シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年08月21日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前からの続き

 ☆  ☆  ☆

 心理学者たちが考えるところの潜在意識というものを、私がどのように位置づけているかと疑問をお持ちの方々に申しあげますが、それは内なる自己と外なる自己の間にある、いわば待ち合わせ場所のようなところであると想像してください。

 ここであなたがたに理解していただきたいのは、 実際は自己そのものに区分などない 、ということです。

 それでも、私たちが自己にさまざまの部分があると仮定して話すのは、単に基本的な認識を明確にしておきたいからにすぎません。私たちは今ここで、自己というものを「自分が知るところの通常意識である」と見なす人々に向けて話をしており、あえてこれらの事柄を冒頭の章にもってきました。

 なぜならば、ここで紹介する語句がこの本全体を通して用いられることになるということと、多次元的な人格存在が存在するという事実を、なるべく早いうちにお話しておきたいからです。

 人格というものが意識の「今ここに」在る属性のみで成り立っているとする、限定された考え方を取り去らない限り、あなた自身を理解したり、私を独立した存在として受け入れることはできません。

 私がこの事で物質的現実について述べるもののなかには、はっとさせられるような事柄もあるでしょう。しかし、私がまったく異なる見地から物事を見ているということを、どうか忘れないようにしてください。



 かといって、あなたがたの言う住人としてではありません。私には超自然的(サイキック)な「パスポート」がありますが、それでも言葉の翻訳に関する問題や、入国時ならぬ入次元時の不便によく出くわします。しかしそれはそれで、いた仕方ないことと考えています。

 多くの外国人がエンパイヤステートビルを訪れる一方で、長くニューヨーク市内に住みながら、そこに行ったことのない人も少なくないと聞きます。それと同じように、物質界に住所をもつあなたがたが未だ気づこうとしていない、その現実体系に存在する摩訶不思議で驚くべき精神的あるいは霊的世界を、私が開示できるかもしれません。

 しかし率直に言って私はそれより遥かに多くのことをしたいと望んでいます。私はあなたがたと手を携え、あなたがたが体験しうるレベルの現実を訪ね、そこをご案内したいのです。

 また、あなたがた自身の精神構造のなかにある各次元をともに巡りながら、意識のあまり気づかれていない場所を開け放つことができればと思っています。つまり私は、単に人格という存在の多次元的側面を説明するにとどまらず、読者の方々一人ひとりに、本人さえも気づかない自身の並外れた在り方を垣間見ていただきたいのです。

 あなたがたが知るところの自己とは、あなたの存在全体から見れば一部分にすぎません。けれども、そうした自己の各部分が、糸に通したビーズのようにひと繋(つな)がりになっているわけではありません。

 どちらかというとタマネギのひと皮ひと皮であるとか、ミカンのひと袋ひと袋に似て、1つの生命の源からそれぞれが生まれ出て、さまざまな現実(リアリティ)へと成長していっている、というふうです。

 私はなにも、人格をもつ存在をミカンやタマネギになぞらえたいわけではなく、全体自己の各部も、それらと同じように内核から外へ向かって成長していくことを強調しているのです。

 あなたがたが観察できるのは事物の外側という一局面だけです。体の感覚は、あなたがたが事物の外観を知覚することのみを認め、あなたがたはそれに対して反応を起こします。

 肉体的な感覚はこのようにしてあなたがたが現実(リアリティ)の外側を知覚するよう、ある程度仕向けるため、物質や形のなかに宿る生命力をさほどはっきりと感じ取れなくなっているのです。

 たとえば、クギのなかにさえ意識は存在しています。しかし読者の方々のなかにそれを真に受けて、周囲を見まわし、柱にクギがささっているのを見つけて、クギに挨拶しようとはまず思わないでしょう。

 しかしながら、そのクギの内部の原子や分子には、それら独自の意識があります。この本のページを形づくる原子や分子たちも、それら独自の意識レベルにおいて目覚めた状態にあるのです。



 従って、あなたがたが不断のエネルギー的高揚にあっても、ある目覚めたエネルギー・ゲシュタルトの渦中にあっても、あなたがた自身は己の何たるかを自覚する、意識ある細胞たちによって、物質として構成されているのです。

 【ゲシュタルトとは心理学用語で、全体があるまとまりをそなえた物事の枠組み。形態。】

 意識ある細胞たちは、あなたがたの肉体という構造体を形づくることにすすんで協力しています。

 私がここで述べたいのは、言うまでもなく、死んだ物質というものは存在せず、意識の関与なく形づくられた物体も1つとして存在しない、ということです。物質を形成する意識たちは程度の差こそあれ、それぞれの知覚力と創造力のなかに歓喜を讃えているのです。そのことを理解せずして、自分は一体何者なのかという問いに答えを出すことはできません。

 あなたがたは、肉体のもっとも微細な部分の間で取り交わされる無数のコミュニケーションを不都合を理由に閉め出してしまいました。しかし、肉体をもつ生き物とはいえ、あなたがたはあるところまでは別の意識たちの一部でもあるのです。あなたという自己に限界はありません。そしてその潜在能力も際限がないのです。



 あなたがたは真実を否定することはできても、それを変えることはできません。比喩的な言い方をすれば、多くの人間が頭の天辺(てっぺん)まで三次元の砂漠に埋もれてしまい、それ以外の次元は存在しないかのように振舞っていますが、人格をもつ存在は全て多次元的存在なのです。

 私は決して外なる自己を軽んじているのではありません。むしろあなたがたがそれを過大なまでに評価しているのであり、その真の在り方を理解していないのです。

 この点についてはまだ述べておきたいこともあるのですが、取りあえずこの場では、 あなたがたの自分自身という存在感覚や存続の感覚は、外なる自己、すなわち自我に由来するものでない 、ということを、よく理解していただければ充分でしょう。

 私は外なる自己が関わる物質界を引き合いに出すおりに、ときどきカムフラージュ(偽装)」という言葉を使います。物理的な形態というものは、現実が選ぶカムフラージュの1つだからです。

 カムフラージュ自体は実在するものですが、そのなかにはとてつもなく大きな現実(リアリティ)、すなわちその実在に形を与えた意識の力が存在しているのです。

 あなたがたには、体の感覚器官を通してこのカムフラージュを知覚することが許されています。なぜならそれらの感覚器官が、きわめて特殊なやり方で、カムフラージュと同調できるようになっているからです。

 しかしカムフラージュの内側に在るものを知覚するには、それとは別の種類の注意力と、体の感覚器官を通して可能な以上に洗練された巧みな手順が必要になります。

 (霊的器官を必要とする。)

 自我というのは妬(ねた)み深い神のようなものですから、ひたすら願望を満たすことを要求します。それゆえ自分自身にとって居心地がよく、理解の及ぶ範囲の現実だけに浸り、それ以外の次元や現実の存在は認めたがりません。

 自我は、もともと補佐役となるはずだったものが、どこかで専制君主と化すことを許されてしまったのです。

 (聖書の記述の知恵の実を食べたという逸話のこと。)

 たとえそうだとしても、自我というものは一般にそう信じられているより、遥かに容易に元来の性質を取り戻すことができるうえ、学びに関しても熱心です。しかも、見かけほど頑(かたく)なではなく、好奇心という極めて重要となりうる価値を携えているのです。

 もしあなたが「現実(リアリティ)」の本質について限定された概念を抱いているとすれば、自我はあなたが受け入れている狭く閉ざされた現実の領域に、あなたをずっと留めておこうと全力を尽くすでしょう。

 しかしその一方で、もしあなたの直感力や創造的本能が自由になったとしたら、そうしたものが、より崇高なる次元の何らかの叡知を、あなたの人格のなかで最も物質的な在り方に捕らわれている部分に伝えてくれることでしょう。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年08月21日 14時50分08秒
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