シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年08月28日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回からの続き。

 ☆  ☆  ☆

 さて、魂は収縮することはありません。それは魂のどの一部の自己であっても同じです。

 魂を、貴方がたもまた、その一部である(電)磁気エネルギーの場である、と考えることも可能です。そうした見方をするのなら、 魂は、活動が凝縮し、集中した場である 、とも言えます。

 つまり魂は、外に向けて確率的な偶然性をもって発現することを求め、また、その活動の発生源なのです。あるいは、非物質ではあるものの、個としての自己を知る意識のまとまりが存在する場なのです。

 それを、このようにお考えください。私は、この若き女性(霊媒)を通して話をしていますが、この女性は、次のような自作の詩をうたいましたので、ここに引用したい、と思います。

 「私のなかの原子たちは話すことができ、私の名を呼びます。」

 現在の貴方がたの体は、いわば特定の形態を伴ったエネルギー場です。それでも、誰かに名前を尋ねられたら、貴方の唇が、それに応じます―しかし貴方の名前は一語一語答えを発する唇を構成する原子や分子のものではありません。



 それでも貴方は、「これは私の体」、「これは私の名前」と言うのです。

 もし貴方という個性を、貴方自身の手でも自分の体のなかに見つけられないとなると、体の全ての細胞や臓器を自分のものであるとして繋ぎとめている、貴方にとっての「自己」は一体どこにあるのでしょう。

 自己という存在は、確かに貴方の体と何らかの関連があります。それは、貴方が他人の体と自分の体を容易に区別できることからもわかりますし、椅子と―貴方がいま腰かけておられるような椅子と―自分の体を難なく区別できることからもわかります。

 広い意味では、魂にとっての自己もまた同じような見地から見ることができます。魂は一体自分が誰であるかを知っており、肉体の自己が自身を確実なものと思う以上に、魂は自身を真に揺るぎないものと確信しているのです。

 しかしながら、この電磁気エネルギー場の一体何処に、そのような魂の存在を見出すことができるのでしょう。

 魂は、その一部である分身を再生させ、その分身である貴方に固有の自己認識を賦与します。そして、「貴方は一体誰なのか」と尋ねられた時には、ただ「私は、私であるところのものです(エヘイエ、アシェル、エヘイエ)」と答えるでしょう。それは、貴方についての答えでもあるのです。

 現在の貴方がたが理解する心理学的な観点から見ると、魂を根源的自己と考えることもできます。つまり魂自体が、他の多くの個別意識のゲシュタルト(集合体)であるということです。魂は限界をもたない自己でありながら、なおかつ、あらゆるやり方や形を使って自分を表現できるのです。

 (唯一神は、自己という意識を与えている存在。聖書にも、神は、人を、自身に準えてつくったとある。)

 しかも同時に、自己認識としての「私であること」を維持できる一方で、その「私であること」が、別の「私であること」の一部であるという可能性も開いているのです。

 さて、貴方がたにとって、当然ながらこれは思いもよらぬことでしょうが、事実はこうです。比喩的に申しあげますと、この「私であること」は、そうした別のエネルギー場と合流したり、そこを通って進む場合にも、そのまま維持されるのです。

 言い換えれば、魂、もしくは「存在」と、無限の可能性との間には、双方の進化と拡充を前提とした対等のやりとり(ギブ・アンド・テイク)が成り立っているということです。重ねて申しあげますが、魂は閉じた体系ではありません。



 だから、貴方がたの魂の概念にも、同等な制限が投影されている、というわけです。

貴方がたは物質的な存在である自分を気にかけるあまり、いま以上の知覚情報がきても、それらを扱いきれないとか、個としての自分を維持できなくなるのではないか、との恐れから、知覚の拡大に自ら限界を設けているのです。

魂は、自分という存在に怯(おび)えることはありません。

魂は、自身を完全に信頼しています。 魂は、常に探求し続けます。魂は、体験や知覚したものに圧倒されることを恐れません。もし、貴方が自分という存在を完全に理解しているならば、例えばテレパシーを恐れることもないでしょう。



 貴方がたの体系では全くそうではないように見えたとしても、閉じた精神体系や閉じた意識というものは存在しません。これまでも度々称されてきたように、魂は真の旅人です。

 しかし同時に、魂はまた全ての体験や、貴方がたの言葉で言う、全ての「目的地」の創造者でもあるのです。いわば、魂は移りゆく世界の創造者である、と言うことができます。

 さて、これが、貴方がたも、その一部でもあるところの、精神存在の真の本質です。先にも述べましたが、後ほど本書においても、貴方がたが、自身の深層にある、幾つかの能力に気づき、それらを自らの進化、喜び、そして学びのために使うことができるように、実践的な提案をさせていただくつもりです。

 意識とは、現在の貴方がたが非常に気を揉んでいるような、善悪の教えに基づいて形成されるようなものではありません。魂に関してもその限りでないことは容易に推察できるでしょう。

 これは、貴方がたの体系やどこかの体系では善悪に絡む問題が存在しない、とか、善が悪より好ましいわけではない、と言っているのではありません。ただ、善悪というのは、より壮大な現実(真実)の異なった「現われ」にすぎない、という意味なのです。

 さて……いま一度強調しておきたいのですが、こうした口述全般は難解かもしれませんが、貴方がたが一体誰なのか、を自ら体験できるようになれば、全ては直感的に、ずっと明確にわかってきます。

 もしも自分という存在を見出すために体内の探求ができないのなら、精神的な自己を探求すればよいのです。

 この内側を見ていく過程では、貴方自身がそうした旅を始めるまでは、恐らく信じ難かった、多くの不思議を知覚することになります。貴方は、魂なのです。貴方は、魂のある特定の「現われ」であり、自らの存在の本質について、知らないでいい、と考えるのは、全く馬鹿げた話と言う他ありません。

 一度、自分の内側への探求に乗り出せば、その体験は貴方のものになります。かりに貴方が自分の体験を明確に言語化できないとしても、そのことが、その体験の価値や存在を否定することには断じてなりません。

 貴方は実際、こうした探求行為をどんな言葉で呼ばれるでしょう。精神の探求、心理の探求、あるいは霊の探求……貴方にとって好ましい呼び方をあてられてかまいません。

 貴方は、自分の魂を見つけ出そうとするのではありません。そうした意味では見つけるべきものは何もないからです。魂は、どこぞに迷い込んでしまったわけではなく、貴方という存在にしても、迷子になったわけではないのです。

 貴方の言葉では、その違いを言い表わすことはできないかもしれませんが、貴方の意図においては、確実な違いをもたらすことができるのです。

第7章

セッション530……1970年5月20日(水曜日)午後9時19分

 貴方がたは、自分には知覚可能な1つの物質形態しかなく、それ以外は存在し得ないようにみえます。同様に自分の形態は、ある決められた時間には1カ所にしか存在できない、と考えます。

 ところが、貴方には知覚できない貴方の形態が確実に存在し、目的に応じて、自ら、様々な形態を創り出しているのです。しかし貴方自身は、そうした形態を物質的に知覚することも叶いません。

 貴方にとって最重要な「自己」という感覚は、物質的肉体と結び付いています。そのため、自分が肉体を失ったり、離脱したりなど、如何なる形であれ肉体との繋がりが断たれた状態を想像することは極めて困難なのです。

 形態はエネルギーが集中し、凝縮した結果です。その形態を決定する原盤となるのは、鮮烈さ(強度)をもった感情、もしくは霊的なイメージです。そこでは鮮烈さ(強度)が非常に重要になります。

 例えば貴方が、ある場所にいたい、という願望を、とても鮮烈に抱いていたとしましょう。すると、その願望を意識的に自覚していなくとも、貴方と全く同一の疑似物質的形態が、貴方の望む場所に出現することがあります。貴方自身は、そうしたイメージや、その場所での出現に気づかなくても、願望は、貴方の人格やイメージの印影を運ぶのです。

 普通ならこういった観念的イメージが他の人から見える、ということはありませんが、将来的には科学計測機器によって感知される可能性は充分にあります。また、現在でも、「内なる知覚」の発達した存在なら知覚される可能性があります。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





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Last updated  2013年08月29日 13時21分03秒
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