シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年09月06日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 太平洋戦争の裏事情を色々紹介している経緯から、様々な出来事の真相というべき理由がわかってくる。

 それは江戸無血開城の謎である。

 戊辰戦争が、大室明治天皇、つまり南朝革命発案者慶喜-勝への薩長の口封じだと考えれば、慶喜が、無抵抗のまま幕府軍を置いて逃げ回り、恭順という名の下に黙秘を厳守した意味がわかる。

 大室明治天皇が長州伊藤の手の内にあり、慶喜から挑発でもしない限り、江戸無血開城は、規定路線ということになる。つまりは、第2次長州征伐で、慶喜が大室明治天皇を手の内に入れることができず、幕府に大政が再任されなかった時点で、慶喜の敗北が決定し、慶喜には大室天皇に何とか取り入り、幕府存続の道しかなくなった。

 そうすると、慶喜が尊王攘夷の志士たちを長崎に集めて撮らせたといわれている例のフルベッキ写真は非常に重要な意味をもってくる。

フルベッキ写真
http://www.nextftp.com/tamailab/verbeck.htm

 薩長官軍は、この写真が世に出されるのを非常に恐れただろう。だからこそ、薩摩の西郷は、慶喜の首に拘った。薩長は、大政奉還後の龍馬が、慶喜を中心とする船中八策の共和体制案に、度肝を抜いただろう。

 長州の伊藤が孝明天皇父子を暗殺した時点で、王政復古をしなければ、天皇制の維持が困難になるからだ。慶喜の二枚舌から考えれば、大室明治天皇の身柄が確保できれば、傀儡明治天皇の下に、改めて、幕府に大政を再任させて存続を図れ、また身柄を確保できなければ、龍馬から世に流れた共和国体制に転換を図ることも考えていたものと思われる。



 龍馬が、慶喜を中心とした新政府構想を中岡に明かしたのは軽率だったというべきだろう。実際は○○○という記述だったが、慶喜公であることは明白だったからだ。

 西郷は、龍馬が新政府構想に入っていないのに、疑問をもったという逸話がある。龍馬が海外の海援隊でもやると発言したそうだが、その発言は、西郷にとっては、上海メーソン、つまり麻薬や武器屋のジャーディン・マセソン商会の手下になるということを意味するので、実際に龍馬の亀山社中は、東インド会社のコピー会社であるから、とんでもない裏切り行為と感じただろう。 

 しかし、この龍馬の商社構想は、後藤象二郎や岩崎弥太郎になかば略奪される形で実現し、後の土佐山内家の家紋の三菱を基にした日本帝国海軍となる。慶喜の構想を略奪した伊藤と同じ。

 つまり、龍馬を通して、慶喜の動きは筒抜けだったわけで、薩長同盟までは慶喜の構想に、薩長が乗っていたことを意味し、大政奉還後の薩長の動きは、慶喜からすれば、逆に薩長が裏切ったことになる。龍馬が、慶喜に動かされていたことをどこまで知っていたかは疑問が残る。恐らく、慶喜を信じきっていたのだろう。

 中岡が、薩長の間者をやっていたという説もあるが、それだと、中岡が、薩長と幕府の狭間に立たされ、中岡は、龍馬に、新構想を断念させ、薩長に加担することを説得しにいき、駄目なら殺すという説も浮上する。

 つまり、中岡に龍馬を説得させ、駄目なら、中岡に龍馬を殺させ、口封じのために中岡を薩摩が暗殺したという説も充分に説得力をもつ。実際、今井信郎は、近江屋の外で見張りをしていただけという証言もある。

 ともかく、薩長により龍馬が殺され、大室天皇の下に王政復古がなされ、討幕の密勅がでた時点で、慶喜の構想は宙に浮いたものとなり、薩長の裏切りが明白になり、慶喜は幕府軍を捨て逃亡を図る。慶喜にとっては、家茂暗殺の件もあり、逃げるしかなかったのだろう。

 龍馬が殺された以上は、密かに逃げるしか、慶喜の脳裏にはなかった!

 薩長は、せっかく確保した玉を奪われないように、有栖川を先頭に立て、討幕という名の下の慶喜の口封じに走る。慶喜の手のうちには、例のフルベッキ写真が残されている。

 江戸無血開城の黙秘の条件の背後に、あのフルベッキ写真が鍵を握っていたようにも思える。大室天皇は、慶喜がつくったという証拠を用いて、いかに徳川家の存続を図るか、が鍵となるからである。



 つまり、江戸城無血開城とフルベッキ写真の非公開などの黙秘を条件に、徳川家存続を図るのが、有名な勝-西郷の前座として行われた山岡-益満と西郷の会談である。

 慶喜と勝は、自分たちの命が狙われていることを充分に知っているので、他の人選を探ることになる。薩長側と通じている絶好の人物が、益満休之助である。また、慶喜を諌められるだけの幕府側の証人が必要だから、通常なら、勝海舟だが、薩長に命を狙われる立場で無理だから、高橋泥舟に話がいったが、高橋が江戸の治安から抜けると、幕府主戦論に対する抑えがきかなくなるというので、高橋泥舟が、山岡鉄舟を推薦したようだ。

 世間では、山岡鉄舟の評価が高いが、確かに山岡の無謀ともいえる薩長への面会がなければ、徳川家の存続はなかっただろう。和宮は孝明天皇の暗殺を、後に知る可能性が高い人物として薩長には不都合な人物でもあり、天樟院は、西郷を良く知り、また徳川家側に立つ存在としても、危険な人物であろうから、記録のもみ消しなどに江戸城を奪取することは必然の成り行きといえる。

 実際、慶喜は、和宮や天樟院を利用して、朝廷から薩長に揺さぶりをかけているから、西郷には目の上のタンコブだっただろう。事実、和宮や天樟院の手紙はほとんど無視されたようだ。多くの武士の命が奪われている現状に、単なる貴族の感傷などに構ってられるユトリなど西郷にはない。藩主の命令さえも無視している現状で、薩長にとっては、慶喜の口封じだけが目的だったからである。それに西郷は、旧来の身分制度撤廃が維新の目的である。



 慶喜は、一旦、朝廷に返上した大政が、再び戻ってくると思い込んでいたようだ。そのための家茂暗殺の長州征伐だったわけで、フルベッキの写真も証拠としてある。しかし、この慶喜の目論見は裏目に出る。薩長の裏切りを知ったときの慶喜は、顔面蒼白だっただろう。

 事実、慶喜は蛻の殻同然だったという証言が多数残っている。もはや、幕府の主戦論者の意見などは耳に入らなかったようだ。逃げることしか頭になく、冷静さを失っていたようだ。慶喜は、西郷の恐ろしさを知った。勝は、西郷がいつ出るかと思っていたが、実際、西郷が出てきたときは、恐ろしさを感じた、というようなことを述べている。

 傀儡大室天皇の王政復古を遂げるには、朝廷工作が必要となるが、それが西郷の江戸の治安悪化工作である。治安の悪化を理由に、幕府軍は野蛮だという印象を朝廷に植えつけるために、薩摩藩邸を襲わせる。

 その工作の影の主役が、益満休之助で、戊辰戦争で、重要なことは、益満休之助が、幕府軍の弾薬補給を担っていた弾左衛門を、身分制度の撤廃という条件で、薩長側に寝返らせたことである。

 その益満休之助が、幕臣の山岡鉄舟と、西郷の前に現れたから、西郷は肝を冷やしただろう。朝廷工作が見透かされたわけでもある。つまり、慶喜への裏切りを告発されたようなものだ。西郷に良心があれば、江戸を混乱に陥れた非道行為を恥じるだろう。

 実際、西郷は、益満-山岡との会談の後、投げやりになったようだ。江戸については、勝海舟に任せるというようなことを述べたともいわれている。大久保利通も、西郷は、肝心なところで、投げやりになるというようなことを述べているが、江戸無血開城のことだろう。

 冷徹な大久保には、西郷の心情を察することはできないのだろう。実際の官軍の江戸侵入については、大久保や伊藤、そして長州の大村益次郎で、幕府主戦派残党の彰義隊との戦いを利用して、長州は、薩摩に犠牲を強い、薩摩兵の戦力を奪う。つまり、後の西南戦争の前哨戦を行う。

 このときの大村のやり方は非情極まりないもので、薩長軍には戦費がなかったので、鍋島藩の軍船を売る代わりに、その金で、わずか数日分の弾薬の都合をつけ、長州の奇兵隊を、幕府軍と偽って、彰義隊のなかに潜り込ませ、彰義隊と前線に配置した薩摩兵とを戦わせ、薩摩兵の消耗も図りながら、頃合いを見計らって、奇兵隊として寝返りさせ、彰義隊を挟み撃ちにするやり方だったようだ。大村は、この寝返り作戦を多用したようである。

 このようなやり方は、メーソン特有のものである。大久保は、このとき、薩摩を裏切ったことになるから、後に暗殺されてしまう。自業自得といえる。大村も、このときのやり方を後に薩摩側に知られ、暗殺されてしまう。自業自得である。

 西郷も、慶喜を裏切ったことで、後に、明治天皇に裏切られ、西南戦争で死ぬ。これまた自業自得といえる。慶喜は生き残ったが、晩年は、写真を撮る趣味に現を抜かしたようだ。フルベッキ写真は、自分が撮ったのだといいたかったのかもしれない。

 明治維新の連中をみていると、自分がしたことが、自分にかえってきて、やはり自業自得という他はない。

 勝は、幕府の残党とともに、徳川家が存続した後、伊藤の明治政府と言論で戦いながら、「これでおしまい!」と言って果てたという。

 明治維新の主要メンバーのほとんどは、身分制度とともに殺された。しかし、二流の人物が、昭和に向かって、新たなる身分制度をつくっていく。だから、西郷や勝がいうように、明治維新は失敗だったのだろう。

 学閥による新たなる身分制度をつくろうとしたのが、福沢諭吉である。そのことは、学問のススメに書かれている。学問が立身出世の道具となり、精神を腐敗堕落させた昨今の現状をみれば明治維新の失敗がよくわかる。私は、姑息な福沢諭吉が大嫌いだ!

 実際、福沢諭吉は戊辰戦争のときに逃げ回っていたという。命を狙われるような人物でもないのに、逃げ回って、全てが終わったときに、口先だけ立派なことをいって出世する人物のようだ。海舟は、諭吉を利巧な奴だと皮肉っている。

 現代の日本人は、福沢のコピーばかりだから、福沢という人物は、現代人の軽薄な特徴をつくった先人ともいえる。失敗は、他の人の責任、成功は自分の功績という人物なのだろう。要するに宣伝屋だ!





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Last updated  2012年09月07日 11時54分11秒
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