シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年02月27日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 歴史を調べると、歴史でなくとも、数10年の短い人生でもいいが、自分のなしたことは自分に返って来ることがわかる。

 福沢諭吉はクダラ(百済)ナイ「学問のススメ」など書かなくても、ただ、「出世するには、いま何をやるかだ」と、一言いえば済む話である。

 「よく学べば、よく教えることができる」と一言いえばいい。

 「学歴社会をつくって、自分を出世させる」というのは俗物のいうことである。そういう発言から、弥太郎の三菱との如何わしい関係が察せられてくる。三菱と慶応がアヘンで商売し、戦争で人殺しをして儲けてきたことで、現代の守銭奴金銭奴隷国家ニッポンがある。慶応で麻薬事件が起こるのは天罰ともいえる。

 さて、人間とはどうしても、自分のやってきたことを褒めて貰いたいがばかりに、自慢や虚飾をはじめてしまい、挙句の果てには、家柄がどうのこうのと家系図などを持ち出して、粉飾し始め、差別したがるわけでもある。

 また、中途半端な歴史理解から、虚飾を信じ込んでしまい、その奴隷となっている者も沢山いる。本来の学問とは、そのような知の奴隷から、自らを解放するための方法や手段だった。伝承されてきた事象の真偽を確かめる判断力であった。その判断力、つまり認識力を哲学と呼んだ。

 だから、いわゆる鑑定力のない者は、哲学者ではなく、人生においては、人の道としての道徳力が重要になるので、哲学者は、教育者となったわけである。

 しかし、このような哲学者や教育者は皆無で、行われていることは、人生や社会や歴史をいかに粉飾し、虚飾するかばかりである。特に歴史教育は権威に従わせる奴隷教育が横行し、酷すぎる。

 本来の学問は、中世ではリベラルアーツと呼ばれたように、自由のための技芸、つまり自由な意識をもとうとすることで、知の奴隷からの解放なのである。



 ただ歴史教育といっても、これが正しい歴史だと教え込むことではない。それでは知の奴隷で、洗脳になってしまう。人間は十人十色なのだから、様々な見方があるわけで、自分がみる立場とは全く逆の立場から、同じ事象をみる能力があるかどうかなのである。

 人間は、自分の能力を超えて、事象を捉えることはできないから、自分とは異なる見方で、その能力を補う必要がある。だから、歴史教育は、人生を学ぶために重要である。

 さて、八切止夫作品集の「徳川家康」では、後の徳川家康となる主人公の次郎三郎が、新田氏の末裔とされる薬師系の坊主の落とし胤で、母に、松平の家臣に嫁ぐために、捨てられ、祖母に身売りされ、駿河の部落で育ったことが書かれている。

 そこで暮らすうちに、次郎三郎は、武士になることを決め、母が乳母として信康の家に奉公していた経緯から、松平元康の子(後の信康)を誘拐するのだが、その話を以下に抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 次郎三郎は今川義元が上洛するにあたって、三河の当主松平元康の子、竹千代(後の信康)を誘拐した。というのは、今川の先駆けとしての元康が討ち死にでもすれば、三河の当主の跡継ぎを次郎らが押さえておけば、三河一国は握れるだろう、という深謀からである。

 だから狐が崎の人質屋敷から、大久保、板倉、酒井らと共に竹千代をさらった。さて、この時の事。

 次郎は大河内源三郎の妻である乳母の協力のもとに、竹千代を誘拐して、慈悲尾の増善寺へひとまず逃げ込んで、ここに暫く隠れていた後、その寺の等善坊の助けで小舟を借り、寺男の瀬平が葛籠に竹千代(後の信康)を匿し、共に石田湊に出て、鍛冶屋の娘おあい(後の西郷の局、秀忠の母)のいる、掛塚へ戻った。

 次郎が家康となって天下平定後、等善坊はこの時の手柄で遠州可睡斎という拝み堂を新築して貰い、土地では「恩禄を得た有徳な修験者」として評判だった。寺男瀬平も、神君より召し出されて、「味知」という姓を道案内の故事からとって安倍川の西の持舟山一帯の朱印状を貰った。「神君御難の時背負いまいらせた名誉の者の家柄」ということで、この子孫は幕末まで連綿として続き、苗字帯刀だったと「駿府志」にある。

 しかしこれは運の良い方の話しである。酷い目にあったのは、誰が松平の世継ぎを奪って逃げたか直ぐ判ったから、乳母の大河内源三郎の妻(次郎の母)や、次郎の祖母源応尼がそれぞれ捕らえられ殺された。桶狭間合戦は永禄三年五月十九日だが、その当時のことゆえ狐が崎の刑場で殺された源応尼の屍は部落の者に分けられ、内蔵や脳味噌がそこの唐人薬屋へ渡されたのは、華陽院の墓碑名によれば「永禄三年五月六日」となっている。つまり桶狭間合戦の十三日前に源応尼が処刑されたのだから、次郎が松平竹千代を奪取したのは四月ということになる。

 ☆  ☆  ☆



 これは自分がしたことが自分にかえってくる典型である。

 それから次郎三郎は、部落で家臣を集め、後に、松平元康を殺し、元康に成り代わり、徳川家康に改名する。

 面白いのが、有名な桶狭間の戦いで、通説では奇襲となっているが、八切止夫作品集では、裏切りの騙し討ちになっていることである。

 今川上洛にあたって、今川と織田は和睦し、信長は元康とともに義元上洛の先方となっていたというのである。義元は3万5千の兵を率いて、信長の到着を待っていたところ、信長は、義元の鉄砲隊が恐ろしく、万が一に、義元が心変わりし、自分を殺してしまったらどうしようかと、お得意の猜疑心が働き、義元の軍に加わることを渋って愛人宅に逃げ込んでいたのを、嫁の奇蝶に諭され、仕方なく出立するが、俄かの大雨で、田楽狭間で休息していた義元の光景をみて、鉄砲隊が使えないことを知り、反旗を翻した、というのである。



 以下に、桶狭間の戦いについて抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 <天下布武>では尾張、伊勢に多い「八」の民が、天の王朝復活のために彼に協力し、世直しをして欲しさに米穀の在る者は出し、男は皆武器をとって、信長に従って進撃したものらしい。

 「・・・又も負けたか三師団」といった言葉が戦時中あった。これは東北健児や九州の師団と比べ、京都と名古屋の兵は弱いのが有名で評判にされたのである。「名古屋商法」といわれる程、銭儲けには長けているが、戦場で勇ましい話しはあまり伝わっていない。

 つまり接近戦の苦手な尾張兵のため、信長は鉄砲が喉から手が出る程欲しかったのである。だから、大国ロシアと戦うには奇襲戦法しかないと、明治軍部が桶狭間合戦をおおいに宣伝したが、この時ついていったのは山口飛騨守、佐脇籐八らの四人の近習者だけにすぎない。

 大勝利の筈の桶狭間合戦なのだから、その時の近習達を重用するのが普通だが、信長は棄て殺しにしようとしたため、彼らは家康の許へ身を寄せ匿って貰っている。(こうした彼らの謎の行動に歴史家は何故目を向けないのだろう)

 という事は、三万五千からの大軍を率いて上洛せねばならぬ立場の今川義元がなにも近くの尾張で戦うならば、前もって掃討していた筈である。だから実際は信長は既にもう降参していて、尾張領内は無事通過の保証がされていたと見るのが常識である。

 なのに俄かの大雨で、信長が畏怖していた今川本陣の火縄銃が濡れ、全く唯の棒っきれになっている田楽狭間の光景を見て、信長は心変わりして、ぞろぞろついてきた野次馬や一旗組を指揮して本陣目がけ逆襲したのが真相らしい。

 これは戦などというものではなく”裏切り行為”である。だから家康は裏切りの生き証人として万一の際に備えて彼らを匿っていた。

 だからその為、高天神城が攻められた時は信長は援軍を一兵も送っていない。だが三方ヶ原合戦の時は、家康は彼ら生き証人を最前線に出して棄て殺しにしてから、信長に救援を乞うたのである。互いに虚々実々の駆け引きである。

 ☆  ☆  ☆

 上述の「ぞろぞろついてきた野次馬や一旗組」とは、次郎三郎(後の家康)の郎党だったという。また、三方ヶ原のときの信長の援軍は、家康には、なんの役にも立たずに、平手汎秀を捨て殺しにし、平手家を滅亡に追い込むための信長の怨念からの計略だったそうだ。桶狭間は、当時平手家の領地なので、三方ヶ原を利用して、義元への裏切りを口封じしたのかもしれない。

 このようなことは、戦国時代に限らず、日本陸軍でも行われ、東条英機は、自分に敵対する幹部を最前線に送って、死なせたそうである。だから、後に戦死の状況などを調べた遺族らが、東条を靖国に祀ることに反対したのだろう。

 次郎三郎は、家康となった暁に、元服に達した信康と、自分の正体を知る築山御前を、信康の妻である信長の娘五徳に罪をなすりつけて殺してしまう。そして、信忠が優秀だったのに、無能とし、信長の信康への嫉妬に摩り替えたという。

 信長は、松平の系列の元康ではなく、次郎三郎の家康と同盟したわけだが、当時は、元康のつもりでいたという。後に、元康ではなく、次郎三郎だとわかり、家康である次郎三郎を処分しようと、安土に呼び出すが、次郎三郎は危険を感じ、先手を打って、光秀配下にいた斎藤玄蕃允や部落者を使って、奇蝶から信長の居所を突き止め、本能寺で爆殺し、信忠も二条城に誘き寄せ爆殺したという。そのときに使われた火薬が最新式のものだったという。

 次郎三郎も幼少のときに身売りされたように、戦国時代では、人身売買が普通に行われていたようである。人身売買は、明治期まで、続いていたようだ。このようなことは歴史の教科書には一切載せないので、新興宗教の教義を習っているようになり、実情がわからなくなる。

 だから、孔子の「民は之に由(よ)らしむべし。之を 知らしむべからず。」が、本来の意味の、「民に一々説明するのではなく、まず自分が実行して見本を示せ。」というのではなく、「説明しても理解できないから、騙して言いくるめろ。」になるわけだ! 

 これは現代人の精神が腐敗している証拠である。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013年02月27日 16時29分52秒
コメント(0) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: