シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年09月25日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、老子が「〇に・(点)」を説いていることを、∞万華鏡∞ さまのサイトから、拝借して、紹介した。更に、コメントで、忠武飛龍さまに、華厳思想に似ているとのご指摘をあわせてうけた。

 そこで、華厳思想をネットで調べているうちに、∞万華鏡∞ さまのサイトのシュタイナーの治療教育者に向けた話の引用とカブっ(シンクロし)てくるのに気がついた。それは、華厳思想の性起説と(天台思想の)性具説の対応と、シュタイナーの「〇に・(点)」の話の引用である。

華厳宗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E5%AE%97

∞万華鏡∞ さまのサイト
http://plaza.rakuten.co.jp/onaga/diary/201209250000/

 以下に、カブっ(シンクロし)てくる部分を紹介する。

 華厳思想からは、

 「仏性についての考え方では天台宗が性具説を説き凡夫が次第に修行によって自らに十分備わっていない外来の仏性に救いとられて、目覚めさせられて行くと説くのに対し、華厳宗では性起説を説き、もともと衆生には円満な仏性が備わっているという如来蔵の考え方をとり、それが信じられず自覚しようとしないので迷うのだと考える。」



 これは、「〇に・(点)」のなかで、自分を「〇か」、「・(点)か」のどちらかに置くことの違いに相当するようにみえる。

 対照的に、∞万華鏡∞ さまのサイトのシュタイナーの「〇に・(点)」から、抜粋し、要約して紹介すると、

  ☆  ☆  ☆

 「これは瞑想に関わる真実です。

 毎夜、次のような言葉を意識し、心の中で唱えてください。

  「私の中には神がいる」、または「私の中には神霊がいる」

 そして毎朝、「私は神の中にいる」という言葉を心の中で唱え、その日一日の日常生活のなかで、その想いを輝かせるのです。

 このことを理論的に思案してはいけません。大抵の人の瞑想は、理論的に行ってしまう。

 私と神、もしくは神霊の二つの言葉が感情となり、意志をもつ位にまで心の中に生かすことの意味をみつけるのです。

 「私の中には神がいる」というイメージを心の中に生かし、そして翌朝には、「私は神の中にいる」というイメージを、心の中に生かすように試みてください。



 翌朝になって、「〇」は「・(点)」になり、「・(点)」は、「〇」になるように、心の中に生かすのです。円が点になり、点が円になることを、意識のなかで理解してください。

 「〇」が「・(点)」になる前後の状態を、意識のなかで生かしてください。

 この2つの状態は、人間の営みと結びついているのです。

 以前、四肢を含む腹部と頭部の状態を、上記の2つの前後の状態と同じように描いたことを思いだしてください。実は、この2つの状態は、瞑想のなかで実現する像を単純な形で示したものなのです。

 頭部の自我の点が、翌朝になると、四肢を含む腹部のなかで円として、「実現」するのです。単純に、円といっても、実際は、人間のかたちをとっていますが、いずれにせよ、この2つの状態を理解することではじめて、人間全体が理解できるのです。



 第一に、この二つの像と、二つの言葉、つまり、円と点が同じもので、区別できないことを知る必要があります。外から見たときにだけ、円と点は異なっています。外からみれば、円と点は異なってみえます。

 なぜでしょうか?

 なぜなら、点は、頭自身からみた頭の図式化であり、円は、頭からみた身体の図式化だからです。けれども、身体の図式化のなかに、頭のなかの点である自分を作用させますと、脊髄になります。

 同じ点が頭の中だと、頭部の中心、つまり自我になるのです。

 外的な形態のなかの力学が、この2つの図式化から、洞察できるようになります。この洞察から出発して瞑想すれば、解剖学と生理学の内力学を把握できるのです。

 そうすれば、頭部は、胴体の上に胡坐をかいて、乗せられていることや、頭を1つの人間と考えると、四肢と胴体が縮んで顎になっていることが、洞察できるようになります。

 (人生を、顔相にあてはめて評価する顔相占いは、この話に起因する。)

 更には、歯と手足の指とが、対極に位置することをも直感できるでしょう。そして、顎の骨の先端部に、委縮した手足を認めるでしょう。

 (手が上顎、足が下顎で、歯がその指という感じ。)

 このような瞑想に、相応しい気分とは、どういったものでしょうか?

 「内部の温もりの巣にいつまでも寝ていたい。」というような気分ではなく、「世界の真相の中へと分け入って、真実を把握したい」という厳粛な気分でなければなりません。

 目にみえない存在への畏敬の念、尊敬の気分で満たされなければなりません。

  ☆  ☆  ☆

 以上のシュタイナーの話から、華厳思想の性起説と天台思想の性具説が、本来同じものの、とり方の違いであることがわかる。

 つまり、天台の性具説は、シュタイナーでいえば、「私は神の中にいる」というイメージの、翌朝の人間の意識を意味し、華厳の性起説は、「私の中には神がいる」というイメージの、夜の人間の意識を意味していることになる。

 いずれにせよ、「〇に・(点)」のイメージにかわりはない。「〇に・(点)」は、漢字の「日」の原型である。「日」は英語の「day(デイ)」で、ラテン語の「デウス」に由来する。聖書の、「世界は7日でつくられた」の「日」は、デイではなく、本当は、神のことで、7柱の神でつくられるという意味なのである。宇宙が7日でつくられるわけがないだろう。

 要するに、「〇に・(点)」の「日」は、神のことである。神と人間(私)の関係を、「日」という漢字は表している。点が円に変換するのが、一日というわけでもある。だから、点と円が交互に7回変換することで、新しい世界がつくられるともいえる。つまり、進化数は、7進数なのである。

 7日の朝と夜で、次の週となるが、それは14の点と円の変換でもあり、最後の変換は、次の週の初めの変換と同じなので、正味は13の変換となる。宇宙の進化を考えると、土曜(土星の座天使)からはじまるので、金曜日の13回目の変換がどうなるかで、最後の審判という意味に準えることもできる。

 以上のようなことを老子は、第45章で説いている。文字数が超えそうなので、老子の紹介は、次回に譲る。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012年09月25日 14時20分48秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: