シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年03月16日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
以下は引用のつづきである。
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ルベンの行く末

創世記 49:3
 ルベンよ。あなたはわが長子。
 わが力、わが力の初めの実。
 すぐれた威厳とすぐれた力のある者。
創世記 49:4
 だが、水のように奔放なので、

 あなたは父の床に上り、
 そのとき、あなたは汚したのだ。
 ――彼は私の寝床に上った。――
 ・・・
 このように、ルベンには不道徳の罪があった。そのため、イスラエルは彼が鳴かず飛ばずの状態に甘んじることを告げている。現在の地上では、少数民族となっているだろう。

シメオンとレビの行く末

創世記 49:5
 シメオンとレビとは兄弟、
 彼らの剣は暴虐の道具。
創世記 49:6
 わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。

 彼らは怒りにまかせて人を殺し、
 ほしいままに牛の足の筋を切ったから。
創世記 49:7
 のろわれよ。彼らの激しい怒りと、
 彼らのはなはだしい憤りとは。

 ・・・
 ヤコブを悩ませたほど、シメオンとレビの傍若無人はひどいものだったようだ。彼らもまた、大きな国民となることはない。イスラエルの各部族の中に、少数派として混じることになるのだろう。つまり彼らは今で言う「武闘派」である。

 しかし本当の武闘派は、ユダ族だ。彼らは「王権」を与えられる。

ユダの行く末

創世記 49:8
 ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、あなたの手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。
創世記 49:9
 ユダは獅子の子。
 わが子よ。あなたは獲物によって成長する。
 雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。
 だれがこれを起こすことができようか。
創世記 49:10
 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。
 ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。
創世記 49:11
 彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、良いぶどうの木につなぐ。
 彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。
創世記 49:12
 その目はぶどう酒によって曇り、その歯は乳によって白い。
 ・・・
 統治者の杖が離れないと言う意味は、彼らが王統に徹するという意味だろう。杖は牧羊を行うための道具で、宗教的な意味合いを持つ。つまり、王は王でも、祭司王のことだ。

 ここで、ユダが「獅子」に例えられているが、これが民族を見る神の目なのかもしれない。逆に言えば、「獣」という表現があれば、それは「民族」を意味しているのかもしれない。

 そのほかの例も見てみよう。

ゼブルンの行く末

創世記 49:13
 ゼブルンは海辺に住み、そこは船の着く岸辺。
 その背中はシドンにまで至る。
 ・・・
 彼らは、漁業に従事するのだろうか? あるいは、海洋民族となって、貿易に精を出すのだろうか? 今のところ、民族までは特定できない。

イッサカル

創世記 49:14
 イッサカルはたくましいろばで、彼は二つの鞍袋の間に伏す。
創世記 49:15
 彼は、休息がいかにも好ましく、その地が、いかにも麗しいのを見た。
 しかし、彼の肩は重荷を負ってたわみ、苦役を強いられる奴隷となった。
・・・
 彼らイッサカルは、あまり楽な境遇にはならないようだ。下積みの労働を引き受ける民族となっているだろうか? それはどこの民族だろうか?

 ただ、ここでも「ロバ」という例えがある。動物・・・つまり「獣」に相当する表現だ。イッサカル民族=ロバ=獣 ということになる。では、それ以外の動物も出現するだろうか?

ダンの行く末

創世記 49:16
 ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。
創世記 49:17
 ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、 馬のかかとをかむ。
 それゆえ、乗る者はうしろに落ちる。
創世記 49:18
 ヤーよ。私はあなたの救いを待ち望む。
・・・
 ここで出現するのは「蛇」であり、それは獣と表現できそうにない。しかしやはり聖書では「蛇も獣」なのだ。創世記には、このように書かれている。

創世記 3:1
 さて、神であるヤーが造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
・・・
 「蛇は野の『獣』」に数えられているのである。

 では、馬の乗り手を後ろに落とすという「マムシ」である「ダン」は、いったいどこの民族だろうか? これもまた不明だが、自分より強力な軍に向かって攻撃を仕掛け、これを悩ませることだけは確かだろう。

ガドの行く末

創世記 49:19
 ガドについては、襲う者が彼を襲うが、彼はかえって彼らのかかとを襲う。
・・・
 「ガド」にも「ダン」のような強い闘志があるが、「マムシの一撃」のような力は見られないのかもしれない。つまり、「撃退するまでには至らない」という意味だろうか?

アシェルの行く末

創世記 49:20
 アシェルには、その食物が豊かになり、彼は王のごちそうを作り出す。
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 食物に不足しない。王に治められる。これは、宮廷料理人のようだが、民族としては熱帯に済む種族となって、小さな王国に暮らすのだろうか? 今は不明。

ナフタリの行く末

創世記 49:21
 ナフタリは放たれた雌鹿で、美しい子鹿を産む。
・・・
 彼らナフタリ族も「獣」で表現されている。「雌鹿」である。その意味は、騎馬民族などの遊牧民なのだろうか?美しい子鹿は、子孫達の繁栄を意味するのだろうか?

ヨセフの行く末

創世記 49:22
 ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。
創世記 49:23
 弓を射る者は彼を激しく攻め、彼を射て、悩ました。
創世記 49:24
 しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。
 これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルの岩なる牧者による。
創世記 49:25
 あなたを助けようとされる
 あなたの父の神により、また、あなたを祝福しようとされる全能者によって。
 その祝福は上よりの天の祝福、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福。
創世記 49:26
 あなたの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘のきわみにまで及ぶ。
 これらがヨセフのかしらの上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭上にあるように。
・・・
 とりわけ祝福を受けているのは、このヨセフだろう。彼の選びは神からのものであり、ヤーエはいつまでもヨセフの子孫を世話してくれるのだ。

 不思議なのは、彼が「獣」ではなく「若枝」で例えられているところである。それはおそらく、「宗教組織」に関連した表現で、「獣を養う側」であるという意味かもしれない。神の教えが彼ら民族の中で保存され、受け継がれて行くのだろうか?

 「乳房と胎の祝福」とは、「多産」「民族増加」を意味するのだろう。すると現在は、相当な人口を抱える大国となっていなければならない。

ベニヤミンの行く末

創世記 49:27
 ベニヤミンはかみ裂く狼。
 朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける。」
創世記 49:28
 これらすべてはイスラエルの部族で、十二であった。これは彼らの父が彼らに語ったことである。彼は彼らを祝福したとき、おのおのにふさわしい祝福を与えたのであった。
・・・
 「ベニヤミン」も狼(獣)とされている。「獲物」、「略奪」、「狼」という表現が、連想させるものはあまり良いイメージではない。それは、盗賊であり侵略者であり、強奪組織となってしまうからだ。あるいは「外交上での駆け引き」が得意な国家だろうか?

 上記聖句全体から、「獣」は一人の祖先を通してでた人々・・・つまり「人種である」と結論できるかもしれない。神の目が、ヤコブを通して民族の祖先を「獣」に例えたとするなら、その子孫である民族全体もまた「獣」ではないだろうか?

 こうして一つの仮定・・・つまり、「獣=民族」という図式が登場することになった。ただし、民族の先祖である一人の人間を「様々な獣」に例えているため、「一人の人間=獣とする」選択肢もまた可能である。

 ではこれからは、この仮定を、いろいろな聖句に当てはめて使うことにしよう。


 「獣」とは何か?-17章


黙示録17章の中の獣

 以下の聖句には、謎の獣の記述がある。この意味を考えてみよう。

黙示録 17:8
 あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。
・・・
 黙示録では「獣」とは何か? という謎がかなりの部分を占める。これが解けると、多くの部分も明るくなる。では色々な聖句を手がかりに考えてみよう。

獣は猛獣ではない?

 ヨエル書には、それが「草食獣」である事を思わせる聖句がある。

ヨエル書 2:21
 地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。
ヤーが大いなることをされたからだ。
ヨエル書 2:22
 野の獣たちよ。恐れるな。
 荒野の牧草はもえ出る。
 木はその実をみのらせ、いちじくの木と、ぶどうの木とは豊かにみのる。
・・・
 ヨエル書2章22節では、「野の獣達よ恐れるな」と記述され、その後で「草が萌え出る」と述べて、彼らに食料が行き渡る事を連想させている。よって彼らは草食獣である。このように、「野の獣」とある場合は、草や木の実を食べる草食獣のようである。しかし、もちろん聖句には「肉食獣」も登場する。ミカ書には、こう書かれている。

ミカ書 5:8
 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。
 通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。

 ただの、「獣」とは違って、「森の獣の中の獅子」と表現され、詳しく説明が伴っている。説明無しに「獣」とあれば草食獣であり、「肉食獣」には、注釈が伴っている場合が多い。

 以下は、ネブカデネザル王が狂気に満ちて獣のように野にさ迷った事件の記述である。4章15節では「草を獣と分けあう」と表現されている。ただ単に、「獣」という表現がされていた場合、「草を食べる獣」だという事だ。ネブカデネザル王はしばらくの間、正気を失って原野を徘徊し、「獣」と共に草を食べていた。

ダニエル書 4:14
 彼は大声で叫んで、こう言った。『その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。
ダニエル書 4:15
 ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、地の草を獣と分け合うようにせよ。
ダニエル書 4:16
 その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、七つの時をその上に過ごさせよ。
・・・
 ここで述べられている「獣の心」とは、「狂気」というよりも、「無心」あるいは「無理解」という意味だろう。

 また「獣=草食獣」という暗黙の了解は、以下のような記述にも見られる。ヘブライ人がいけにえとして神に捧げる「獣」には、肉食獣は決して含まれなかった。





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Last updated  2012年03月21日 11時10分30秒
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