シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年03月15日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は、まるっきり、虚構である武士道を、八切止夫作品集から抜粋紹介したが、では逆に、実際の戦争体験の話を、続けて、八切止夫作品集から抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

われらの告発 白日下の戦争体験

 中央公論のグラビヤ撮影のため、生れて初めてオヤジさんと二人きりで写真をとった。もう七十をすぎているのに弁護士として忙しく、リオから戻ってきたばかりである。他人ならば、お元気で何よりですというところだろうが、親だけに考えさせられる。

 (自分もあんな年齢になるまで、あくせく動き廻らねばならぬのか)と思うとリツゼン[慄然]として、早く死なねば困るとしみじみ考える。

 なにしろ私は1945年の夏、あまりに死をみすぎている。

 ふつうの戦争体験というのは、命令下において束縛されながらのものだが、私は、まったく自由の立場で、8月18日に、油で汚れた赤黒いボロ布をさげた重戦車の後から麻袋をかぶったり、一糸まとわぬ生れたままの姿の日本人が、元寇のときの捕虜のような格好で、群れをなしぞくぞくと続いてくるのに、まずドギモをぬかれたものだ。

 彼らは引揚げの途中で満人に襲撃され、(当時衣料切符が満人へは配給がなく、不足してきていたので)身ぐるみはがされていた。

 抵抗すれば叩き殺されてしまう。そこで仕方なく赤い戦車のキャタピラの音をきくと、女達をギセイに供してその後に命からがらついてきたという話だった。



 すると餓鬼のような連中が、「うおッ」と叫んで、その奉天警察総局の高級警察官を囲んで、もみくちゃにした。

 やがて満人警官が発砲してその高官の死骸は曳きずっていったが、八百人の連中は神社につづいた夏休み中の小学校の建物へ入りこんだ。

 満人や赤軍に散々いためつけられた彼らは日本人には強く、三々五々お貰いというよりは遥か高圧的に、食料その他の徴発にきた。

 「尻をまくる」という言葉があるが、私のところへ現われた三十女のごときは、「こうみえたって、わたしゃ満人は五十と二人、ロスケ[ロシア人への蔑称]だって四十余人にやられてる女なんだ」と、縮毛のはえたところをめくって、下から逆かなでしながら喚きたてた。

 やがて進駐した赤軍が占領体制をとると、「ダワイ」「ダワイ」と夜ごとに銃声をならして訪れてくる連中をさけるため、社宅のようなところは棟が一つだから、窓や戸に板をはって出入りは梯子を使う俄か作りの城塞をこしらえたが、私の住まっていた春日町や浪速通りは商店街なので、一棟が二戸ずつに分かれ、そうはゆかなかった。

 兵役はないのだが人手不足のため、嘘みたいな話だが、当時の北春日在郷軍人分団長にされていた私が、商店街のおっさんから警備方をコンモウ[懇望]された。しかし私は弱った。

 分団長に私がなったのは、根こそぎ現地動員でみな持ってゆかれ、誰もいなかったからである。一人ではなんともなるはずがない。

 そこで西部劇のような具合に、北春日小学校へ行って補助シェリフを募集した。「難民」とよばれている彼らの中から、用心棒を選んだ。鉄西から運搬途中に入手した銃器弾薬があったからだ。しかし、ダワイよけに編成したはずの連中が、雪のふりだした十一月の末に、脱走兵と組んで暴発をした。

 なにしろ前は憲兵隊と組み、赤軍進駐後はロスケの手先となって脱走兵狩りをし、同胞をシベリヤ送りにしていた奉天警察総局へ「それっ」と暁の攻撃をかけ、日本人が日本人の警官を雪中にひきずり出し、興銀前の並木を、ずらりと首吊りの木にしてしまった。

 さてこの後が大変で、案外に日本人にはレジスタンス精神がなく、すぐ、長いものには巻かれろといった考えが多いのか、自分だけ助かろうと密告者が多く私も逮捕された。

 しかしクラフチェンコ司令官の見解が、「旧日本軍残党の暴動」という方針だったらしく、一旦はモスコー送りになった私も、全然兵役経験がなかったせいなのか戻された。



 形ばかりの配給だった粟もこなくなった。

 銀行が封鎖され金のなくなった私は、自分の蔵書を並べて売り、見るにみかねて資金のカンパをしたが、とてもそんなことでは、餓えた同胞たちへの助けにはならなかった。

 女は切羽詰れば身体を売るというが、それも買手があればこそで、化粧でもしなければ飢えた女たちを、誰も相手にしなかった。

 だから子供づれの女は、眼前のチェンピーやマントウをかうためや、己れを売る化粧品代に、赤と紫の赤軍軍票の百円か二百円で、わが子をみな売っていた。毎朝、北春日小学校の入口には、子供を買うマーチョが並んでいた。つまりこんな具合だったから栄養失調やハッシンチフスで一日に二十人位は死んだ。

 北陵の日本人墓地まで運べないし、火葬にする薪もない。凍った校庭の土は掘りようもない。だから並べて積むしかない。しかし月六~七百の死体が零下二十度の気候では、冷凍マグロのごとく固まってくっついてしまう。



 それが贋物の八路軍だとは後で判ったが、「救国革命軍」の本営へ、やむなく文句というか陳情にいったところ、髪のはえた大男が、「死んだ者が生きている人間の役にたって、薬になるのに‥‥なにを吐かすか」と青竜刀をひきぬかれ、私はコツンとやられてしまった。

 だから私は今でも漢方薬の黒焼きを嫌う。

 異民族支配下になることも厭で堪らない。共産主義を敬遠するのも肌身にしみているからだろう。

 ☆  ☆  ☆

 異民族支配下で、せっせと売国に走る、いまの日本人をみると、この国は既に死んでいるのではないか、と思う。少なくとも、歴史上では死んでいる。いかに武士道が見掛け倒しなのかがわかる。

 それは原発事故を起こしても誰一人として切腹しなかった経営者をみれば、武士道が過去にも現在にもなかったニセモノの某政府広報機関の歴史ドラマと同じ、単なるフィクションであることがわかる。

 日本人があまりにも同胞を裏切るので、歴史を語る上で、名目上、武士道という建前が欲しかったのかもしれない。その建前に騙されて命を落とすのは憐れというか愚の骨頂だろう。 





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Last updated  2013年03月15日 12時28分41秒
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