シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年08月30日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回からの続き。

 セスの話をこれまで理解してきた人なら、人間に生も死もないことは明らかだろう。唯物論に染まっているせいで、まるで生死があるかのように自己を制限しているだけなのである。

 単に、肉体を離れるだけなのに、そこに壮大な演出を加えているだけなのである。実は、毎晩、人は肉体を離れているのに、そのことにはあえて目をつぶっているのである。

 つまり、唯物論のゲームをつくり、そのゲームに参加しているだけなのに、そのゲームが全てだと自己暗示しているのである。

 もういい加減、唯物論ゲームはやめるべきで、金儲けもやめるべきである。

 なぜ、相手を理解しようとせずに、打ち負かそうとするのか、打ち負かしたからといって、どうなるのか?

 そうやって、気に食わないことを攻撃することで、攻撃性がどんどん増していくことに気づいていない。攻撃は最大の防御とアホはいうが、一体全体、何を防御するのだろう。

 防御するものなどは実は何もないことを知らないから、唯物論に洗脳されてしまうのだ!

 物質は、目に見えない微少な波動の重ね合わせからできていることがわかれば、物質を破壊しようと、微少な波動はなくならないどころか、巡り巡って、自らに帰るだけである。



 キリストが、「一方の頬を打たれたら、他方を差し出せ」といって喩えたように、攻撃の無意味さ、攻撃とは結局、自分で自分を制限しているだけで、攻撃を生むものは、攻撃に滅ぼされる無意味さを知るべきなのである。

 攻撃で自己を表現する、などは愚の骨頂で、全く低レベルで馬鹿らしい。そういうのは古代では粗野で野蛮人といった!

 現代人はさしずめ野蛮人ばかりだ。どこぞの動物園の大統領が攻撃で自己顕示しようとしている虚しさ、あほらしさに加担してはいけない。

 アメリカ動物園は、イラク戦争の嘘もあり、国連、いや人類から破門すべきではないのか?

 アメリカの馬鹿大統領たちは、米国憲法を度々無視して、戦争を誘発し、大量の人々を殺傷し、金儲けばかりをしてきたから、もうその顔は人間のものではない。

 かのアホリンカーンは40歳になれば一人前の顔となるといったが、あのアホリンカーンこそ、最初の米国憲法違反者で、人類をサル化した第一人者である。あの顎鬚を蓄えたサル顔が世界にさらされている滑稽さったらない。アメリカ動物園の第一号である。

 アホに加担すると、アホになるぞ!

 このような馬鹿で愚かな存在に埋没しないために、セスの話を続ける。

 ☆  ☆  ☆

 現在の貴方がたも、一人きりの刹那的な意識の別の流れに気づく可能性があります。例えば、時おり自分の思考の文脈から全く外れた言葉を聞いたり、イメージを見ることがあるかもしれません。

 貴方の受けた教育、信条、出身などによって、それらに対する解釈もまちまちかもしれませんが、そうした現象については、実際、複数の源泉から生じている可能性もあります。



 そうした現象のなかには、転生と呼ばれる過去の自己にお馴染みな歴史上の別の時代に焦点を当てた見解が関与してくることもあるでしょう。もしくは、貴方自身の知識への願望、好奇心、超自然的偶然への順応性、あるいは好みなどによって、自己が関与している、確率的に低いが起こり得る出来事を「拾い上げる」ことになるかもしれません。

 言い換えれば、貴方が現在認識している現実よりも、遥かに壮大な現実に気づいたり、また、既に自分に備わっているとは思いもよらなかった能力を使えるようになる、ということなのです。

 なおかつ、自らの意識と個としての在り方が、現在、貴方が第一義的な(関心の)焦点と決めている、この世界(物質界)には依拠していないことが、明確に理解できるようになるでしょう。

 そのことが、かりに真実でないと言うのなら、私がいま本書をしたためていることはないでしょうし、貴方がこれを読まれていることもないでしょう。

 さて、貴方のそうした別の存在たちは、貴方が起きていようが眠っていようが、かなり楽天的にやっていけるものなのですが、普段目を醒ましている間に、それらを無視してしまいます。むしろ夢見の状態での貴方のほうが、それら別の存在をずっとよく知っています。



 この終局では、基本的な体験ができるだけ物質的言語に近づくように置き換えられます。つまり、そこに歪曲が生じる、ということです。しかしこの「最後の仕上げ」とも言うべき変換は、自己の深層にある働きではありません。これは自己による認識よりも、遥かに意識の働きに近いものなのです。

 これから指摘する些細な点が、ここで私が言わんとしていることを説明してくれるかもしれません。思い出したくない夢がある場合、貴方がたはとりわけ顕在意識に近いレベルで、その夢の記憶を、自ら抑圧します。

 このような故意に、夢の記憶を抑圧する行為を自覚することさえも往々にして可能なのです。その「仕上げ(終局)」の変換は、抑圧とほぼ同レベルで起きますが、全く同じ、というわけではありません。

 その終局では、夢のなかの基本的な体験に、たちまち可能な限りの物質的な装いがなされます。これは、貴方が、そうした体験を理解したい、と欲しているからでなく、根底において非物質的な状態のままでの受け入れを拒んでいるからなのです。

 しかし、全ての夢が、こうした性質のものではありません。なかには夢自体が、貴方の日常活動と繋がる霊的、もしくは観念的な領域で展開するものもあります。そうした場合には、「仕上げ」の変換は不要になります。

 ですが睡眠中の体験でも、極めて深いレベルに達しているもの―それらは、夢を研究する科学者たちによっても未だに取り上げられていません―については、そのなかで、貴方と貴方の別の「個の存在」と、それらが存在する現実との間に意思疎通が営まれているのです。

 そこでの貴方は仕事や試みにも熱心に従事し、真剣に取り組みます。そうした仕事や試みは、既知の興味や関心事と繋がりのある場合も、そうでない場合もあります。貴方は学び、究め、そして遊びます。

 つまり「眠る」という言葉から連想するようには、少しも眠っていない、ことになります。「眠っている」貴方がたは、極めて活動的な状態にあります。真の体験の核心にあって、前衛的な仕事に関わっているのです。

 さて、ここで強調させていただきたいのは、貴方がたが睡眠中にただの無意織状態にあるわけではない、ということです。通常、そうした仕事が、朝には全く記憶に残っていないせいで、無意織であったように思われるだけなのです。

 しかし、ある程度は、そうした夢境での活動に気づいている人々もおられますし、あるところまでなら、思い出す方法も実在します。

 例えば、貴方がたが、いま本書を読まれているような意識状態の重要性を低く見るつもりは毛頭ありません。ですが、当然、貴方がたが目を醒ましている、と思われる時であっても、あらゆる意味において、夜の睡眠中のいわゆる無意識よりも、起きながら休んでいる状態が多いのです。

 夜の無意識状態にある貴方がたは、自らの現実を広汎にわたって自覚していますし、昼間の貴方がたが否定したり、見て見ぬふりをしている能力を自由に使っているのです。

 極めて単純なレベルにおいては、例えば、睡眠状態にある貴方の意識は頻繁に肉体を離れ、貴方の本当の自我が知る他の次元レベルの現実に在る人々と意思の疎通を図ります。しかし、それよりも遥かに創造的な方法で自分の物質形態を然るべき状態で維持し、なおかつそれに新たな活力を与えているのです。

 貴方は日毎の体験を整理し、「未来」と見なすところへと投影します。そして、無数の確率的に起こりえる出来事のなかから、物質化させるものを選り抜き、それを物質界にもたらすための観念、もしくは意識過程を始動させるのです。

 同時に貴方は、自身の別の「個の存在」全てに対して、各自がその情報を利用できるように取り計らっています。そして、全く異なる現実に暮らしている、そうした存在も、それに匹敵する情報を貴方にもたらしています。

 (自己を統合したデータベースのような感じか?)

 貴方は通常の覚醒状態の自己との繋がりをなくしたわけではなく、ただそこに焦点を合わせていないだけです。いわば、そこから意識を逸らした状態にあるのです。昼間、単に、その意識を逸らせる過程を、逆に働かせているにすぎません。

 もし、貴方がたが、普段の自己を、他方(夢の世界)の見地に立ってご覧になったとしますと、さて、またここで比喩を用いることにしますが、貴方が、睡眠中の自己を観察するのと同じくらい、覚醒時の物質的な存在の自己が異様に映るかもしれません。

 この比喩は、完全なものではありませんが、それは単に、貴方がたが得意気に思っている覚醒時の自己よりも、睡眠中の自己が、遥かに聡明であるからです。

 (シュタイナーによれば、古代人の昼と夜はいまとは逆で、夢の世界が、日常世界だったという。) 

 睡眠と覚醒の外見上の区別は、恣意的なものでもなければ、強制でもありません。そうした区別の存在は、単に、貴方がたの現時点での進化に起因するものであり、徐々に変化していく性質のものです。

 今でも多くの人々が、別の次元へと小旅行に出かけては、覚醒時の日常生活の一部として、別の意識の流れの中を、いわば泳ぎ進む体験をしています。そうした流れの水面から、時おり奇妙な魚が躍り出ることもあるのです。

 さて、貴方がたの見地から見たとき、別の次元の現実をぬって、貴方がたのもとへと泳ぎ着き、己の存在次元よりもむしろ貴方がたの次元(三次元)を見守る私(セス)などは、明らかにそうした魚と映るに違いありません。

 従って、精神、かつ超自然的体験全ての象徴的な大河の流れや、全ての意織の流れの間には情報回路が存在するのです。そのために、貴方がたの次元からも、私の次元からも船出が可能なのです。

 さて、ルパート(霊媒)とジョーゼフ(筆記者)と私は、当初から同一の「存在」、あるいは同一の個の総体に属し、ともにその一部です。よって、象徴的に申しあげれば、私たちを結び付ける超自然的流れが存在するということになります。

 こうした流れは全て、意識の大海に喩えられるものへと流れ込んでいきます。実際そこは、一切が湧き起こる源泉なのです。従って、どの意識から始めようとも、理論上、貴方がたは他の全ての意識と出会うことができるのです。

 ☆  ☆  ☆

 とにかく、いま我々一人一人にできることは、平和を愛する気持ち、思いやり、想念を全世界の人、宇宙の様々な生命に祈り、届けることです。セスの話によれば、みえない平和を愛する想念が、大きな平和を現実化させるようです。次回に続く。





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Last updated  2013年08月30日 11時29分01秒
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