シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年03月28日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 生(なま)の食物と調理(料理)した食物の消化における違いは、治療方法論上指摘しておきたい事項である。というのも、このような事項の追求は究めて意味深く、いままで研究されてこなかったからである。

 概ね経験的に研究されただけで、なんらかの法則性、いわゆるラツィオ(合理性)は探究されず、従って、この分野において確認できる事項については、満足のいく治療法を打ち立てる可能性が余り見つからない状況である。

 以上の事項全般において、個人に注意を払うことが重要なのは言うまでもない。だから、私(シュタイナー)は、今までの講義のなかで、次のように述べてきた。

 「この分野で何かを語れば即座に、ある関連から否定される。」

 しかし、以上の事項は、治療指針として知っておくべきである。例えば、次のような個別のケースにおいても、重要となる。

 この患者には、生(なま)の食物を与えてはいけない。もし、生の食物を与えれば、この患者の体質から、様々な障害を誘発してしまうだろう。

 (免疫が弱いので、アレルギー疾患を誘発してしまうということだろう。)

 つまり、生と調理の食物の違いは、患者に一々食事の指示が必要な場合にも重要となる。そのような場合でも、これまで述べてきた特徴や事項は重要でかつ正しい。このような特徴や事項からはじめて、人間の体質全般を真に見通すことができる。

 というのも、人間の末端領域と中心領域を明確に区別する必要があるからで、末端領域では、人間は、現実に全宇宙に組み入れられ、中心から離れている鉱物を、生体に組み入れ扱うことができ、先の図で赤く示した領域とを明確に区別しなければならない。



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 つまり、上図から、人間と周囲の自然との親和性が示唆される。人間を、末端と中心の2つに分かれた領域として捉え、2つに分かれた領域の間の中間を、行ったり来たり振り子運動している。

 人間の末端領域と、個別化された中心領域とを、以上のように見通すことで、全自然の内奥の本性まで導いてくれる。つまり末端領域は、地上を超えた天と親和性を持ち、その関係を如実に示すのは、実際に鉱物として様々な惑星や星座に依拠している人間のなかの鉱物の働きである。

 更に中心領域は個別化したものとして、地上の作用に親和性を持っている。しかし、消化器官に表現されている地上との親和性により、人間は、同時に思考でき、それが人間として進化できる人間本性でもある。

 さて、人間における二元性を、地上を超えた宇宙と、地上の本質との二元性として見ることができる。人間の生体組織のなかに、明確な素質として出現するのは、地上を超えた天の力と地の力である。

 そして、人間が天の力である精神(霊)[Geistorganisation]を備え、同時に精神と対極的な関係にある消化機構も持つことで、人間の末端領域や地上を超えた天の作用が、人間に反映するのは、既に示唆したが、実際繰り返し指摘してきたことである。

 消化での分泌と関係し、精神の働きの基盤となる脳の分泌に関係する機能全般は、根本的に、人間の末端領域で、天[himmlisch]の作用を示している。いかに奇妙に、逆説的にみえようと、この事は事実である。

 対照的に、人間のなかの液体的な経過(プロセス)や、気体的な経過(プロセス)や、尿や汗に関係する排泄の経過全般が示すのは、自己を個別化する人間としての地上的人間である。

 以上の、人間の本性のなかの互いに離れようとする両極のなかに重要性を見る必要がある。

 さて、残念ながら、近代においては、これまで指摘してきた人間の本性のなかの二元(両極)性を、治療に役立つように指摘するような切欠は、少なくとも、私(シュタイナー)の知る限りでは、一度もなかった。というのも、これまで考察してきたような事実全ては、治療と病理を1つにまとめるものだからである。

 病理学と治療法は、2つの互いに分離した分野であってはならない。これまで提示してきた事実全てを、いわば治療法へと方向づけるように導ければ、病理学的な理解から、治療法を考えることが可能になる。



 例えば、梅毒の発生を、外界(物質)的に知る場合に問題となるのは、実際、梅毒の症状が出現するには、どのくらい感染する必要があるのか、少なくとも、大体どのくらい感染していなければならないのか、ということを確かめることである。

 単に、確かめるだけなら、このような確認を進めるうちに、病理学を、いわば自立させる[emanzipieren 解放する、自由にする]だけである。なぜなら、大雑把な比喩を用いれば、実際、梅毒の感染さえも、例えば、頭にコブが出来たら、何か石のようなものが当たったかのように、つまり頭に打撃を受けたかのように考える以上のことは考えないからである。

 確かに、頭に打撃を受けなければ、例えば、レンガ等が頭に当たらなかったなら、コブができることがないのはいうまでもないが、このような理由で、感染を特徴づけてしまうと、治療方法(プロセス)を実り多いものにするような特徴付けには至らない。

 結局、例えば、石のようなものが頭に飛んでくることが起こる経緯は、社会的には非常に意味のあることだが、治療法に到達するための生体の探究に対しては、このような経緯が、普遍的な意味を持つとは考えられない。治療学においても役割を果たせるような事柄が発見できるように探究すべきである。

 さて、梅毒の治療においても、これまで述べてきた事実は大きな役割を果たす。治療法(プロセス)は、このような事実から解明できる。これまで述べてきた事実は、病理学的な重要性というよりも、病理学と治療学の両者の間に橋を架けるためのものである。



 しかも、今日では、病理学を益々一層自立させ、治療学へと導かないような傾向が出てくるので、思考の方も、同様の形で追求すれば、治療法(プロセス)の探究にとっては、究めて意味深い実りの多い事柄を排除してしまう。





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Last updated  2012年03月28日 10時14分32秒
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