シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年09月04日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

魂は肉体を創造します。創造者が自らの被造物を、上から見下ろす、などということはないようです 。

 魂が肉体や物質を創造するには理由があります。こうした創造がなされているのは、貴方がたをして、肉体的な生に嫌悪感を抱く方向へと導くためでもなければ、周囲にある肉体的な満足や喜びの真価を知ることから遠ざけるためでもありません。

 内なる旅(自己発見の旅)は、如何なるものも、貴方が現在知る転生(人生)の重要性、美しさ、意味合いがどれほど絶大であるのか、を気づかせてくれます。しかし真の喜びや進化の意味するところは、貴方がたが、自己のもてる能力を全て出し切り、驚きの念と強い興味をもって「内なる次元(高次元)」を切り拓くことなのです。

 (自分のなかにある内なる神性に気づくこと。3次元世界に全力であたることで、内なる能力が開発される。)

 従って、現在でも、正確な理解がなされてさえいれば、死後の風景や環境や体験に、かなり慣れ親しむことができるのです。すると貴方がたは、死後の世界が、既知のどんな風景や環境や体験にも劣らず鮮やかで、生き生きしていることに気づくでしょう。

 (死後の世界の方が高次元なので、微妙なニュアンスをもっている。3次元物質世界の方が粗く、非常に固定的なので、退屈なはずである。)



 (暗く陰湿なイメージを捨て去ることが重要。まず、葬式を、喜び、笑いに溢れるものにすべきである。亡くなったといっても、肉体がないだけで、いつでも夢の世界で会えるのだから。101回目のプロポーズというドラマの「私は死にません。あなたが好きだから」を思い出す。)

 もしも貴方が物質的現実に取りあえず満足されているのであれば、そうした(死後の)内なる環境について学ぶのに比較的好ましい状態にあると言えます。

 貴方がたにとって、物的生活の一部始終が不幸であるとか、幸福というより不幸と呼ぶほうが相応しく思われるのであれば、まだ内なる環境について学ぶ準備ができていません。

 落胆している時には、そうした夜ごとの冒険に乗り出すべきではないのです。なぜなら、そのような時には目を醒ましているか、眠っているか、を問わず、己の精神状態は憂鬱体験をしやすい傾向にあるからです。

 また、肉体的体験の代用として、内なる体験を求めているような場合も、まだそうした学びに着手すべきではありません。

 (いわゆる現実逃避になるから。)

 貴方の善悪の概念が厳格かつ不屈である場合には、別次元の意識を管理していくために欠くことのできない理解に至ることはできません。

 言い換えれば、観念的にも心理的にも精神的にも、できるだけ柔軟性をそなえ、創造的で新しい概念に対して開かれている必要があるのです。さらに、組織や教義に過度に依存していてもいけません。

 (3次元世界とは全くアベコベの世界といわれている。)

 貴方がたには、それ相応の力量と、共感を伴っていることも要求されます。また同時に、現在の生活を引き続き管理していくのに充分な外向きの姿勢を、物質的環境においても保っている必要があります。

 内なる旅には、貴方の資質が総動員されるのです。これは積極的な探求であり試みであり、受動的な引き籠もりであるとか、ましてや消極的な逃避であってはなりません。



 しかし、ここではそうした死後の状況を、幾分、徹底して説明していきたいと思います。さて、物質的な生において貴方のご覧になるものは、全て貴方がそう欲しているものです。

 貴方がたは、(常識として)通用している現実の場から、一定のデータを知覚します―そうしたデータは、現実とは何であるかについて、貴方が抱く概念の通りに、自分自身で慎重に選択したものなのです。貴方がたはまず、データを創造することから始めるのです。

 もし貴方が、すべての人は悪である、と信じているのであれば、人のなかに善を感じることは決してないでしょう。貴方は善に対して完全に自分を閉ざしてしまいます。すると他者は、善の代わりに、常に最も悪い面ばかりを見せてくれるでしょう。

 貴方はテレパシーによって、人が貴方に反感を抱くように仕向けるのです。そのようにして、貴方がたは自らの反感を人々に投影させています。

 すなわち貴方がたの体験は、己の期待に忠実であるということです。



 先にも述べましたが、物質的な方向にない時の意識は、より拘束されておらず自由です。いま一度念を押しますが、思いや感情は、(物質的)時間の経過を待たずに現実のなかに構築されます。

 自ら、もし自分は悪霊に取り憑かれていると信じていれば、それが自己の創造の賜物であることに気づかぬまま、悪霊の想念の形を創り出してしまうのです。

 従って、貴方が、物質的な悪にこだわっているうちは、内なる探求の準備は整っていません。そうした状況下で、別の人の発した想念と遭遇することも勿論起こり得ます。しかし貴方が最初から魔物や悪霊を信じていなければ、そうした「現われ」の本質を、必ず見分けることができ、他人のものであっても、悪影響を受けずにいられるのです。

 もし、その「現われ」が自身の想念なら、実際、それが何を意味しているのか、あるいは自分の如何なる問題が、そうした顕在化を生じさせたのかを、自らに問うことによって、そこから学ぶことができます。

 さて、貴方がたは死後においても同様の幻影を生み出すことができ、それを何かの象徴として使うことで、ある種の超越的戦闘(前に例を出したアラブ人によるモーゼとアッラーの闘い)も経験できます。

 けれども、そのような戦闘は、当人の理解が進んでいれば、勿論、必要ないものです。貴方がたは自らの理解の段階に応じて、独自の考えや問題点、あるいは難局に取り組むのです。

 すなわち貴方がたの体験は、己の期待に忠実であるということです。

 さて、このことは死後の体験や夢境での体験、さらに如何なる体外離脱の体験にも当てはまります。もし貴方が邪悪や不幸といった概念に取り憑かれていれば、そうした状況に遭遇することになりますし、魔物や鬼を信じているのであれば、そうしたものに出逢うことでしょう。

 先にも述べましたが、物質的な方向にない時の意識は、より拘束されておらず自由です。いま一度念を押しますが、思いや感情は、(物質的)時間の経過を待たずに現実のなかに構築されます。

 自ら、もし自分は悪霊に取り憑かれていると信じていれば、それが自己の創造の賜物であることに気づかぬまま、悪霊の想念の形を創り出してしまうのです。

 従って、貴方が、物質的な悪にこだわっているうちは、内なる探求の準備は整っていません。そうした状況下で、別の人の発した想念と遭遇することも勿論起こり得ます。しかし貴方が最初から魔物や悪霊を信じていなければ、そうした「現われ」の本質を、必ず見分けることができ、他人のものであっても、悪影響を受けずにいられるのです。

 もし、その「現われ」が自身の想念なら、実際、それが何を意味しているのか、あるいは自分の如何なる問題が、そうした顕在化を生じさせたのかを、自らに問うことによって、そこから学ぶことができます。

 さて、貴方がたは死後においても同様の幻影を生み出すことができ、それを何かの象徴として使うことで、ある種の超越的戦闘(前に例を出したアラブ人によるモーゼとアッラーの闘い)も経験できます。

 けれども、そのような戦闘は、当人の理解が進んでいれば、勿論、必要ないものです。貴方がたは自らの理解の段階に応じて、独自の考えや問題点、あるいは難局に取り組むのです。

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 次回に続く。





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Last updated  2013年09月04日 15時48分22秒
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