シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年09月12日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は山岡鉄舟を題材に、老子の55章を、「タオの法則」という本を用いて、やさしく読み解き、紹介した。

 「金もいらず、名もいらず、命もいらないものは、まことに始末に困るものなり」というのは、西郷の有名な言葉だが、この言葉は、鉄舟を評して述べたという説もあるが、鉄舟を調べると、まさに、この言葉がピッタリの人物に思えてくる。

 この言葉は、老子の55章を言い当ててもいる。

 老子の55章を一言でいえば、相対(対立)概念をもたない、ということに尽きる。

 金や名や命などは、相対概念にすぎなく、他者との比較の上で成り立つものである。

 つまり、本来の自分ではなく、外との関係から自分に付随したものである。

 このような話は、物理学では、遮蔽効果という有名な現象で知られている。それは、例えば、マイナスの電荷をもつものは、電磁力により、周囲のプラスの電荷を引き寄せるので、第3者からみると、本来もつマイナスよりも、引き寄せたプラスの電荷分だけ、マイナスが中和された状態でみえる、という現象である。

 この遮蔽効果を、繰り込み論で解釈して、量子電磁力学をつくり、ノーベル賞をとったのが、朝永-シュヴィンガー-ファインマンらである。

 だから、外からみれば、本来の自分(上記の喩えでいえば、マイナスの電荷)に、周囲との関係(プラスの電荷)が付随し、遮蔽されてみえるわけで、その遮蔽を取り除くには、周囲との関係(電磁力)を消すしかないわけで、それはすなわち、本来の自分(マイナスの電荷)をなくすしかないのである。



 しかし、存在を消すといっても、いなくなることは、人間にはできず、神様しかできないので、周囲と一体化することを意味するのである。カメレオンのように周囲と一体化する、和合することである。

 赤子が無我なのは、周囲の環境や母親の愛情と一体化しているからである。

 老子、つまり、タオは、常に、宇宙の愛情と一体化することを説いている。

 だから、無我の境地とは、周囲の環境に臨機応変に適合することといえる。それはまるで自然の法則そのものとでも思えるような存在、つまり、天の意志そのものと一体化することなのである。

 これを無為自然と、老子は説くのである。

 前回は、飼い猫への飼い主の恐怖心を取り除くための愛情の発露の問題として、無為自然を紹介した。

 無為自然とは、陰陽の相対(対立)概念を超えて、和合することを意味する。老子は、無我の境地に至ること、無為自然の境地に至ることを第一に説く。

 陰陽の相対(対立)概念を超えて、陰陽を和合する立場に立て、ということを絶えず、老子は説いている。

 で、今回は、また違う形の無為自然の、老子第20章を、「タオの法則」という本から、紹介したい。

 その前に、老子の第20章は、以下の学者風の書き下し文だといわれている。



 善と悪とは、相去ることいかん

 人の畏るるところは 畏れざるべからず

 荒としてそれいまだ央きざるかな

 衆人熙熙(きき)として
 太牢(たいろう)を享(う)くるがごとく
 春台に登るがごとし

 われひとり泊(はく)としてそれ未だ兆(きざ)さず
 嬰児の未だ孩(わら)わざるがごとし

 累累(るいるい)として帰する所なきがごとし

 衆人は皆余りあり

 而してわれは独り遺(わす)るるがごとし

 我は愚人の心なるかな

 沌沌(とんとん)たり

 俗人は昭昭たり

 我は独り昏昏たり

 俗人は察察たり

 我はひとり悶悶たり

 澹(たん)としてそれ海のごとく
 リョウとして止まること無きがごとし

 衆人は皆以(もち)うるところあり

 而(しこう)してわれは独り
 頑(かたくな)にして鄙(ひ)に似る

 我は独り人に異なりて
 母に食(やしな)わるるを貴ぶ


 以上では、全くチンプンカンプンである。



    ☆   ☆   ☆

戦いは正義と頑張りの心から始まる。

 「頑張り」がなぜいけないのかと思う人も多いだろうが、タオの心に近づくと、「正義」や「頑張り」ほど、人間の心をタオから引き離すものはない、ということがわかるようになる。

 明治の近代化以降、勤勉が日本人の美徳となり、そのピークで生じた太平洋戦争のとき、どんな観念が日本人を戦争へと至らせたかを、日本は経験している。

 それは、日本の正義のために、とことん頑張ることが最善であり、美徳であるという観念であった。頑張りは、我を強め、正義はやさしさを喪失させる。



 人間は何かに身を投じることを喜びに感じる性質があるが、その対象が、国や会社というような抽象的な存在となるとき、タオの領域からはずれてしまう。それは、何かとの対立次元に身をおかせる行為だからだ。

 全ての存在は、タオという一点にのみ身を任せるようにできている。

  ☆   ☆   ☆

 勝負の背後にある悪の元締めについて、人類は知るべきときに来ているように思える。勝者が全てを取るというのは、非常にわかりやすい悪の論理である。しかも、勝敗が決まる前に両方に賭けている悪は、問題とされない。

 つまり、相対(対立)概念に、人類を洗脳させることで支配し、人類を勝負や競争により分断させ、統治するのが悪魔の目的である。

 悪魔は、その目的を遂げるために、頑張りと正義を煽る。悪魔は、自分の支配と欲望を叶えるために、頑張りと正義を強いる。同士討ちさせることに、人類を血眼にさせる。

 悪魔は、神の名を語り、頑張りと正義の下に、人類を戦わせ、分断し、統治するのである。

 悪魔に騙されてはいけない。悪魔は悪魔であって、神様ではないからだ。

 聖書では、悪魔は地を這いずり回る蛇に喩えられる。それは、つまり、相対(対立)概念という地を這いずり回る世界にしか生きられないことを意味している。数学でいうなら、2次元平面の存在ということになる。

 蛇に翼があれば、龍になって、天に向かって飛ぶこともできる。相対(対立)概念から抜け出ることができる。

 天から生まれる愛情に乗るための翼をもつには、頑張ることで、我を強くすることや、正義を振りかざすことで、やさしさを失うことの反対の立場に身をおくことが重要なのである。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年09月12日 16時16分53秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: