シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年03月23日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
引用のつづき。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
台頭する古代イスラエル

 しかし、ここに来て「異邦人の時」は終わろうとしている。

 今、彼らに対抗する勢力が『荒野』で目を覚ます。

 これは、イザヤ書の中で示唆されている。

 イザヤはなぜか、神の民を二重に配置するような預言を、多数書き残しているのだ。

イザヤ書 64:12
 ヤーエよ。これでも、あなたはじっとこらえ、

イザヤ書 65:1
 わたしに問わなかった者たちに、わたしは尋ねられ、わたしを捜さなかった者たちに、見つけられた。わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、「わたしはここだ、わたしはここだ。」と言った。
イザヤ書 65:2
 わたしは、反逆の民、自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、一日中、わたしの手を差し伸べた。
・・・
 表面上は、「背教したイスラエルを矯正しようと、神が何度も呼びかける」といった内容に思える。「『神の懲罰』が下るまでの温情」を記述したものだ・・・と。

 しかし、不思議な表記方法だ。

 これは明らかに、別の意味を重複させている。

 私「ヤーエ」の名を呼び求めなかった国民に向かって、

 「私はここだ、私はここだ。」
・・・と神(ヤーエ)は呼びかけているという。



 それを神とするようになる。

 この時点で、「別の『神の民』が生じる」という示唆だ。

 彼らは、一体何者だろうか?

 それは、「反逆の民」だという。

 その彼らに対して、神(ヤーエ)は「手を差し伸べる」と語っている。



 神(ヤーエ)の方も「別の国民を起こして」それを「イスラエル」と呼び、

 神(ヤーエ)の民にねたみを引き起こす・・・

 そんな構図だろうか。

イザヤ書 65:3
 この民は、いつもわたしに逆らって、わたしの怒りを引き起こし、園の中でいけにえをささげ、れんがの上で香をたき、
イザヤ書 65:4
 墓地にすわり、見張り小屋に宿り、豚の肉を食べ、汚れた肉の吸い物を器に入れ、
イザヤ書 65:5
 「そこに立っておれ。私に近寄るな。私はあなたより聖なるものになっている。」と言う。
「これらは、わたしの怒りの煙、一日中燃え続ける火である。
・・・
 これには、ほとんどの点で「現代イスラエル」が当てはまっている。

 しかし、「豚の肉や汚れた肉」を食べるところは一致しない。

 彼らは、厳格なユダヤ教のしきたりを守っているだろうから・・・象徴表現か?

 しかし、この部分は後日に回して、その先を考えよう。

イザヤ書 65:6
 見よ。これは、わたしの前に書かれている。
わたしは黙っていない。必ず報復する。わたしは彼らのふところに報復する。――
イザヤ書 65:6
 見よ。これは、わたしの前に書かれている。
わたしは黙っていない。必ず報復する。わたしは彼らのふところに報復する。――
イザヤ書 65:7
 山の上で香をたき、丘の上でわたしをそしったあなたがたの咎と、あなたがたの先祖の咎とをともどもに。
 わたしは、彼らの先のしわざを量って、彼らのふところに、報復する。」とヤーエは仰せられる。
・・・
 「ふところに報復する」という記述が、三回重なっているのも気になるところだ。

 一体、何を意味しているのだろうか?

 「『金融支配』を毀つ」という意味だろうか?

 次の記述も、二つのユダヤに被っているようだ。

イザヤ書 65:8
 主はこう仰せられる。
 「ぶどうのふさの中に甘い汁があるのを見れば、『それをそこなうな。その中に祝福があるから。』と言うように、わたしも、わたしのしもべたちのために、その全部は滅ぼさない。
イザヤ書 65:9
 わたしは、ヤコブから子孫を、ユダからわたしの山々を所有する者を生まれさせよう。
わたしの選んだ者がこれを所有し、わたしのしもべたちがそこに住む。
・・・
 これが、誰に向かうべきか?と迷うのだが、

 「わたしのしもべたち・・・」

 とあるのだから、「『岩』の陰のユダヤ」だろう。

 ただし、「二重性」は、常に念頭に置くべき。

 「ヤコブから子孫を、ユダから・・・」

 と書かれているので、

 「ヤコブ直系の子孫」を意味しており、しかも「ユダ族出身者」だと考えられる。

 彼に、最終的な権利が行くようである。

イザヤ書 65:10
 わたしを求めたわたしの民にとって、シャロンは羊の群れの牧場、アコルの谷は牛の群れの伏す所となる。
イザヤ書 65:11
 しかし、あなたがた、ヤーエを捨てる者、わたしの聖なる山を忘れる者、ガドのために食卓を整える者、メニのために、混ぜ合わせた酒を盛る者たちよ。
イザヤ書 65:12
 わたしはあなた方を剣に渡す。
それであなたがたはみな、虐殺されて倒れる。
わたしが呼んでも答えず、わたしが語りかけても聞かず、わたしの目の前に悪を行ない、わたしの喜ばない事を選んだからだ。」
・・・
 ここで、具体的に「わたしを求めた『わたしの民』」という表現があるのは、生粋のイスラエルを意味しているのだろう。

 つまり、「わたしを求めた『わたしの民』」と、

 「わたしを見つけた『わたしのでない民』」

 とがいるようだ。

 『わたしのでない民』は「ヤーエ」を捨てるため、「難儀」がある。

 「わたしの目の前に悪を行い・・・わたしの喜ばない事を選んだからだ。」

・・・というのである。

 イザヤはここでも、「二つの民」を対比させている。

イザヤ書 65:13
 それゆえ、神であるヤーエはこう仰せられる。
「見よ。わたしのしもべたちは食べる。しかし、あなたがたは飢える。見よ。わたしのしもべたちは飲む。しかし、あなたがたは渇く。
見よ。わたしのしもべたちは喜ぶ。しかし、あなたがたは恥を見る。
イザヤ書 65:14
 見よ。わたしのしもべたちは心の楽しみによって喜び歌う。
しかし、あなたがたは心の痛みによって叫び、たましいの傷によって泣きわめく。

 自ずと「ユダヤ対ユダヤ」の戦いが浮かんでくる。

 イザヤの記述が、そうした暗示を確かに与えているのだ。

イザヤ書 65:15
 あなたがたは自分の名を、わたしの選んだ者たちののろいとして残す。
それで神である主は、あなたがたを殺される。
ご自分のしもべたちを、ほかの名で呼ばれるようにされる。
・・・
 「自分の名」が「のろい」として残される民は、一体誰だろうか?

 それを「主のバールの民とすれば、

 今は、『カザール』が浮かんでくる。

 「岩陰のイスラエル」にとって、「イスラエル」という名はもはや「呪い」である。それは、永遠に「傷を持つ名前」と化しているからだ。

 それゆえに神は、「名を汚した者」を殺し

 「自分の僕達を、『ほかの名』で呼ばれるようにされる」
・・・

 では、『ほかの名』とは、何だろうか?

 ここで、ふと

 『ヤマト』という名が浮上してきた。

 「神の民」は「ヤマト」と改名されるのか?

 :これには、もっともな理由がある。

 「イスラエル」という名前には、「神と戦う者」という意味がある。もしこのまま「大和民族」がこの名を踏襲すれば、これからまた「神から離反する」つまり神と戦う羽目に陥ってしまうだろう。

 それで、彼らには、『ヤマト』、(古代ヘブライ語でいう)天壌無窮という名前の方が願わしいのだ。

 公式に、呼び名変更があるかもしれない。それによって、「『神』と、『その民』との戦い」に終止符が打たれる。

イザヤ書 65:16
 この世にあって祝福される者は、まことの神によって祝福され、この世にあって誓う者は、
まことの神によって誓う。
 先の苦難は忘れられ、わたしの目から隠されるからだ。
・・・
 「まことの神」と、「そうでない神」が存在すればこそ、イザヤはこうした、意味深長な文章を残しているのだろう。

 やがて、真の神による祝福が始まる。

イザヤ書 65:17
 見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。
先の事は思い出されず、心に上ることもない。
イザヤ書 65:18
 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。
見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
イザヤ書 65:19
 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。
そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。

 『新しい天』は、「新しいイスラエルの支配体制」であり、

 『新しい地』は、「その臣民としての新しい民族」だろう。

 他の意味も含むが、ここでは割愛

 これは、黙示録にもある新しい支配体制を意味するが、これは「まことの神の民」を通して実現されるはずだ。

 それ以後イスラエルの中に・・・いや世界中に、「やもめ」や「みなしご」の「泣き声」も「叫び声」も聞かれなくなる。

 なぜならそこは、「新しい民」が、「思いやり」をもって統治するからである。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 以上から、神のニセモノが存在することがわかる。そのニセモノは神を語り、神のコピーをつくる。神でないのに、神の振りをする。すなわち権威を振りかざす。

 日本人は権威に弱い。

 かつてのソ連も、現在の米国も、日本人は権威で脅かせば言う事を聞くことをよく知っている。小泉がブッシュの犬だったように、いまのどじょう総理もオバマの犬である。

 なぜ、日本人は権威に弱いのだろうか?

 「触らぬ神に祟りなし」というように、神の祟りを異様に恐れている。

 農耕民族の習性というような説もあるが、神とは恐ろしいものという遺伝子がまるで刷り込まれているかのようである。

 イスラエルという言葉には、「神と闘い勝つ」いう意味があるが、古代イスラエル民族の末裔であるなら、神を極端に畏れるはずはない。

 この疑問は、上記の引用にある以下の解釈から明らかになる。

 『これは、本物のイスラエル(民族)が、他の神々に仕えて「ヤーエ」を怒らせたので、神「ヤーエ」の方も「別の国民を起こして」それを「イスラエル」と呼び、神「ヤーエ」の民にねたみを引き起こす』

 以上の解釈の、「ねたみ」を「畏れ」とみれば次のことがわかる。

 つまり、神の民が、ニセモノの神を信仰しているために、イスラエル(ヤーエの怒り)を畏れている構図が浮かびあがる。

 だから、日本人がニセモノの神を信じること、つまり偶像崇拝を止めれば、畏れる必要もなくなる。

 とにかく、日本人が、古代イスラエルの信仰を受け継ぐ民族だとするなら、いますぐ偶像崇拝や権威主義を止めるべきに思われる。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年03月27日 10時52分19秒
コメント(0) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: