シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年06月04日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 さて、人間では、「下等生物のような再生はあり得ない」、という思いを抱くだろう。実際、指や腕が切断されても、下等生物のように補充できたなら、とても素晴らしいだろうが、人間では不可能である。

 そこで、次のような疑問が生じる。

 「下等生物の成長を形成し、損傷を受けたときに顕著に現れる、この再生力は、人体では一体どうなってしまったのか? この再生力は、人間には失われてしまったのか? そもそも人間には全く存在していないのか?」

 という疑問である。

 事実に即して自然を観察し、人間における精神と物質との関係について、自然に即した見解に到達するには、本質的に、霊的な方法に通じて行くしかないことがわかる。

 つまり、上述した「再生的な」というか、そのような生命創造としてはじめて遭遇する再生力、言い換えれば、リズミカル(波動的)な霊的な経過から、直接、形態を創出する力は、人間では、様々な器官や組織からすっかり取り出され、霊魂のなかにだけ存在している。

 (下等生物の場合、器官そのものがいわば「思考し、感じている」と考えられる。)

 すなわち、人間の再生力は、霊魂のなかにある。

 この再生力が、様々な器官や組織から取り出され、もはや器官や組織の再生力でなくなったことで、人間は、この力を特別な形で所有している。人間は、この力を、自らの霊魂の能力のなかにもっている。



 人間が、物質から引き出した再生力を使い、思い、感じ、意志できなければ、人間は知性をもたなかっただろう。従って下等生物を眺めれば、次のような答えを得る。

 「この下等生物の内部に潜んでいる再生(造形)力と同じ力を、人間ももっている。けれども、人間は、この力を、物質器官から取り出し、自身のためだけに所有している。そして、外界の下等生物の世界では造形的に働く再生力を用いて、人間は思考し、感じ、意志する。」

 今日のように、意味不明な言葉(用語)で心理学をつくるのではなく、人間自らの霊魂の能力で、つくるなら、思考、感情、意志の過程を、次のように本質的に追求しなくてはならない。

 「下等生物では、形態(造形)のなかに現れている経過を、人間では、霊魂のなかの経過として、思考、感情、意志のなかに明確に示す必要がある。もはや人体ではできないことを、人間は、内部の魂の経過のなかに、いかに遂行しているか、を少しでも考えてみるとよい。」

 人間は、忘れてしまった一連の思考を、他の媒体などから補充(再生)できる。記憶の補充(再生)方法は、以前、下等生物の再生に関して、傷口に直接隣接した部位ではなく、外界から離れた内側の奥から現れる、と説明した事実と非常に酷似している。

 内的な魂の体験と、外界において形成される自然の様々な力や原理との間には、完全な平行現象が成立している。

内的な魂と外界の自然との間には、完全な平行現象が成立している。

 この平行現象に注目すべきである。そして、外界において、根本的な治癒原理としてある再生力は、人間が霊魂の能力として、自身の人体から既に完全に取り出したもので、その結果、その再生力は、人体においてはもはや、物質や物質を構成する素粒子の基礎にはなっていない、という事実を示すべきである。

 (人間は、自然の再生「治癒」力を、思考力として取り出した。)

 とはいえ、人間は、再生力を、人体全てから、同じ割合で取り出したわけではなく、取り出しかたはそれぞれ異なっている。いままで展開してきたような予備知識を、いわば身に備えている場合にのみ、人体に相応しい方法でアプローチできる。

 とはいえ、神経系を構成する組織全般を観察すれば、次のような特徴に気づく。



 (つまり、再生力が旺盛であることが期待できる。)

 けれどもまた別の観点からみれば、この視点は全く異なる。というのも、例えば、神経細胞は増殖力を持たないからである。神経細胞は、血液細胞と同じく、形成された(分化した)時点で分割不能で、増殖できない。

 つまり、人間の神経細胞から、下等生物の細胞に与えられた再生能力が、比較的、初期に奪われ、取り去られている。だから、神経細胞は、初期の進化段階にとどまり、この進化段階で、いわば麻痺(終結)させられている。

 この神経細胞のなかで麻痺(終結)させられた再生力が、自らを霊魂として分離する。その結果、実際に、人間は、かつてもっていた器官再生力を、自らの霊魂の能力のなかにみつけるが、この霊魂の能力を獲得できたのは、初期段階で殺した、少なくとも麻痺(終結)させた神経細胞の性質の御蔭である。

 (原始の細胞のなかで、再生力を殺し、麻痺させ、神経細胞として所持し、組織化したことから、人間の霊魂の能力が生まれた。聖書の記述だと、智恵の実を食べたことに相当する。)



 (神経細胞は、初期の形態で麻痺させられ、原始細胞の形態をとりながらも、その再生能を、霊魂として抽出した。)

 以上の事実から、この神経細胞が、一面では、かなり原始的な形態に類似し、発達(分化)した段階でさえも、原始的な形態をとどめているにも関わらず、人間では、通常、最高とされる精神活動に奉仕する、という特性を備える理由がわかる。

 以下は、ちょっとした挿話で、考察の本筋ではないが、表面的に、人間の頭部を観察するだけでも、つまり、人間は、頭のなかに様々な神経細胞をもち、この細胞群が、いわば固い装甲のようなもので覆われているわけだが、この構造は、高度に進化した生物よりもむしろ下等生物を思い起こさせる。

 (例えば昆虫など)

 人間の頭部は、言うなれば有史以前の生物を想起させる。人間の頭部は、原始生物を少し変形させたようにみえる。下等生物の特徴について語るとき、現代では、通常、次のように述べる。

 「下等生物は外骨格をもち、高等生物や人間は内骨格を有する。」

 けれども、最高度に発達している人間の頭部だけは(下等生物と似た)外骨格をもっている。この事実は、少なくとも先に述べた最も原始的な形態が、最高度に進化した(精神の)活動に奉仕する、というような特性に対する一種の基本原則となり得る。

 さて、少し考えれば、上述のように、人体から奪われてしまった再生力を、病気と称されるような状態を通じて(後に詳しく述べるが)、人体に補給するように働きかけるなら、つまり、外界の自然のなかに存在し、人間は霊魂の能力として使うため、人体からは奪われてしまった再生力を、植物などを薬剤として用いることで、人体に補給するなら、人体から奪われてしまった再生力を、再び喚起させることができる。

 人間になったことで、霊魂として、人体から取り去られた再生力を、自然から、再度、人体に付与することで、人体の再生を支援できる。

 以上から、さしあたり治癒経過と呼べる治癒原理の姿が仄かに見えてくることがわかる。つまり、治癒経過とは、人間が通常ではもたない外の自然のなかにある様々な再生力を、人体の支援に利用することであり、自身内部の再生力を通常よりも強めるために用いることができる。

 (自然のなかにある再生力を、薬剤として利用し、人体内の防御力を高めることが治療原理である。)

 ここで、多少とも具体的な話をするために、とはいっても、ただ例として挙げるだけだが、人間の器官、例えば肺を取りあげてみる。

 肺のような器官にも、霊魂の能力のために、再生力が取り除かれた形跡が判明する。肺から取り除かれた再生力を探求すると、植物界に辿り着き、肺に何らかの障害がある人に、植物界から、この再生力を付与すれば、肺の働きを助けることできる。

 すると、次のような疑問が生じる。

 「人間の様々な器官の基礎を成していたが、霊魂の活動のために取り除かれてしまった再生力に類似する力は、外の自然では、どのような力なのか?」

 という疑問である。

 このような疑問から、これまでの単なる試行錯誤による経験的な治療から、一種の治癒原理(ラツィオ[Ratio])に到達する方法が発見できる。

 しかしながら、人体内に関して、現代人の多くが陥っている、神経についての誤謬と並んで、外の自然についても見過ごされてきた誤謬が存在する。

 今回は、この誤謬の暗示だけにとどめ、後に、更に詳しく説明する。唯物論的な時代において、多くの人々は次第に、いわゆる最も単純なものから最も複雑なものへと、外の物質的存在の一種の進化論を考えるようになった。

 (ダーウィンの進化論のこと。)





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Last updated  2013年06月04日 10時36分52秒
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