シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年09月14日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 「禍福は糾える縄の如し。」といわれるが、老子を読み解くと、地獄も天国も、糾える縄の如し、とも感じられる。

 さて、少し老子から離れて、前回紹介した以下のサイトをまた紹介したい。

悪の働き
http://blog.goo.ne.jp/mimizuku16610/e/7f118fdf0e335bf0d3a7a3f5fa7e9d4e

 以下は抜粋である。

  ☆  ☆  ☆

 善悪一如。

 悪の本質は、悪でありながら悪ではない。
 悪の働きも神の一面である。

 悪を面罵し礫を打つことは、神と自分を傷つけていることを知らねばならない。

 だからと言って、悪に染まってはならない、悪を為してはならない、悪を見逃してもいけない。

 そこには逃げ隠れを許されない自分との本真剣の大勝負、大死一番の覚悟がなくてはならない。

 悪の働きがあって、ようやく人間の意識は目覚める。皮肉にも、悪は【気付き】の原動力ともなる。

 【気付き】の瞬間は魂を成長させるまたとない機会である。

 人類の意識が覚醒するとき、集合的無意識からの大変革が巻き起こり、世界は一瞬にして相転移する。

 この世に悪が蔓延し、絶望が世界の九分九厘を占めるようになったとき、一厘の神性の光が灯る。

 悪を殺すのではなく悪を抱き参らせることができたとき、意識の矛盾と対立を昇華させたとき、物質と意識が統合された新しい世界(みろくの世)となる。

【ひふみ神示 黄金の巻 第九十七帖】
 生命すててかからねば、まことの理解には入れん道理。身慾信心では駄目。いのち捨てねば生命に生きられん道理。二道二股 多いと申してあらう。物の文明、あしざまに申す宗教は亡びる。文明も神の働きから生れたものぢゃ。悪も神の御働きと申すもの。悪にくむこと悪ぢゃ。善にくむより尚悪い。何故に判らんのか。弥栄と云ふことは歩み一歩づつ喜び増して行くことぞ。喜びの裏の苦に捉はれるから判らんことに苦しむのぢゃ。苦と楽 共に見てよと申してあらう。偶然の真理、早う悟れよ。

  ☆  ☆  ☆



 スウェーデンボルグは、自著のなかで、天使に、「赤ん坊は悪に染まっていないから、天国にいけるのか?」と質問したが、天使の答えは、「いいえ」だった。「確かに赤ん坊は、悪には染まっていないが、悪をみても、悪に染まらない意志に欠けるもので、本物ではない」というような答えだった。

 悪をみても、悪に染まらない意志が、重要なのである。

 つまり、絶えず、自分の中の悪を善に転じていく働きが重要で、その能力が天国への階段を上る翼となる。

 政治家たちは本当にどうしようもないが、自分のなかにも、政治家たちのような悪がないかどうかよくよく考えてみなくてはいけない。恐らく、政治家と似たような悪を誰もがもっているはずである。だから、政治家が悪いのではなく、自分のなかの政治家と似た悪の責任で、まずは、自分のなかから、悪しき政治家をなんとかしなくてはいけない。

 悪しき政治家を選ばないことも重要である。



 では、その方法を老子の第57章から紹介したい。例の如く、老子の現代訳をネットから紹介し、続いて、「タオの法則」を紹介する。

  ☆  ☆  ☆

老子第五十七章 それ天下に忌諱多くして、民弥々貧し

原文
 以正治國、以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉。以此。夫天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昬。民多智慧、邪事滋起。法令滋彰、盗賊多有。故聖人云、我無爲而民自化。我好靜而民自正。我無事而民自富。我無欲而民自樸。

書き下し文
 正を以(も)って国を治め、奇を以って兵を用い、無事を以って天下を取る。吾れ何を以ってその然るを知るや。これを以ってなり。それ天下に忌諱(きき)多くして、民弥々(いよいよ)貧し。民に利器多くして、国家滋々(ますます)昏(みだ)る。民に知恵多くして、邪事(じゃじ)滋々起こる。法令滋々彰(あき)らかにして、盗賊多く有り。故に聖人は云(い)う、我(わ)れ無為にして民自(おのずか)ら化(か)す。我れ静を好みて民自ら正し。我れ無事にして民自ら富む。我れ無欲にして民自ら樸(ぼく)なりと。

英訳文
 Govern a country with the right way. Use clever schemes when you make a war. But to get the world, you should do nothing. Why do I think so? Like this. If there are so many laws, people will become poor. And they will use convenient tools, they will disturb order. And they will get much knowledge, cunning people of them will do wrong. And many laws will be enacted again, many people will become robbers. So the saint who knows “the way” says – “People are inspired because I do nothing. People correct themselves because I am silent. People become rich because I do nothing. People are still naive because I am unselfish.”

現代語訳
 国を治めるには正しいやり方で行い、戦には奇策を用いると言われるが、天下を得るには作為的な事は何もしない方が良い。私が何故そう思うのかと言うと、以下の通りである。世の中が規則や法律でがんじがらめになると自由な生産が妨げられて民衆が貧しくなり、その民衆が生活を豊かにしようと便利な道具を使うようになると国家が混乱し、そうして余計な知恵をつけた民衆の中から悪事を働くものが出るようになり、そしてさらに規則や法律が増やされてまた盗賊が増えるという悪循環に陥るからだ。だから「道」を知った聖人は以下の様に言う、「私が余計な事をしないからこそ、民衆は自ら感化される。私が静かに動かないでいるからこそ、民衆は自らを正す。私が特に何もしないからこそ、民衆は自ら豊かになる。私が無欲であるからこそ、民衆も素朴な生活を楽しめるのだ」と。

 Translated by へいはちろう

  ☆  ☆  ☆


 人の心をつかみたい
 その衝動は、人を光へと至らしめる導きである。


 人は、誰からも必要とされなければ、人生にむなしさを感じるものだ。どんなことをしていても、そのことがいきいきと感じられなくなる。逆に言えば、多くの人に必要とされれば、どんなことでもやってやろうという気持ちにさえなれる。

 タオは、全てとつながりあった世界であり、その人の存在意義を実現する。

 魅力はどこから生まれるのか。どんなにまじめでも、どんなにお金持ちであっても、その人自身が幸せでなかったら、人はその人に魅力を感じない。人に感化を与えられる人は、自ら溢れるほど幸せであるものだ。どうしてこんなに毎日が楽しいのだろう。楽しくてしかたがないという人は、必ず、それが、外にも現われる。

 そうして多くの人が、その解放的な魅力にひきつけられる。高い幸福感が人をひきつけ、人を幸せにし、あるべきポジションにその人を位置づけさせる。多幸福感が、タオへと人を導くのだ。

 こうした、心の躍動状態に導かれる生き方を、老子は、無為と呼ぶ。「世のつまらない大人のように、為そうとして事をなすのではない」という皮肉を込めて、彼はそれを無為と言うのだ。

 多幸福感こそ、人を無為の存在として輝かせる秘訣である。

  ☆  ☆  ☆

 人は闇にいても楽しいわけがない。闇をつくったのは、本人の責任でもある。外の表面の光ばかりみていると、自分で光をつくりだすことを忘れてしまう。これは他人の幸福を羨むことと変わりない。

 外の光をみることはいいのだが、せっかく見るのならば、光のつくりかたも学ぶべきである。どうしてそんなに輝いているのだろうか? 陽だけでなく、陰もみることだ!

 老子は、陽だけでなく、陰もみて、陽と陰の中和する方法を、無為自然と説いている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年09月15日 11時10分24秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: