シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年12月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

 御家大事でビビっている大名を白井小助指図の將門記の書き写しで、うまく開戦前に啓蒙開発出来たものの、人口の八割を占める彼らの大衆動員がなくては民衆と乖離した革命などは有り得ないのである。

 今では信じられぬ事だが、幕末までのお伊勢様は「北条まん子様の宮」と思いこまれていた。この当時の無銭旅行である「オカゲ詣り」は「お庇げ詣り」ではなく、 本当は日影の民とされた連中、陰の民の「お陰詣り」だった 、のである。

道中では同宗、同族の越後屋や鴻池などの大店がシンパとしての資金援助があったから彼らは旅行が出来たのである 。

 「お札ふり」と称し「伊勢皇大神宮」の御札の版木を沢山彫って、それぞれに持たせ、宿場々々で上からまき、四つや八つの大衆動員に役立たせ、「ええじゃないか、ええじゃないか」と北条まん子様が蘇って世変わりするのだと男は白粉をつけ女のべべを着る。

 女は反対に男姿で練り歩き、宮の札だから祟りがあってはと怖れて、お払いに町の年寄りが地酒の樽を持ち出して振舞ったから、彼や彼女は振舞酒に酔っぱらって、宿場全体をデスコみたいにしてしまった。が、この大衆動員は大成功。



 〔紹介者・補記〕

 日本人は何かと言えば直ぐに紅白に分かれたがる。紅白歌合戦や運動会も然り。というのは無理もないことで、これは民族の色なのである。源氏は白。平家は赤。大陸よりの仏教系は黒と決まっていたからである。

 だから維新戦争の時薩長の官軍が頭に被った紗熊を赤白に統一したのもおおいに訳ありで、源氏系の多く住む地域には白の部隊を先頭に立てて進み、平氏系の多い名古屋あたりは赤を先発とし、源氏と平氏の子孫の庶民の支持と協力を得て維新を成し遂げたのである。

 というのは、彼らには 《同族は撃たず》 という民族の不文律があったからで、 西南系の薩長には、偽金造りといい、大衆利用といい、頭のよく廻る悪知恵者揃いが居た ものだと感心させられる。

結局薩長は彼らを巧妙に利用して維新成就はした。そして太政官と並んで神祇省を設置し彼らの労に報いた。八と四つの民は、「やっと差別から解放される、わが世の春が来た!!」と歓んだのもつかの間、全国の仏教勢力は金のない東京政府に膨大な政治献金をし、勢力巻き返しを計った 。

 そして 裏切った薩長は彼らの叛乱を恐れ、表向き移民といえば聞こえは良いが、内実は棄民政策で報いた 。

女は性業婦としてサンダカンやベンゲネットへ、他は樺太や北米、ブラジルと数百万を海外へ放り出した。結局部落解放はかけ声だけで、差別問題は現在にその影を落としている。「明日が来るを信じて」一身を捨てた名もなき草莽の無念さに想いを馳せれば、維新の元勲等ではなく、彼らにこそ一菊の花をそえてその御霊安かれと祈るべきだろう

 (その祟りを恐れて、薩長が現在の靖国神社を建てたのは容易に想像できる。)

 さて吉田松陰の「討賊始末記」の本は詳しく私の「吉田松陰」にもでている。

 長門大津の川尻浦山王宮があり、宮番で堂守り幸吉は妻登波の他に両親と年頃の娘四人と、ひっそり居付き部落にいた処、食い詰め者の浪人枯木竜之進が目をつけ「宿場女郎では銭を取られる。しかし履物も許されぬ宮番の娘なら一文もいらぬから儲かる」と、忍び込んで先ず邪魔になる幸吉と、その両親を叩っ斬ってから、十八歳、十七歳、十五歳から未だ子供の十四歳の末娘まで順繰りに犯してから、後のことを考えて、「どうせ人外の宮で、寺人別帳にも入っていない者らゆえ、あやめても人殺しにはならぬ」と娘達を斬殺して逃亡。所用で留守をしていた嫁登波は戻ってきて一家斬殺に仰天。それから十年がかりで、ようやく仇討ちを遂げた登波を松下村塾に泊めて、稀らしい仇討ちの話を聞き筆記した際、門下の高杉晋作や久坂義助が、門人一同を代表して、

 「人外者の宮番づれの妻を、今のように何日も寝泊まりさせるのは塾の汚れとなります」と、登波を追い出し、塾を清めお祓いをしようと申し出たところ、

 「何を言う。宮の者や社のつるそめ神人を非人としたのは、徳川綱吉の神仏混合令からの悪法である。吾らは徳川を倒し四民平等の世をと志しているのに、なんたる差別思想か情けない」



 松陰が「討賊始末記」に詳細書き残してくれたから、幕末になってもまだ宮とか、宮の者といった存在が非差別対象にされていた事がよく判る。

 <<終わり>> 


 【引用参考文献】
 八切止夫著「日本古代史」「サンカの歴史」「論考・八切史観」「日本の特殊部落発生史」

 ☆  ☆  ☆

 というように、要するに明治維新とは、支配(差別)層と被支配(被差別)層が入れ変わった出来事なのである。吉田松陰が外国船で亡命を図ったのは、それだけ徳川幕府が部落民を徹底的に差別していたことを示すが、松陰が徳川体制を崩すために外国(西洋)と通じていたことがわかる。しかし、米国は内乱に介入する気がなく、松陰を幕府に渡した。

 幕府にとっては、松陰は危険人物だったのである。松陰は、南朝の末裔の大室、つまり明治帝を匿っていたとされるが、明治帝が南朝の末裔かどうかは関係なく、革命が成功すればいいということで、革命論の種本となった将門記も出鱈目なのである。

 出鱈目であっても、圧制を続けると、民衆の怒りが頂点に達し、体制を転覆させることは史実である。だから出鱈目を侮ってはいけないし、その出鱈目さがわかる話を八切史観から続けて紹介していく。

 ☆  ☆  ☆

八切史観

 3・11後、あからさまに棄民政策を取られてる今となっては、 むしろ、八切史観は広く知られるべきかと思う。 今、この時代に、我々庶民が、なぜこのような仕打ちを受けているのか? その理由が八切史観にあるからである。

キリシタン大名は硝石欲しさに奴隷貿易

 火薬の原料・硝石は、日本では一片も産出しない。〔国産もあるけど大名と相容れることの無い本願寺が押さえてた〕鉄砲があっても火薬がなくては戦争できぬ立場にあった。

 よって、ドミニコ派の宣教師が、火薬と交換に、日本人を牛馬のごとく買ってゆき奴隷転売にした。

 戦国時代に切支丹大名が多かったのも、信仰の為ではなく火薬入手の手段だった。判りきったこんな明白な歴史事実でさえ、明治軍部は国民を無謀な戦争にかりたてるため、〔国内に火薬の原料なし〕を隠すために歴史屋を黙らせたのである。

 さて、戦後二十六年。今になっても歴史家は一人も知ってか知らずか、この真実を発表しない。また吾々をどうするつもりなのかと、ここに告発したい。

 天正少年使節団の報告によれば、50万もの娘がヨーロッパに売られていたと。これに対し、当時の日本に住む人の数からして、若い娘の半分が売り飛ばされたことになるが、それは有り得ないと述べる現代人がいる。お花畑だなー。奴隷は人としてカウントされてないのだよ。悲しいかな非人とは人じゃないものなのです。

 思えば、「人口」とは恐ろしい言葉だ。口とは奴隷の数え方ではないか。人口すなわち、人と奴隷の合計だ。人口1億2千万というのは、日本には人と奴隷を併せて1億2千万が住んでるということを明白に示しているわけだ。「大飯」に納得だ。

 (八切氏は、吉宗のときに、江戸の人口が増えたのは、大岡越前が、それまで非人だった被差別民に朱鞘を与え、街道などを取り締まらせたために、仲間同士で融通しあって、江戸に流れたせいであるという。八切氏によれば吉宗が無茶苦茶な政策をし、徳川幕府を潰した要因をつくったという。

 吉宗が人物とされるのは、幕末に、嘘の徳川記を書いた勝海舟のせい。どうも海舟座談の類はほとんどが嘘八百のようである。いまの教科書では、この海舟の嘘を教えている。)


日本人の85%が四つと八つ

四つ:騎馬民族系(源氏)、馬の足の数。八つ:古代海人族(平氏)でマレーシア

 (このことは、Y染色体アダム説のハプログループの分布からもわかる。)

 〔「ヤ」バン(八幡)〕に送られたスメラ〔シュメール〕出身の奴隷が逃亡したもの。今でも日本をヤパァンとかヤァバン、ヤバーナと発音する国は多い。遊郭は源氏系の限定職種。今でも源氏名と言う。八つは食糧作りがメインだが、商人も。出身を明示する意味でヤを付けて○○屋と今でも言う。商売の神様・お稲荷さんは「夷也」と差別されていたものの当て字。

 (信長の楽市楽座といわれるのは、実は、八の者だけに商売を許したものだという。その代表的人物が、千利休で、利休という名は後世でつけたもので、宗易で、タダ同然の竹などから、日用品をつくり、高額で売ったので、信長の軍資金になったようである。

 つまり、信長がやったことは、仏教徒から商売を召し上げて、被差別民を商人にしたこと。教科書で習う「楽市楽座」は誰でも商売ができる、という意味で確かに間違ってはいないが、肝心な、被差別民に限りの特権であったことには触れていない点で、大間違い。仏教徒に記録を改竄されたと思われる。だから宗易も茶人にさせられて美化されている。

 ちなみに、八とは、恐らく「ヤハウエ」からきているように思われる。八の者の神がGIONの祇園であったことから、祇園とは八オロズの神、ヤーウエであるものと思われ、恐らく、古代レムリア人の末裔だろう。)

「日本は単一民族」は間違いだが、徴兵制に都合が良かった

 明治期、藩制で歴史がまとまっていない日本に歴史を作るために(伊藤により)ルードウィッヒ・リースが招聘された。彼がもしスペインやポルトガルの歴史家なら、適切な海流学から『潮流によって各方面から運ばれてきた複合民族国家」と言っただろうが、残念ながら陸軍国・ドイツ人であった。よって「四方を海に囲まれた島国ゆえ、単一民族国家」と言った。国民皆兵制にして一致団結させるには都合が良いと長州軍閥は歓迎したが、文部大臣・森有札は拒否反応→暗殺される。

世界に通用する日本史である為には

 部落問題を明白にせねばならぬが、「解放同盟から苦情が来る」と、どこのテレビ局でも厳禁。ところが、自分で出版社を持ち、正面から取り組んでみると、苦情が来るどころか逆に凝った革ベルトが贈られてきた。そして、別なところが圧力を掛けてきた。〔本当の日本史を知られると、都合が悪い者共がいるということ?〕

演歌は怨歌の当て字

 我ら庶民の悲痛な叫びがこめられている。

 「女町エレジー」にある「生駒は哀しいおんな町」のフレーズが典型的。〔宝山寺の門前に広がる遊里で働く女性の哀歌らしい。初めに歌ったのは宇多田ヒカルのお母さんかな? その後、いろんな人がカバー〕

 生駒は夷駒の当て字。駒は馬。つまり源氏の民が収容された地区。

天野姓は天の朝の末裔

 日本原住民系の天の朝〔崇神より前〕の子孫を意味する天野姓は、文部大臣に一人いたが、それ以外で世に名が広まった人はいない。「天の○○の神」と呼ばれる人が多く、煙たがって敬遠されるのだろうか。崇神のだいぶ後になって、意外なことに、神なので人ではない=非人といった差別の原点になった。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。 





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Last updated  2013年12月13日 12時03分06秒
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