シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年08月23日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

 多次元的自己はこの現実(三次元)のなかで、それ以外の状況では出現し得なかった種類の創造性と発展性を生み出します。しかしその後、目下の体系(三次元)から、自らの一部としての三次元的自己によって演じられるまた別の舞台、つまり別の具現化へと自分を推し進めていくのです。

 多次元的自己が、三次元状態の間は、三次元的に助けられる方法で他者を助けます。そうすることは、それ以外の次元では不可能なので、三次元的な自身のためになり、己の進化にも結びつくのです。

 さて、従って芝居の意義は、貴方がたの内側にあることになります。演技に長けているのは、貴方が自覚している部分だけであり、それは作品の設定が及ぶ範疇内で、確信となっている部分です。

 与えられた、どの転生に関しても、その目的は、貴方が知る表層的で意識的な自己の更に奥深くにある叡知を得ることにあります。それは貴方に可能なことです。様々な暗示や手掛かりもまた、貴方の手に入り得るものです。

 そして自らの多次元的人格全体の知識も自由に使うことができます。貴方がたがそのことをはっきりと理解した時に、その叡知をもって問題を解決したり、努力目標を達成したり、またその成就を貴方がたの言葉で言えば「早める」ことが許されるのです。

 さらに創造性の新たな境地を切り拓くことができ、それによって貴方の創作である芝居全体の内容が豊かになります。

 従って、多次元的自己の叡知が意識的な自己へと流れ込むことをある程度容認すれば、容認した分だけ、貴方は、芝居の役柄を効率的に演じることができるだけでなく、この次元全体に新しいエネルギーと、更なる洞察力や創造性をもたらすことになるのです。



 なお、多次元的意識である「貴方」は、それらとは更に別の現実においても、やはり意識をもつのです。

 貴方の真の自己である多次元的人格こそ本物の貴方であり、多次元的人格としての存在を、どの役柄においても自覚しています。

セッション522……1970年4月8日(水曜日)午後9時13分

 多元的人格が演じる、様々な芝居、つまり「時間的(時系列の)ドラマ」は、全体として特定の目的をもっています。意識は、その本質から、自らをできるだけ多くの次元において顕在化しようとします。

 なおかつ、自ら新しいレベルの理解や、新たな分枝を生み出そうとするのです。そうしていくなかで、意識は現実全てを創り上げていきます。常に現実が「何かになろうとしている状態」にあるというのは、そういった理由からなのです。

 例えば、役者としての役割のなかで貴方が抱く思考や感情は、別の役柄では依然として思考され、感じられる可能性がまったくないもので、新たなる創造性へと貴方を導くものなのです。

 意識のある特定の局面は、それ以外では如何なるやり方でも、その資質を充分に発揮することができないのです。

 貴方がたが輪廻転生を考えるとき、時間軸に沿った外面的な一連の進化過程を思い描かれるのではないでしょうか。しかし、むしろ内なる自己の表出法から様々な転生が生じている、というのが本当なのです。

 そうした転生は外部の働きかけによって貴方がたに押しつけられるものではありません。それらは貴方がたの意識が自ら開き、自身をできるだけ多くの方法で表現することによって起こる実質的進化なのです。

 その進化は三次元での1つの転生や、三次元的存在のなかだけに限られているわけではありません。

 進化が起こると、意識は多様な形をとるようになり、例えば蝶がその幼虫の青虫とは全く似ていないように、その時の形は、もはやそれぞれが似通っている必要もありません。



 そのようにして、自らの目的に適うように「世界」をつくり変えるのです。それぞれの場面設定が新たな進化を生み出します。

 魂あるいは人格存在は、高度な個別化を遂げた精神、霊的エネルギーで、現在貴方がたがまとっているようなどんな肉体も創り出すことができます。また、貴方がそこから生命力を引き出していることからもわかるように、それは肉体的存続の背景にある原動力でもあるのです。意識がじっとしていることは決してなく、常に更なる創造の可能性を探し求めているのです。

 つまるところ、魂は、二次元的な現実や、三次元的な自己に対して自らの特性を賦与している、ということになります。三次元的自己のなかに、魂の能力を見つけることは可能なのです。

 三次元的な自己は役者となることで、賦与された魂の能力を、演じる際の情報から見つけ、魂の潜在力に通ずることができるのです。

 そうした潜在力を使って魂との関係を再発見していくなかで、三次元的自己は目的の達成や理解、創造性のレベルを次第に高めていきます。そうして三次元的自己は、自ら知るところ以上の存在になるのです。



 魂が肉体とそのなかの三次元的な自己に息を吹き込むのはそうした理由からです。そして、三次元的自己は、新たなる創造の分野を拓くという、自身の目標の成就に取り組むのです。

 言い換えれば、人格的存在、あるいは魂は、三次元以外では実現の可能性のない現実へと至る道を開拓するために、自らの一部を送り出している、ということになります。長い間そのような現実の中に在る三次元的な自己たちは、自らの意識を、いま在る現実に完全に集中させていなければなりません。

 「内なる理解」は、そうした三次元的自己たちに、エネルギーや力の源を与えてくれるのです。しかし、三次元的自己は、己の役回りから、究極的には、自らの役者としての役割が理解できねばならず、更には、それらとはまた別の理解を示す一幕を演じ終えた上で、自らの人格的存在へと帰還しなければなりません。

 そうした芝居には、完全なる理解を得た状態で参加している存在もいます。そうした人格存在は、他の役者たちをさしあたり必要な自覚や進化へと導くため、己の役割を知った上で、進んでそうした役割を担っています。

 そうした人格存在は、役者たちが自ら創り出した自己や、芝居の場面を超えた視点を獲得できるように導いてくれるのです。かような人格存在たちは、異なった存在レベルから来ており、いうなれば芝居全体を俯瞰したうえで、役者たちの間に自身の姿を現わすのです。

 それらの人格存在の目的は、三次元的自己の別の現実体系(高次元)での更なる進化を可能にするために、三次元的自己のなかに、開きをもたらすような超越的手段を、開拓することなのです。

 さて……貴方がたは共同創造者になる術を学んでいます。つまり現在貴方がたが理解している神々になることを学んでいるのです。そして「責任」を学んでいるところでもあります。

 それは個性を与えられた意識としての「責任」という意味です。貴方は、貴方自身に他ならないエネルギーを、創造的な目的のために使いこなす術を学んでいるのです。

 貴方がたは今後も、愛する人とも、憎しむ人とも深く関わっていくことでしょう。けれどもまた、憎しみや嫌悪を手放したり、消したり、晴らしたりすることも学ばれるでしょう。

 憎しみさえも創造的に使っていき、好ましい結果へ向かわせ、最終的には愛へと昇華させてしまうことも学んでいくのです。私は、このことを後の章において、もっと明らかにしていくつもりです。

 物質的環境に設定された場面、それは時には素敵な所持品に囲まれ、貴方がたの人生においては、既知の物質的側面ですが、それらは全てカムフラージュ(幻想)です。よって私は、敢えて貴方がたの物質的な現実を「カムフラージュ(偽装)」と呼びます。

 しかし、そうしたカムフラージュも、宇宙の生命力から成るものには違いありません。山や岩石や土も息づくカムフラージュであり、貴方がたが、知覚し、見破ることのできない極微の意識によって編み重ねられた超自然的な網目状の組織なのです。

 そのなかの原子や分子にも、貴方の体の原子や分子と同じように、それぞれに意識があります。

 貴方がた全員が、物質的な環境づくりに参加しており、自身を肉体という物質的形態のなかに据えているため、体の感覚器官を使った場合は、その表面だけしか知覚できません。

 その表面のなかに在る真実や、それを超えて存在する真実はいずれも捉えることができないでしょう。しかしながら、役者でさえも完全に三次元的存在というわけではないのです。役者自身も多次元的自己の一部なのですから。

 カムフラージュされた場面を見抜いて、舞台の彼方を見ることのできる知覚力は、既に役者のなかにあります。役者はその内なる知覚力を絶えず使っているのですが、己の役者たる部分があまりにも芝居に深く入り込んでいるため、本人はそのことに気がつきません。

 広い見地からすれば、体の感覚器官は、実は、それ自身が、それのみを知覚するように物質的現実を形づくります。体の感覚器官そのものも、カムラージユの役割を担っているのです。

 しかし、それらは本物の「内なる知覚」を覆うレンズのようなもので、貴方がたに形而下の物質として通用し得る活動領域のみを「見る」ように強要するのです。そうすることによって体の感覚器官は、起こっている事象のほんの上辺を告げるだけで、貴方がたの信頼を勝ち取ることができています。

 例えば、貴方は自分以外の役者たちの持ち場や、時計が示す時刻をきちんと把握することができます。しかし、その時刻自体がカムフラージュであることや、他の役者たちが意識によって創られていることや、貴方に見ることのできないでいる現実が、いまこれほど明白である物質的な実在物を超えたところに存在していることを、体の感覚器官は教えてくれません。

 しかし「内なる知覚」を使うことで、芝居や、そこでの貴方の役柄とは別に存在する現実を知覚することができます。それをするには当然ながら、少なくともほんの束の間、絶えず起き続けている日常的活動から意識の焦点を外さねばなりません。いわば体の感覚器官のスイッチを切るのです。そして、これまで貴方が気づかずにいた事柄に意識を向けるのです。

 非常に単純化した言い回しではありますが、そうすることで受ける影響を譬えて言うなら、眼鏡を取り替えた時のようなものです。眼鏡や補聴器が体にとって人工物であるように、内なる自己にとっての体の感覚器官は基本的には人工物なのです。それゆえ内なる知覚機能が、完全に意識的に使われることは滅多にありません。

 例えば、もしある瞬間に貴方の慣れ親しんできた環境が消失して、まだ理解する準備さえできていない別の事実に取って代わられたとしたら、貴方は見識を失うだけではすまないでしょうし、貴方にとって非常に恐れるところとなります。

 そのためにも「内なる知覚」からの多くの情報が、貴方の理解できる言葉へと置き換えられる必要があります。そうした情報は、貴方、換言すれば三次元的自己である貴方に、如何にしてか意味の通じるものでなければなりません。

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 次回に続く。







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Last updated  2013年08月23日 16時58分14秒
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