シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年09月05日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/674.html
 上記のサイトからの抜粋要約を続ける。

 『ジャーディン・マセソン商会の前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。

 設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。

 (昨今、尖閣諸島や竹島などの国境での騒動の火付け役は、上海のメーソンに思われる。連中にしてみれば、北朝鮮、韓国、台湾の領域は、中東のパレスチナ問題と同じなのである。分断して統治し、騒動を起こして、略奪する悪魔の手法を適応しているにすぎない。連中の手の内は、二度の戦争から明らかであろう。「悪銭身につかず」という諺を知らないのだろうか?)

 清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9票という僅差で軍の派遣を決定した。

 (メーソンに英国議会が乗っ取られている証拠でもある。)

 1859年(安政6年)、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの姉の子)が横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)に「ジャーディン・マセソン商会」横浜支店を設立。日本に進出した外資第1号としても知られる。

 後に吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた。鹿島によって建設された横浜初の外国商館である社屋は、地元民から「英一番館」と呼ばれた。1863年(文久3年)、ウィリアム・ケズウィックは井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉、伊藤博文の長州五傑のイギリス留学を支援する。彼らの英国滞在は、ジェームス・マセソンの甥にあたるヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会・ロンドン社長)が世話した。



 ウィリアム・ジャーディン - 創業者
 ジェームス・マセソン - 創業者
 ケズウィック・ファミリー - オーナー家
 トーマス・ブレーク・グラバー - 「マセソン商会・長崎代理人」
 としてグラバー商会を設立

 吉田健三 - 元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長(内閣総理大臣吉田茂の義父)』(ウイキペデイアより)

 『日本は、1842年、アヘン戦争の結果、中国の実権が皇帝から宋財閥のものとなったこと、そしてこの宋財閥はサッスーンの代理人であったこと、さらにはサッスーンは英国ロスチャイルド家の東アジア代理人であったこと、そして最後に、英国ロスチャイルド家は初代ロスチャイルドがヨーロッパ五カ国に張り巡らした金融寡頭権力体制オリガルキーの中核であったこと、このロスチャイルド家は19世紀中葉、世界の富の大半を支配下に置いていたこと、こうした東アジアをめぐる世界の激動について何も知らない。

 上海に拠点を構築した英国ロスチャイルド、サッスーンは、日本が欧米列強によって半植民地状態に置かれると、間もなくトーマス・グラバーを長崎に派遣して、英国系フリーメーソン駐日代表、および英国の日本占領作戦の前線総指揮たらしめた。グラバーは20歳代の若者に過ぎないが、その背後にひそむ勢力が日本人には見えない。』(太田龍『長州の天皇征伐』成甲書房より)

 『トマス・ブレーク・グラバーはスコッチ・メーソンで、上海経由で長崎に渡ったのは1856年、21歳の時である。グラバーは長崎で海産物の輸出をしていたが、薩摩、長州、土佐、肥前の諸藩に倒幕の機運が生じたので、鉄砲、弾悪、火薬を諸藩へ調達した、薩摩の小松帯刀と親しくなり、小松を通じて土佐の坂本竜馬を職り、坂本竜馬とは特別な関係を持った。

 薩長離反のときなどには坂本竜馬に薩長同盟の組み立てをさせて革命勢力の統一を計っている。また坂本龍馬を通じて岩倉具視と親しくなり、官邸にも接近、日本とヨーロッパを結ぶ楔の役目をしている。とくに木戸孝允、伊藤博文、井上馨、五大友厚、森有礼、寺島宗則などには、公私の交際を続け、明治革命の裏方の役目を果たしている。(山石太郎『世界の改造者-楽園を創るフリーメーソン物語』世界連邦国際学会より)

 (坂本龍馬は、慶喜の南朝革命構想のための工作員でもあるから、徳川慶永などは、龍馬を高待遇する。グラバーというよりも、龍馬は、慶喜の命で動いていたと考えるべきであるが、大政奉還後の慶喜を頂点とした共和体制は、メーソンの入れ知恵の感もある。)



 『明治新体制になると、グラバーは日本に帰化して「倉場」と改姓し、日本人女性と結婚して一家を構えている。今日でも長崎には「グラバー邸」跡が保存され、いわゆる観光名所である。そこにはフリーメーソンのシンボルが刻印されており、幕末、このグラバー邸が、西洋フリーメーソンの策源地であったことを証明している。

 日本帝国内閣総理大臣伊藤博文が、そのグラバーの下男であったとはどういうことだ。通常の歴史書には、グラバーは「英国商人」「英国武器商人」「グラバー商会の長」として、ほんの申し訳程度に登場するに過ぎない。』(太田龍『天皇破壊史』成甲書房より)

 太田龍『麻薬とユダヤの陰謀史』成甲書房より

 以下抜粋。

 『英国が中国(清王朝)に仕掛けた「阿片戦争」は、日本の歴史の教科書でも、名前ぐらいは出てきます。ところが、どうしたことか、筆者の知る限り、明治以降今日まで、この阿片戦争を本格的に掘り下げて解明した本は、ただの一冊もないのです。これは決して偶然ではありません。日本の学会(東京帝大と慶応大学を起点とする)とジャーナリズムの中に、英国の恥部を究明することを抑止する絶対的な悪魔の手が伸びていたのです。



 『「ドープ・インク(Dope INC.)という、戦慄すべき著作を入手しました。その日本語訳は「麻薬株式会社」でしょうか。ドープは麻薬、インクはインコーポレーション(株式会社)。実質的な著者はリンドン・ラルーシュというアメリカの政治家です。ラルーシュはアメリカ労働党という小政党の指導者だったようですが、彼は1977年に、アメリカ国民は、カーター大統領の政権によって推進されている非合法な麻薬ビジネス汚染に、反対する戦いに立ち上がらねばならないことを自覚しました。

 1978年春にラルーシュは、アメリカ労働党内に麻薬問題の調査班を作り、こうして、「麻薬株式会社ドープ・インク」の第一版が1978年に公刊された、とあります。ラルーシュは「麻薬に反対する政治活動家」であり、ラルーシュによって組織された調査班の結晶としての同書の第一版は、全世界に広がる麻薬ビジネスの全貌を白日のもとにさらけ出した最初の著作である、とされます。』

 『同書の出帆の直後から、ヘンリー・キッシンジャーと、ブナイブリス(”誓約の兄弟たち”ユダヤ人のみの高級秘密結社)のアンチ・デフォメーション・リーグ(”ADL ユダヤ人名誉毀損防止法”ブナイブリスの下部組織 麻薬ビジネスに関与)は同書の著者たちを沈黙させるための謀略活動を開始した、と記されています。1982年には、キッシンジャーの提案によって「ラルーシュ退治機動部隊タスク・フォース」が組織されたのだそうです。』

 (ブナイブリスとは、ハザールの偽ユダヤ人だけが組織したメーソン員に命令を伝達するイルミナティの諜報機関と考えるとわかりやすい。連中は、正統なユダヤ人ではなく、偽者だから、まず、ユダヤ人であることの証明をみせるべきである。例えば、三種の神器は?と疑問を投げかけるべきである。)

 『1986年に、同書の第二版が出版されました。その1986年10月に、400名以上の警察官が動員されてラルーシュの関係する幾つかの事務所を襲いました。そして、ラルーシュと彼の仲間たちは逮捕され、外国の情報部と結びついていたなどとの理由で裁判にかけられた、というのですが、この事件の経過については、筆者の知る限り、日本のマスコミはたったの一行も報道しておりません。

 陪審員はラルーシュらに対し、無罪の票決を下したにも拘わらず、裁判所はこれを破棄して、1989年1月、ラルーシュに懲役15年の刑を言い渡したとありますから、現在、ラルーシュはアメリカの刑務所に幽閉されているわけです。』

 『筆者が入手したものは、1922年発行の第三版で、697頁という大著です。これほどの著作(そして筆者)が、これまで日本人に全く知らされていなかった、一語も報道されなかった、というのはどういうことなのか。

 ラルーシュの本は、麻薬ビジネスを遂行しているのはアメリカ政府である、いや、アメリカ政府を背後で動かしているより大きな世界地下帝国であることを論証している、従って、アメリカ政府とそれよりも大きな世界的権力そのものをまな板の上に乗せて料理しようとするのが、ラルーシュの立場です。』

 『ラルーシュは「麻薬株式会社ドープ・インク」の第七部で「組織された犯罪」を論じ、「犯罪インターナショナル」の実在を検証し、更に、英国の「国際暗殺局(ブリティッシュ・インターナショナル・アサシネーション・ビューロー・バーミンデックス)」が1963年の米ケネデイ大統領の暗殺に関与した、としています。

 1963年の春から夏、秋にかけて、カリブ海のジャマイカ島モンテゴ湾の某所で、ケネディ大統領を葬り去るための英国の秘密諜報部が主催する国際会議が開かれた、というのです。彼らがケネデイを暗殺しなければならなかった理由は、同大統領が麻薬ビジネスを抑止することを本気で考えたことである、つまり、地下世界帝国にとってケネディは除去すべき障害物となったらしいです。』

 (上記のことは、マイヤーランスキーという偽ユダヤ人が築いたマフィアのシンジケートについてのサムジアンカーナの自伝を読めばよくわかる。)

 次回に続ける。





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Last updated  2012年09月05日 11時58分08秒コメント(0) | コメントを書く
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