日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 あるブログによると、江戸っ子が宵越しの銭を残さなかったのは、火事が多発するためと、銀行のような貯蓄機関がなかったせいであるという理由が述べてあり、火事が多発しても、何度も復興を成し遂げたのは、江戸市民のエネルギーが残っていたからと精神論で締めくくってあったのだが、それでは官僚の書く非現実な優等生の机上の作文と変わりなく思え、どうにも納得がいかない。

 第一、どこから、そのエネルギーがくるのかに言及していないのと、エネルギーがあっても、いかにも、銭がなければ絵に描いた餅だろう。エネルギーだけで復興できるのなら、東日本大震災だって、とうに復興できているはずである。

 そこで、江戸っ子が、なぜ、宵越しの銭を残さないのか、のもっとましな理由を考えてみたい。日本人の貯蓄好きは、もはや世界的に有名である。

 いまのような日本人の貯蓄好きな気質が江戸時代には果たしてなかったのだろうか?

 もし、現代で、江戸っ子のように、宵越しの銭を残さない生き方をしたら、どうなるだろう。高い税金を払える職にでも就かなければ、生活保護者になるしかない。

 つまり、江戸っ子が嘘をついていなければ、逆説的にいって、江戸っ子が宵越しの銭を残すことを心配しなくてもいいほど、貯蓄せずに暮らしていけるほど、社会福祉が充実していたか、もしくは、江戸っ子は、裕福な暮らしを望まなかった、ということになる。

 しかし、そもそも銭を使うことは、裕福な暮らしをしたいからで、江戸には、有名な吉原があった。つまり、江戸時代の庶民の金銭感覚を紐解かないとわからない。

 江戸時代の資料は、明治維新のときに、ほとんどが焼かれたか、焼失してしまい、外国の資料しか残っていないらしく、それらの資料からは、日本の江戸時代ほど恵まれた生活はないと絶賛されていたらしい。

 戦国期に宣教にきたザビエル、フロイスも、当時の日本人を絶賛していることから、現代からみた戦国期ですら、賛美されていたので、ひょっとすると、昔の日本の方が、福祉が充実していた可能性が高い。



 ザビエルの布教のエピソードに面白いものがある。

 「布教は困難をきわめた。初期には通訳を務めたヤジロウのキリスト教知識のなさから、キリスト教の神を『大日』と訳して『大日を信じなさい』と説いたため、仏教の一派と勘違いされ、僧侶に歓待されたこともあった。ザビエルは誤りに気づくと『大日』の語をやめ、『デウス』というラテン語をそのまま用いるようになった。以後、キリシタンの間でキリスト教の神は『デウス』と呼ばれることになる。」

 人智学からいえば、デウスを「大日」と訳すのはあながち間違いとはいえない。デウスとは、英語のデイ、つまり「日」からきていて、実は、太陽のことである。

 大日は、仏教の大日如来の意味だろうから、太陽神であり、キリストのことになる。つまり、間違っていたのはイエズス会であり、宣教師である。日本での布教が成功しないのも当然だろう。

 さて、話を元に戻し、江戸時代の社会福祉を改めて考えてみる。

 江戸っ子の宵越しの銭を残さないという気質が本当のものなら、江戸の暮らしは、ある程度、福祉が充実していたのではないか、と思う。

 しかし、勝海舟などの伝記を読むと、幼少期に非常に貧乏したことが書いてあるから、福祉は充実していても、決して、暮らしが裕福とはいえなかったようである。どうやら、暮らしは貧乏だが、相互扶助がうまく機能していたので、ある程度、銭がなくても暮らしが成り立っていたのだろう。

 つまり、江戸時代の人々は、裕福な生活を望まなかった、という精神性に負うところが大のようである。

 この精神性をつくったのは、どうやら仏教なのではないか?と思う。

 それはこのブログによく訪問していただいている忠武飛龍さまのコメントから推測したものである。仏教が、江戸時代の人々の復興精神を担っていたのではないか?と思う。

 また、復興精神だけでなく、必要なときに、社会福祉への費用を出したのも、仏教の教団だったのではないか?と思う。 



 だから、日本人であるなら、何某かの教団に属さなければいけないわけで、日頃から、寄付をして、何かあったときには、教団から財政支援してもらえる体制が整っていたのではないか?と思うのである。

 それが現代に至り、形骸化して、宗教教団は、非課税になっているのではないか?という推測が生まれる。

 例えば、戦国時代に、信長がキリスト教を支援したのは、他の有力大名の仏教に寄付した財政を揺るがすためなのではないか?とも思える。敵対する浅井、朝倉氏を滅ぼすために、背後の比叡山を焼き討ちしたのは、財政支援を絶つためだったのではないか、と思う。

 それは、大名の長男は家督を継ぐが、次男以下は、他家に出されるか、坊主になるというしきたりにも現れているように思う。つまり、坊主になって、大名、つまり長男が寄付した財政を管理する役目を負うことを意味する。



 だから、この風土を逆手にとって、国家財政を再建するには、宗教団体に社会福祉費を捻出させるか、非課税をやめて、増税するのがよいのではないか、と思う。

 そうすれば、江戸っ子のように、宵越しの銭は残さない生活が送れるのではないか、と思うのである。

 キリストも、金持ちは天国にはいけないといっているわけで、教団が、金をもっていたら、教団全員が地獄行きになるわけである。

 教団に寄付する人も、坊主が贅沢をするために、寄付しているわけではない。社会に役立てて欲しいために、寄付するのである。成仏するということは、自分の寄付した金が、多くの人々を救い、社会のためになるからに他ならない。





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Last updated  2011年10月05日 16時24分12秒
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