シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年03月28日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 恐らく、日本人ぐらい自国の歴史を知らない民族もいないのではないか?と思う。そもそも、日本人という言い方もおかしいのだが、他に呼び方がないので、とりあえず、「日本列島に定住してきた人」という意味で使いたい。

 日本とは、各大陸から流れてきた人々が集って生活することで、生まれた他民族国家というのが、現実らしい。

 八切止夫氏によると、日本の歴史が出鱈目なのは、伊藤博文が、ドイツ人の如何わしい歴史家を雇い、明治政府に都合のよいように、日本の歴史を捏造したのを、そのまま暗記科目として習わされているせいであるそうだ。

 八切止夫作品集によれば、騎馬民族系末裔の源氏、海洋民族系末裔の平氏の2つが原住民系で、大陸から郭ムソウ(藤原鎌足)に引きつれられてきた約2万人の支配者階級の末裔が藤原(唐「とう」を原にする)氏、そして、唐を滅ぼした契丹系の末裔が、橘氏と、4つに大別でき、それぞれの象徴色は、源氏が白、平氏が赤、藤原氏が黒、橘氏が黄という。とすると、源平藤橘は、日本列島にやってきた順番ということになる。

 しかしながら、日本史の教育では、日本人としてはじめから民族的に統一されていたかのように教えられる。明治時代となんらかわりがないのである。全く進歩がない。

 歴史番組といえば、共産主義のイデオロギーのように、思想洗脳というか暗記を強制された事柄を、ありがたがって議論するような、どこか宗教じみた信者のような馬鹿な連中ばかりが喧々諤々と議論しているからアホ臭い。

 日本史は、日本歴史教という新興宗教になってしまっているので、八切止夫氏の歴史考察についての以下の興味深いサイトから抜粋紹介することで、思想洗脳を自らで打ち破って欲しい。

 ☆  ☆  ☆

維新戦争はグレシャムの法則
http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/meijiishin.htm

(虚構の国・日本列島)
 「権力が勝手気儘に歴史をデフォルメしいてる点において、日本列島は、まこと万国無比らしい。現在の時点に立脚し、もし極論すれば信頼に値する程のものは希有である」とさえ極言するものすらある。

 「Random(出鱈目)なことを教えるのは良くないと思った。そこで日本に於ける歴史教育を廃止した」と進駐軍の教育局長として来日した米人でさえ、はっきり明言して憚らなかったという言い伝えさえもある。それでは日本の歴史が何故かくも出鱈目かといえば、これは対比史料がなく、いくらでも偽造できたからだと戦後は謂われている。

 ドイツあたりなら、カイゼルやビスマルクがいくら歴史を贋作しても、周囲の仏、白和、丁、波、瑞の国々の歴史を参照すればすぐ化けの皮が剥がれるが、周囲を海で隔離された日本列島には、比べるべき隣国の歴史が皆無のせいらしい。

 朝鮮にあった史料も「日韓合併」のおりに、明治政府が握り潰し証拠湮滅したから、『漢書地理志』にある「楽浪の海中に倭人あり」とか、「邪馬台国あり、女王にて卑弥呼」ぐらいな頼りないものしか現存しない。

 あと十六世紀の織田信長の頃に、日本へ来ていた宣教師がジャワへ送っていた通信文の「バタビヤ資料」がオランダの図書館に残っているぐらいである。そして幕末に入っても「ゴンチャロフ旅行記」や英国大使館員だった「サトー日記」など、好奇心による報告書の一部が伝わっているにすぎない。

 まるっきり目隠しをされた儘で「歴史屋」とも呼ぶべき商売人のものを読まされている。それに幕末に我が天下を取た薩長政府も無茶をしている。だいたい片寄った南西系だったことと、彼らが軽輩上がりで無知だったせいもあるが、「反徳川だから秀吉は勤王であったろう」といった考えからして、それまでは禁じられていた豊国神社の再建を許し、正一位にしてしまったりした。時の権力がこんな事をしてしまうと、歴史家もそれにばつを合わせてしまう。

 だから、故黒板博士もしきりに「秀吉勤王説」を説いている。

 しかし、秀吉の最大の勤王の事績というのは、己の建てた聚楽第へ、ときの、「後陽成天皇」をお迎え申し奉仕した事だが、こんな人を食った話もない。京都の中心地の五条から四条にかけて広大な面積をとって、寺や民家を追い払って秀吉が建てたそれは何かというと、自分が帝位を継ぐために造営した己の御所だったからである。

 しかも後陽成天皇と申すのは、当時の奈良興福寺の多聞院の和尚の書き残した日記によると、当時の秀吉たるや、

 「正親町帝に対し奉って、自分は持萩大納言の娘の子で、まこと先帝の遺児である」



 しかも後には、その後陽成様を今の北京へ移すべく征韓の役さえ起こしている。こういうのが勤王家であるといったより作成されたフィクションをそのまま教え込まれそれを鵜呑みにしてきたのであるから堪らない。だから講談や浪花節までが「歴史」として扱われたりするのである。

 <神の民>と<仏の民>の正面衝突であった元禄事件でさえも、今日の時点では、およそ三百に及ぶ「赤穂義士資料」の刊行を見ながら、講談浪花節的解説から一歩も出ては居ない。未だに本質の究明はされていないのだ。何故かというと、浪花節の文句を歴史と間違え、講談を正史と満足している人が多いからだろう。

(鎖国の真実)
 だからして「門前の小僧、習わぬ経を読む」式に昔は詰め込み主義で、一応に「神武、綏靖、安寧・・・・・」等と棒暗記させられた。だがさて、戦後、世界教育会議に出席した連中などに聞き合わせてみると、「歴史を丸暗記式に教えたのは日本だけ」だという。つまり他国では polish study (検討)すべきなのに、この国では(研究されては不可ぬから)と頭ごなしに暗記させてしまったものらしい。

 敗戦直後には「大本営発表」がほとんど嘘っぱちだったと、真相を明白にされて愕いたものだが、日本の歴史も(暴かれていない大本営発表)と思えばまあ間違いない。



 「春雨じゃ、濡れて行こう」と詩情を見せる月形半平太が、愛する雛菊、千代菊を残し、憎むべき新撰組の刃を受け、「勤王尽忠」と、寺の唐紙に己の血汐で指で書きながら絶命する壮烈なシーンを見せつけられては(これこそ崇高なモラル)と、かっての青少年は誰だって昔は感激したものだ。

 今日のスーパーマンに当たる「鞍馬天狗」のおじさんが、杉作少年と共に勤王の志士を助け「正義の味方だ」と叫べば、幼児だって「勤皇は正義」と思いこんでしまう。しまいには、「勤皇か佐幕か」なんて映画まで出てきて、チャンバラ映画が国民道徳精神を振興させた。だから昭和十一年から二十年までの十年間に、この教育を受けた年代は、自分も勤皇の志士になったつもりで、みな水漬く屍になったり、草むす髑髏にされてしまったのだ。教育だけでなく影響力は色々なものから受ける。

 ☆  ☆  ☆

 字数制限を超えるので次回に譲る。





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Last updated  2013年03月28日 14時38分03秒
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