シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年03月19日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 八切止夫作品集を読むと、日本人ほど(この日本人という括りも問題なのだが)、洗脳されやすい民族はないのではないか、と思えてくる。そのような話を続けて、八切止夫作品集から抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆ 

われ銃をとらず 間女狩り間男狩り

 破壊活動、襲撃事件八十余回に及ぶプロレタリア左派機関誌の、就任すれば捕まるだろう編集長の椅子にサルトルがついたという。

 そして学生たちとサルトルは共闘すると伝えられたから、私はこの夏リスボンへゆくついでにフランスの入国査証をも、一緒にとるつもりである。日本からだとパリは遠いが、リスボンからならわけはない。

 朝刊をみてイベリア航空にのれば、ニース、パリと三時間でオルリー空港につき、ターミナルから神田の学生街にあたるカルテェ・ラタンまで、昼すぎにはついてしまえるからだ。

 「となりの大人はおおきく見えます」

 六十五歳になっても桃色のシャツをきて、学生たちの先頭にたつサルトルに、男心に男がほれて飛んでゆきたいような、そんな心境でもあろうか。

 さて、かつては「英雄待望論」といったのが叫ばれた事があって、豊臣秀吉や西郷隆盛、乃木大将や東郷元帥がもてはやされた。つまり日本的英雄というのは、どうも戦争に対して積極的な関心をもちるぎる型が多いので、そういうのは流行した後は、勝つならまた話は別だが、負けるような戦まで、勢いこんでやるから困らされる。



 「亀の甲より年の甲」というが、いくら早熟でも才たけていても、二十歳は二十年の人生経験しかなく、サルトルにはなんといっても、その三倍余の人間としての体験があるのである。

 なにしろ、前には、「人間の生命は、地球全体より重い」といっていたくせに、今や日本の大人は、この前のシージャックの公開死刑みたいな時には、「見事に命中し倒れました。なお用心のため危険をおかして駆けよった係官は、後手にねじあげ手錠をかけました」と、いっていた警官の行動説明のアナウンスに驚かなかった。

 だからテレビで現場放映をみている側は、「人工衛星の飛ぶ世ともなれば、地球も軽くなったものだ‥‥まして人命のごときはこうなのか」とアフリカの猛獣狩りの実況放送みたいに諦めてしまう感覚さえもってしまった。

 そして後日、これをめぐって街頭討論にでてきたK氏が、「アメリカでは警官が誰何し三度目に撃ちます。私は実際に見てきています」とまでやっつけたのには、うちへきていた学生達などは口をあんぐりさせてしまい、「ああ、日本のオトナは‥‥」と、ニャロメよばわりして。

 俳人として有名なK氏は、射殺やむなしの側で発言したのだろうが、学生達は三度目に撃たれるのはアメリカ人といっても白人でなく、黒人に限定されているのを知っているからしてその不満を口にしたらしい。

 ところがK氏だけでなく日本の指導層の大人たるや、非常に時流の動きに敏感で、頭の回転レシーブがよくきくのか順応性が実に早い。

 終戦直後の日本内地は知らないが、満州奉天にあっては、その年の八月十四日までは、「北辺の守りは堅し関東軍」と叫び、「在満邦人に告ぐ、鬼畜米英を防がん」とラジオ放送していた奉天総務局の大人は、十七日に赤旗をたてた重戦車隊が、カタピラをがなりたてて北陵から進攻してくると、「在満日本人に告ぐ、決して反抗してはならない、街路を掃除して友好ソ連軍を迎えなさい」となり、

 掠奪のダワイ騒ぎが始まると、「すすんで友交を示し国際親善のため、記念品の供出に協力すべし」となり、掠奪を防いでくれるどころか、持って行かれるのに邪魔するなとなり、やがては、親善使節の名目で二十代の日本女性の供出まで、日本人指導者は町会へ割り当ててきた。

 そして十月になると今度は、「かつて兵役にあった男子は調査したいことがありますから、各自その日本人町会事務所へきて下さい。これは配給を高梁から米に換えるための人員調べです」命令してきた。

 クラフチェンコ赤軍元帥の占領宣言以来、日本人は米食を許されず高梁配給であった。

 それに、紛れこんできた兵隊が、日本人の家に作男や下男みたいな恰好で住みついていたが、彼らは幽霊人口ゆえ配給はなかった。駅前の振興洋行の今は亡き佐奈木十郎さんのお世話でもらっていた粟で彼らや難民の婦女子を食わせていた。



 ところが脱走してきている兵隊は勘が良い。(これはおかしい)とトラックから逃げた。

 こうなると頭数が合わなくなる。そこで在満邦人会幹部は奉天総務局の役人と共に、(兵隊あがりらしい男が匿れていないか)と邦人の家々を調べて廻っては連行した。

 夫が出征した留守宅などは赤軍派のダワイを恐れて、用心棒代りに住まわせていた処も多かったので、これを当時、「間男狩り」ともいったが、十一月になると北陵の収容所は発疹チフスで死ぬ者が多く、又しても人員が不足してきた。

 そこで、「お国の為であり在満邦人全体の為である。兵役の有無に係らず四十歳以下の男子は、進んで名のり出るよう」回覧板がまわされた。

 が、どうもシベリア送りになるらしいという噂がたったので、誰もそうなっては志願者など現われようはずもなかった。すると、「該当者にふさわしい男子の所在地を密告した者に限り、ソ連軍協力者としての目印の腕章を与え、自由に街路も歩けるようにする。他に粟五斤を一人につき報奨として渡す」となった。



 だから、ふつうシベリア抑留者というと、戦線で武装解除をされ連れてゆかれたように思われがちだが、都市周辺で集められたのは、殆ど同胞のオトナに売られた連中である。

 樺太や千島からの引揚者は今でも交際しあっているが、満州引揚者というのは相互の不信感がひどく、全然行ききをし合わぬのは、こうした密告がひどかった所為である。

 さて赤軍が片っ端からダワイした機械類を、強制的に狩り集めた邦人の男共を人夫にし、運びださせた後に、今度はすぐ国府軍がきてしまった。

 そこで、こうなると、「在満邦人に告ぐ。ソ連軍進駐時にその利便を計った者は、すぐさま届け出て下さい。

 もし国府軍によって摘発された場合は、邦人会になんの援助もできません」と命令が目めぐるしく変わって、また伝わってきた。

 ☆  ☆  ☆

 文字数制限を超えるので、次回に譲る。





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Last updated  2013年03月19日 16時13分03秒
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