シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年09月04日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

セッション539……1970年7月1日 (水曜日)午後9時18分

 今、この世界においても、死後の環境は、貴方がたの周囲の至る所に存在しています。

 貴方がたの現状や現物質現象は、自己の内から外に向けて、あたかも投影されたように、貴方に一連の映画を見せ、そこに転写されたイメージのみを知覚するように強制しているかのようです。

 そうした映像は極めてリアルに見えるため、貴方は、気づくやいなや、絶えず、その映像に反応している、という状態にあります。

 (そうした映像をリアルにとらえろという洗脳に従っているだけ。マスゴミの洗脳報道と同じ。)

 そうした映像は、確実な存在の理由をもつ一方で、同時に存在する別の現実を覆い隠すのを手助けする結果にもなっています。しかし、実際に、貴方がたは、別の現実(あの世)から、物質像の投影を生じさせる力や知識を得ているのです。

 貴方がたはいわば「自分という映写機を空回りにセット」して、つまり外見上の活動全てを止めて、自分の意識を別の現実に向けることもできます。



 目が開いている時にも、当然、即座に知覚できる物質だけが存在するものと決めつけないでください。一見したところ、何もない空間を見つめて、静寂のただなかに耳を澄ましてください。

 何もない空間の1センチ四方にも、あまたの分子が存在するのに、貴方がたは、それらは目には見えないもの、と自らを諭してきたのです。静謐のなかにも、誰かの声が聞こえているのですが、それらが聞こえないように、自らの聴力を制限してしまいました。

 貴方がたは夢見の状態においては「内なる知覚(自己)」を使いますが、目醒めている時には蔑ろにしています。

 「内なる知覚」は、非物質的なデータを知覚するために備わっており、貴方が、3次元の現実に投影したイメージに惑わされることはありません。そして「内なる知覚」は、対象の物質も知覚できます。

 肉体の感覚器官は、「内なる知覚」の延長ですが、死後に、貴方がたが頼りにするのは「内なる知覚」のほうなのです。「内なる知覚」は体外離脱の体験でも用いられます。それは起きているときの通常意識の下でも絶えず作用しているのです……。

 ……従って 現時点でも、貴方がたは死後の知覚に慣れ親しむことができます 。

 要するに、死後の環境、状況、知覚の、どれをとっても異質ではないのです。貴方は突如として未知の世界に飛び込むわけではありません。その未知の世界は、いますでに貴方の一部なのですから。

 (睡眠中の夢のなかで経験済み。)

 貴方が肉体をもって生まれる前も、肉体を去ってからも、その未知なる世界は貴方の一部であり続けます。しかし、そうした事情のほとんどは物質的な歴史を通じて、貴方の意織から完全に払拭されてしまいました。

 (唯物論の洗脳のせい。)



 従って、多くの意味においても、 貴方がたは、今も「死んで」おられるのです ―これからも変わることはありません。

貴方は、日常の仕事や試みに取り組まれている間、通常の覚醒意識の状態で、また別(死後)の現実にも焦点を合わせ、肉体感覚に依存する自己が認識しない刺激にも反応し、「内なる知覚」を通じて、状況の把握に努め、肉体の頭脳には記録されない出来事まで体験しているのです 。

 死後には、現在の貴方がたが無視している、そうした次元の活動が、容易に自覚できるようになります。現時点では、物質への意識の方が優勢ですが、死んでからは、そうではありません。



 その例を挙げてみましょう。時間というものは、現在の貴方がたが知覚しているものとは違い、「時(瞬間)」の前に「時(瞬間)」があるというように、次々と「時(瞬間)」が繋がって成り立っているわけではないと、以前、お話したことがありました。

 また、出来事というものも、貴方と無関係に起こるわけではなく、貴方の期待や信念に基づいて、自らの想念を物質化した体験である、と申しあげました。貴方の人格の「内なる自己」は、現時点でもう既に、起こる前の出来事を知っています。

 死後には、(日常生活のように)時間や事象により占有された物質的な形態に、意識の焦点を合わせることはありません。画家が創造に際し、絵の具を用いるように、貴方がたも、時間や出来事を用いて創造することが可能なのです。

 貴方の寿命が例えば、77歳であると推定し、その年齢で死を迎えられるとしましょう。すると貴方は、望めば、ある特定の状況下で、77年間に起きた出来事をゆっくりと体験できるのです。

 それらの出来事は、必ずしも連続である必要はなく、部分的に体験することも可能です。貴方の77年間を表わす特定の次元での活動のなかで、出来事を操作できるのです。判断を大きく誤っていたことに気づいた時には、判断を正すことも可能です。すなわち、状況を改善できる、ということです。

 しかし、生前の存在基準となった枠組み(時代)のなかに、その次元(出来事)全てを徹頭徹尾操作する意識として、再び入っていくことはできません。つまり、当時の歴史に参画したり、その歴史のなかに投影された自己と「同時代の人々」から生じた集団的幻影とにより起きた出来事には参加できないのです。

 (あくまで、個人的な体験のみに限定されるようである。)

 次の転生の代わりに、この生前の追体験を選択する人もいますし、この追体験を、次の転生への事前学習として捉える人もいます。そうした人は、心の底では、完全主義者であることが少なくありません。

 彼らは、生前に戻っていき、再び新たな創造をすることで自らの過ちを正さなければ気がすまないのです。それらの人々にとって、生前への転生は、改善のための見本(モデル)となります。同じ「見本(モデル)」を用いて、より納得のいく絵(転生)を描こうとするのです。

 こうした観念的、かつ霊的な練習は極度の集中を要しますが、多くの人々がこれを受け入れています。どんな在り方も幻影ではないように、ここでの体験も幻影ではありません。

 人生における、ある特定のエピソードを「追体験」することで、そのことに対する理解を深めたいと思う方もおられるでしょう。貴方の人生体験は、それゆえ貴方に固有のものなのです。そうした事情は珍しいことではありません。

 普段の生活のなかで、既にしてしまったことを、もし違った風にしていたらどうなっていただろうかと想像したり、そこからより深い理解を得るために、その出来事を心のなかでもう一度再現することは、よくあることと思います。

 人生は、貴方独自の体験であり展望なのです。そして死を迎えた時には、それを物質的な時間の塊から取り出して、あらゆる方法で体験できるようになるのです。出来事や物質は絶対ではなく、思い通りに形を変えられる、ということを忘れないでください。

 (人生は、次なる創造の素材となる。素材は多いほうがよいから、何度も転生する。)

 出来事は、それが起こる前でも、後でも、変えることができます。三次元的現実という状況においては、それらは永久不変に見えるかもしれません。しかし、出来事は変動せずに持続するものでもなければ、永続的なものでもないのです。

 貴方がたが三次元的存在として認識しているものは、いずれもそれより壮大な現実から、三次元に投影されたものにすぎません。

 貴方の意識にある出来事は、通常意識に浸透、あるいは出現した(潜在)活動の断片にすぎないのです。出来事以外の部分は、夢見の状態にある時や、日中でも、通常意識の裏側において、極めて明白に理解できるものです。

 もし、死とは如何なるものであるか、を知りたければ、物質的活動から離れている時の己の意識を自覚できるようになることです。

 それが極めて活発な状態にあることに、きっと貴方がたは気づかれると思います。練習を積まれることで、目を醒ました状態の通常意識が如何に限定されたものであるか、を発見されるでしょう。

 (禅でいうところの無我の境地。全てが1つにつながっているという意識感覚のようである。)

 そして貴方が一度は「死んだ状態」と見なしていたものが、遥かに活気に満ちた「生の状態」に近いものに思えてくることでしょう。

 (肉体にいるときは、活動領域が制限されているにすぎない。肉体から離れると、活動領域が広がる。)

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。 





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Last updated  2013年09月04日 16時03分14秒
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