シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年10月12日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 では、ルシファーの影響によって何が生じたのか?

 崩壊し分裂する精神(つまり物質)が、いわばイマジネーション(霊視力)の中に噴出した!

 その結果、現在の物質現象世界に立つ人間の骨格システムができた。骨格システムとは、物質により隅々にまで満たされたイマジネーション(霊視力)の人間なのである。人間のなかの物質面は、高次の真の霊的な人間には属さない。

 人間のなかの物質面は、ルシファーの影響を通して、もし、その影響がなければ、単なるイマジネーション(霊視力)であった人間のなかに打ち込まれた。このような発言は全く馬鹿げたものではないので、過去には、簡単に人間のなかを通り抜けることができた霊的な時代があった事実を思い描く必要がある。

 その後、イマジネーション(霊視力)が寄り集まった上に、隅々まで、現在のような骨格をつくる物質で満たされてしまった。今日では、人間を通り抜けることはできずに、骨にぶつかってしまう。しかし、太古では、人間は霊的なので、透明で通過できたが、その後の時代になって、通り抜けられなくなった。

 また、運動霊によって人間の中にもたらされた内面的な力等は、筋肉の物質により隅々まで満たされた。そして、インテュイション(神通力)として知覚される予定だった霊的な力等は、神経の物質で満たされた。

 以上全ての物質(崩壊)力等を超えたときにはじめて、超感覚(霊)的な能力に到達できる。

 例えば、人間のエーテル体はほとんどが超感覚(霊)世界に属する。今日の人間のエーテル体は、ほんの僅かな程度において物質に過ぎない。その物質とは、唯物論では、全く考慮の対象にもならないような種類の物質で、神経を構成する物質よりも、更に繊細な物質を生じさせるエーテルの非常に細かな噴射、もしくは噴霧として現れる。

 (おそらく、気功のことだろう)



 骨のかわりに、”イマジネーション(霊視化)された”超感覚(霊)的な骨格から構成される形態をもち、運動の道具として奉仕する筋肉ではなく、内面的な運動の道具として、超感覚(霊)的な実質をもっていただろう。ところが、現在の人間の運動には、至る所で筋肉が介入する。

 運動霊により、人間に与えられた超感覚(霊)的な運動は、いまでは、筋肉の中の物理的な運動になってしまった。そして、叡知霊により与えられたインテュイション(神通力)は、人間の感覚器官をつくる神経になってしまった。神経は、インテュイション(神通力)の中に、いわば詰め込まれた。

 (「神経」という言葉が、本来の神通力、つまり霊感、直観を彷彿とさせる。)

 従って、解剖学の教科書のなかの、骨格の記述をみれば、次のような結論に至る。

 骨格とは、元々は、純粋なイマジネーション(霊視力)として、神々に意図されていたものが、ルシファーとアーリマンの影響により、あまりにも粗雑化されたため、今日では、折れ、ヒビ割れする凝縮した硬い骨になった。

 本来のイマジネーション(霊視力)は、現在のように硬く、堅固とした骨格となった!

 (硬い骨格となったため、アーリマンの重力の作用を受けるようになった。)

 しかしそれでも、物質現象世界には、いかなるイマジネーション(霊視)の世界の反映も見つけることができない、とはいえない!

 骨格とは本当は何なのか?を知るなら、骨格の中にイマジネーション(霊視)の世界の表現を発見する。

 (骨格は、霊界の象徴である。骸骨が、霊界や冥界のシンボルなのは、骨格の構造のなかに、霊界の意図が読み取れるからである。秘密結社が、骨格や骸骨をシンボルにするのは、霊界を読み解くという目的を意味しているからであろう。)

 従って、人間の筋肉の絵を見るときには、次のような結論に達する。



 そもそも、筋肉とは、「見る」ものではなく、本当は、精神(霊)的に「聞く」べきものである。

 従って、現実には、事態は次のようになっている。

 超感覚(霊)的な過程による音響のような律動的、波動的な本当の運動に全く属さない筋肉が混入した。従って、筋肉を除けば、視覚ではなく、音楽の流れる運動のように、聴覚で聞くべきものである。

 人間のインスピレーション(霊聴力)は、本当は、「聞く」べきものである。そして、人間の筋肉として描くべき本当のものは、物質の中で硬直化したインスピレーション(霊聴力)なのである。

 最後に、人間の神経へと到達した。人間の神経は、見るものでも、聞くものでもなく、本当は、唯一、全くの精神(霊)的な方法で知覚すべきものである。宇宙的な観点から言えば、本当は、純粋な精神性の中で唯一把握すべきものが、視覚という眼に見える形で存在するという事実の中には、完全な歪みが見られる。



「人間は、元々は、精神(霊)界、つまり楽園にいたが、そこでは、イマジネーション(霊視力)、インスピレーション(霊聴力)、及びインテュイション(神通力)から構成されていた。すなわち、人間は完全に超感覚(霊)的な存在だった。」

 (イマジネーション「霊視力」、インスピレーション「霊聴力」、及びインテュイション「神通力」は、秘教学では、三種の神器といわれる。)



 人間は、物質を、自身のなかに(いわば荷物として)担う。そして、物質を担うが故に、人間は、物質的な死を被らなくてはならない。実際、物質的な死その他多くの事象の原因が、人間が物質を担う点にある。」


 (徳川家康が、人生とは、重き荷を背負って歩くものだ、というようなことを述べているが、そのまま、人生とは、物質という重き荷を背負って歩くものといえる。)

 従って、人間は、精神(霊)的な状態から離脱したことで、物質として、つなぎ止めているルシファーたち(人間のエゴ)に対して勝利を収めるまでの間だけ、この物質的な状態のなかで生きざるをえない。何故なら、物質とは、絶えず分解し、粉々に崩壊する性質のものであり、本当は、骨格中の物質が、イマジネーション(霊視)の力により、つなぎ止められているだけにすぎないからである。

 (イマジネーションの力に悪が混入し、物質がつなぎとめられているわけで、イマジネーションの力を純化し、真のものにすれば、そのまま悪である物質的な破壊力が消滅する。悪を背負って、善に転化すること。人体内の免疫現象に帰着できる。)

 骨の破壊(物質)力が、骨の形成(霊)力を上回るようになると骨は生命を担うことができなくなる。

 (重荷を背負いすぎると立てなくなるのと同じ。金持ちになればなるほど、精神が崩壊するわけである。というか、精神が崩壊するので、金持ちになる。

 これは、自分で作り出さずに、金銭を払うことで、本来の能力を開発せずに怠け、怠惰になっているわけで、それが習慣化すると、楽して生活を求めるために、精神が腐敗し、堕落する。

 それ故、キリストは、金持ちは、天国「神界」にはいけない、と述べた。この世に生まれたのは、能力を開発するためで、そのためには苦労がつきものなのである。使わない能力「創造力」は消滅する。)

 筋肉や神経についても同じことがいえる。骨や筋肉や神経の中の物質が、イマジネーション(霊視力)、インスピレーション(霊聴力)、インテュイション(神通力)を圧倒する瞬間に、人間は、物質体を放棄しなければならない。

 (人間が老いるということは、物質的に富みすぎて、創造力や形成力よりも、破壊力が増すことを意味する。要するに、現代風の言葉でいえば、脳が硬直するのである。)

 物質力と、霊力との関係のなかに、物質的な死とルシファーの影響との関連がある。次回からは、これまで述べてきた事実に続いて、悪徳その他(病気等)がどのようにして、この世に存在するようになったのか、を示す。





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Last updated  2011年10月13日 09時08分58秒
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