シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年06月27日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 三次元思考から脱するには、エメラルドタブレットの内容が有益であることを、事あるごとに紹介してきた。例えば、以前、ニュートン訳のエメラルドタブレッドにもある「上にあるごとく、下にもある」という格言は非常に興味深い。

 この「上にあるごとく、下にもある」という格言から思い浮かぶのは、三種の神器の勾玉である。

 勾玉の形から、「稲穂(米のかたち)」を連想する人もいるだろうが、「稲穂」から更にまた、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺を思い浮かべる人もいるだろう。

 この諺は、宇宙の摂理を解いているのではないか、と思われる。それは循環の原理である。

 「上に行くほど、下に通じる」という意味である。つまり、「上にあるごとく下にもある」という格言の意味も含んでいる。

 以前、自分の尻尾をかむ蛇の図(以下)を紹介したが、この図は、このエメラルドタブレットの内容を表している図のようにも思える。
2013031423314880c.jpg

 上に行けば行くほど、下から返って来る、というように、それはまるで4次元の世界のようである。

 つまり、この4次元の世界のなかに、循環の原理があり、上から下への陰陽の変換の働きのなかに、上と下をつなぐ神の存在があるように思える。



 真(ホンモノ)と偽(ニセモノ)の判別のしかたについてである。 

 ☆  ☆  ☆

触媒
http://ameblo.jp/universal-mitamamigaki/entry-11040633210.html

テオドール・イリオン著「チベット永遠の書」より1 2011-10-07 12:45:21

 「チベット永遠の書」より

 内容の一部です。徳間書店より発刊されています。

 大英博物館に50年も封印されていたという記録文献で、冒険の話も面白いのですが、霊的な事象に関する出来事が現代の日本社会でも通じることが書いてあり、とても興味深いです。

 当時のチベットでは宗教が民衆支配の道具として利用されていて、(今でもそうだと思いますが、)

 いわゆるチベットの聖者として、高位とされる人の中には、2種類のタイプがいるようです。

 A)真に霊性が高まり、世俗的、物質的なことに拘泥せずに、肉体的にも精神的にも釈尊の教えを体現している

真の隠者

このタイプは会いたくても会えないそうです。

 なぜなら、彼らが誰と会い、何を話すかは、高次の霊的生命体によってコントロールされているようで、彼らが真に必要と認めた場合に限り、例外的に超自然的な力で他者のケガを癒したり、いわゆる奇跡的な活動が行われるということが、読んでいて伝わってきます。

 B)いわゆる寺院の高僧とされるラマ僧たち

 仏教の教えの本質を民衆に伝えるのではなく、外面的な修行、人に見せつけるための断食や、瞑想などを行い、他者の尊敬や、歓心を集めることを目的とし、世俗的な成功の手段として宗教や、霊的な行、寺院組織を利用している

偽隠者



 (日本の坊主もこの類。そもそも「坊主」という名称は進駐軍の頭という意味らしい。権力を笠にして金儲けをする罰当たりな連中ということである。神様を信じてないから、ああいう罰当たりができるのだろう。坊主なんかやめて、税金をしっかり払う真っ当な職業に就くべきである。皮肉ですが、連中は皆地獄に行くために修行しているようなもんです。)

 日本のTVなどで氷点下の気温の中で水に濡れたタオルを体にかけて乾かすパフォーマンスをする人も偽隠者に含まれるでしょう。

 (厳しい修行をすれば立派な教えが得られると錯覚している糞坊主のことで、苦行など意味がないことを、釈尊が既に説いている。)

 偽隠者も寒さを克服し、極寒の中で裸でいられるといったある程度の肉体的な能力は修行によって開発しているようです。

 しかしながらその能力を自身の霊性の高さの証明として利用することが目的になるようです。

 (苦行した報いを求めるのは、利益のために苦行をしていることで、悪魔の働きである。)

 他にも興味深いのは、フリーメーソンとか、イルミナティとの関連を連想させる秘密結社のような存在も書かれています。

 ―― 転載開始 ――

 ドイツ人探検家テオドール・イリオンは、まだチベットが外界と隔離されていた頃に、初めてこの神秘な国の奥深くにまで潜入した数少ない西洋人の一人である。

 彼は流暢なチベット語を話せたが、当時チベット領内に外国人が入ることは違法とされていたため、放浪するチベット人巡礼者を装い、この地に入る決断をする。 

 1934年から1936年にわたり、生死を賭けた幾多の冒険と死からの奇跡的生還を経てドイツに帰国した。

 本物の隠者たちは、精神集中をするために暗室の中に入るといった外面的修行に頼る必要がまったくないのだ。

 彼らが隠遁するとすれば、それは好奇心だけの人間と接触しないためである。

 ところで、真の隠者たち全員が、隠者とわかる姿をしているわけではない。

 中には隠遁生活をまったくせずに、ごく普通の人間のようにみせかけ、隠者でなければその正体がわからないという者までいる。

 こうした人々を識別するための「外部的なしるし」というものは何一つない。

 チベット真の隠者たちが必要とあらば、不潔な生活習慣をとることさえ、いとわないのは興味深い。

 このようなことは、例えば、偉人崇拝に傾く民衆の心を正そうとする場合に起こりうることである。

 真の隠者の内には、チベットの僧院の中でラマ僧として、生活している者も少数ながらいる。

 宗教をビジネスにしてしまっているラマ僧、何らかの報いを期待して「霊的」になろうとしている類のラマ僧たちには、このような隠者ラマがもつ真の霊性を見抜くことは決してできない。

 あの僧院で私を救出してくれたラマは、この部類に属する人である。

 真の隠者は人を恐れさせたり、人に自分の力を信じ込ませたりといったことを決してしないが、偽隠者はこれを行う。

 真の隠者は人に与える物も、約束する物ももたない。

 ただ近づく人にこう言うだけである。



 誰もが自分本位に生きている。それは、利己主義が自分の幸福にとって必要だと、誤って考えているためだ。

 他人の苦しみを犠牲にして幸福を追い求めることが、この世のすべての苦しみをつくりだしているのだ。

 この瞬間にも世界のあちこちから響いてくる苦悩の叫びをすべてきくことができれば、あなたは決してそれに耐えることはできまい。

 それほど悲痛な叫びなのだ。友よ、あなたがこのようなことを知っていれば、何もせずにいられるだろうか?

 症状を和らげるのではなく、原因に直接向かうことだ。

 あなたの心を変えることだ。

 心が変われば、あなたは自分の教えに生き、その生きた実例によって、世界に影響を与えることだろう』


 このように、 真の隠者たちは、人生を変える原動力は内から湧き出てこなければならない と宣言する。

 外面的な行を使って聖くなろうとするのは誤っている。

 (坊主が黒衣を着るのは隠者と偽るための仮装なのだろう。恐らく、日本ではヤタガラスに起源があるのだろう。)

 このようなやり方は、人為的に作り出された「聖性」をひととき保たせ、本人の無情さを覆い隠す口実をつくるだけなのだ。

   ――転載終了――

 ☆  ☆  ☆

 ほとんどがニセモノということである。真の聖者なら、必要なものはすでにあることがわかっているので、金銭などを受け取ることはない。第一、金銭を貰えば、今度は金銭を与えるカルマを生じるので、金銭を稼がないといけなくなり、その分、不自由になるわけである。

 日本の仏教が金儲けに走っているかぎり、日本社会がよくなるわけがなかろう。 





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Last updated  2014年07月04日 15時44分36秒
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