シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2012年09月25日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、∞万華鏡∞ さまのサイトからのシュタイナーの話を元に、忠武飛龍さまのご指摘の華厳思想の性起説と天台思想の性具説が、神と人間の関係を、陰陽的な点と円の変換にみれば、同じであることを説いた。

 さて、老子の第45章の紹介の前に少し、わき道に逸れてみる。

 点と円の変換から、思い浮かぶのは、父性と母性である。面白いことに、「母性本能」という言葉は頻繁に使われるが、なぜだか「父性本能」という言葉は、あまり、お目にかからない。

 日常生活で、母性本能といえば、女性に特有の子育ての行為からくる、「可愛い」という感情の「構ってあげたい、尽くしてあげたい」というような心境のことが思い浮かぶが、父性本能と聞いても、なぜだか実感が沸かない。

 この母性本能を、前回の「〇に・(点)」で考えてみると、この母性は、内なる神の働きにみえるので、「私の中には神がいる」という意識、つまり、華厳思想の性起説のようにみえる。

 対して、父性本能を考えるなら、天台思想の性具説に相当するのではないだろうか?

 すなわち、「私は神の中にいる」という意識である。恐らく、逆にみる人も、いるかもしれないが、とにかく、父性と母性は、陰陽のような対極的関係であることにかわりはない。

 母性本能の、自分のなかの神について「構ってあげたい、尽くしてあげたい」に対して、父性本能は、自分のそとにいる神を「知りたい、確かめたい、みてみたい」という探求的、冒険的な行為が挙げられる。

 だから、父性本能は、冒険心、好奇心などに言い換えられるのではないだろうか?



 余談だが、女性は母性からくる可愛いか可愛くないか、男性は父性からくるカッコイイかカッコ悪いかで、異性を判断しているような感じもうける。例えば、女性が推薦する美女は、母性からみる可愛さであって、男性の父性からくるカッコよさでないことが多々ある。

 男性が求める美女は父性、つまり探究心や冒険心をそそらせる女性なのである。対照的に、女性が求める美男は、父性とは全く逆の母性からくる可愛さや優しさであるのだろう。だから、女性と男性では美人の観点が大抵全く逆となる。

 この男性と女性、つまり父性と母性の営みの違いから、人間の「〇に・(点)」の意識がつくられている。

 そこで、老子の第45章の紹介にうつる。

 例の如く、以下の老子の解説サイトから抜書きして紹介したい。

http://blog.mage8.com/category/jp-en/roushi/page/8

  ☆  ☆  ☆

第四十五章 大功は拙なきが若く、大弁は訥なるが若し

原文
 大成若缺、其用不弊。大盈若沖、其用不窮。大直若詘、大巧若拙、大辯若訥。躁勝寒、靜勝熱。清靜爲天下正。

書き下し文
 大成(たいせい)は欠くるが若(ごと)く、その用は弊(すた)れず。大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず。大直(たいちょく)は屈(くっ)するが若く、大功(たいこう)は拙(つた)なきが若く、大弁(たいべん)は訥(とつ)なるが若し。躁(そう)は寒(かん)に勝ち、静は熱(ねつ)に勝つ。清静(せいせい)は天下の正(せい)たり。

英訳文
 A greatly perfect thing looks imperfect, but use of it never withers. A greatly filled vessel looks empty, but use of it never be exhausted. A greatly straight thing looks curved. A greatly skillful person looks awkward. A greatly eloquent person looks reticent. If you move about, you can stand the cold. If you stay calm, you can stand the heat. But being clean and calm is the lord of the world.

現代語訳
 本当に完全な物は何かが欠けている様に見えて、その働きは衰える事が無い。本当に満ちている物は空っぽに見えて、その働きは枯れる事が無い。本当に真っ直ぐな物は曲がっている様に見えて、本当に巧妙な者は下手くそに見えて、本当に能弁な者は口下手に見える。動き回れば寒さをしのげ、じっとしていれば暑さをしのげると言うが、清らかで静かな者こそが世界を支配しているのだ。



  ☆  ☆  ☆

 以上の訳を踏まえて、少し、独自の訳をしてみる。

 完全な円(陽)は、中心点が無になること(陰)で、成立する。完全な円(陽)は、無になった中心点(陰)が、つくりだすので、点(無)が円(有)となり、円(有)が点(無)となることで、無尽蔵に働くことができる。もし、点が歪ならば、それに応じて、円も歪となる。

 円にみえているものは、実は点であり、点にみえているものは、実は円である。種子が植物になり、卵が鶏になるのも、点と円が同じことからくる。点と円では、見かけ上異なるからといって、種子と植物を区別し、一方を捨て去れば、種子も植物も同時になくなる。

 寒ければ、動き回り、暑ければ、じっとするのは、点と円が同じで、互いに移り変わるからである。点と円が互いに移り変わることで、永遠の正しい循環が繰り広げられる。

 以上のように、やはり少し理屈っぽくなってしまうので、「タオの法則」から抜粋し紹介する。

  ☆  ☆  ☆



 肯定したい何かへ

 とことん向かうべきだ


 誰かの欠点を嫌悪すると、その人はその人で、あなたの何かが欠点に見えてくる。短所是正型の教師が子供を成長させられないのは、そのためだ。自分は人前で話すのが苦手だからと、その是正に取り組む。がんばってがんばって人前で話そうとするが、がんばればがんばるほど、冷や汗が流れ、筋肉がこわばる。「努力逆転の法則」だ!

 短所是正とは、それが他者に対してあれ、自己に対してであれ、闘争であり、戦いだ!!

 そこで発想をかえてみる。徹底的な受容に生きる。だらしない子は、概してユニークな発想力をもつものだ。その発想力にとことん着目する。彼がその才能を遺憾なく発揮する頃には、だらしなさ、という表面上の欠点も消えているものだ。

 話が苦手な人間は、話に向かうべきではない。まったくちがう真に楽しいと感じる何かを徹底して極めるべきだ。快の導きに従(順)うのだ。すると、気がつけば、独自の絶妙な弁舌をふるっているものだ。

 「欠けたる」を欠けたるままに受けいれるとき、その「欠けたる」ことの必要性が見えてくる。老子の「無為」は、何もしないことではない。老子は逆説の詩人だ。それは我をはさまない天の導き通りの最大の創造と活動の状態をいう。

  ☆  ☆  ☆

 短所(円)と長所(点)は相互に補完し合っている。時と場合の状況に応じて、短所になり、長所になっているだけなのである。だから、円と点が入れかわるように、長所を極めれば、それにつられて、点が円になるように、短所は、長所となる。

 人間の意識が、状況に応じて、父性を現し、母性を現すように、そもそもは、宇宙神の働きにすぎない。

 長所とは、現状に見合っていることを意味し、短所とは、現状の背後にある未来の展開に見合うものなのだ!





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Last updated  2012年09月25日 16時57分52秒
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