シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年12月20日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 いつだか忘れたが、数週前の日刊ゲンダイに、今年の競馬の有馬記念を買うかどうかのアンケートが載っていた。その結果によると、なんとほぼ7割の人が「買わない」というものだった。その理由の一位にあったのが、確か記憶によると、「ギャンブルだから」という腑に堕ちないものだった。

 そこで疑問に思ったのが、なぜギャンブルが、買わない理由になるのか、だった。どうも最近の若者が、特に男性がギャンブル嫌いなのは、女性にもてない、という理由のようである。草食系というのにも関係するようにみえる。

 どうも、私見では、父親不在の家庭教育にあるような気がする。母親のみの教育では、どうしても女性的な感覚が優先されてしまうからである。安定性や堅実性が優先され、男性独特の冒険や野望などは抑制されてしまうようにみえる。特に教育ママといわれる連中がそうである。

 そして特に、女性の、競馬をやる男性のイメージは著しく低く、恋愛対象としてハンデを背負うようである。それなら、ハンデを背負ってでも、好きになってくれる女性を探せばいいではないか? 競馬が理由で、恋愛対象を制限するような女性はこちらからお断りすればよい。

 自分を選んでくれるという想定のもとに、「競馬とあたしとどちらをとるの」といわれると、「そもそも競馬なんかの愛情と比べられて満足なのか?」とか、「競馬をやらせてくれる君が好きだ!」とでもいえばいいのに、理屈っぽい、といって嫌われる可能性も大だが、いわれたままに、女を選んでしまう腑抜け男が多い、ということなのだろう。そんなことで結婚したって、妻の奴隷に成り下がるだけなのである。

 しかし、同じギャンブルの、宝くじなら、例えば、年末ジャンボなら買うと、ほとんどの人が答えるに違いない。だから、競馬と年末ジャンボの違いに理由があるようだ。

 確率論からいえば、宝くじの一等が当たる確率(ほとんどの人が一等狙いだろう)は地球に隕石が当たるよりも低いそうであるから、ほとんど当たらないが、競馬は買い方により、配当が異なるので、一概に比較は困難だが、競馬の方が、全通り買えば必ず当たるから、ギャンブル性は低いものといえる。

 そこで、なにがギャンブルなのか、という定義の問題になるが、世間一般では、どうも宝くじはギャンブルではなく、競馬はギャンブルという認識が確立しているようである。つまりマスゴミの流すイメージに左右されている。

 しかし、いま言ったように、宝くじの高額配当(大体100万円位か?)に当たった人は周囲を見回しても、当たった本人がしゃべらない可能性もあるが、本当に当たった人がいるのかと思うくらい、ほとんど聞いたことがないわけで、逆に競馬については、自分もそうだが、100万以上の配当が当たったことがある人は、割といるから、経験上からも競馬の方が当たる可能性が高いことは確かなのである。



 当たる当たらないの話ではないのかもしれないが、どうもギャンブルのイメージが一人歩きしているようにみえる。

 面白いのは、株だってギャンブルなのに、宝くじも競馬もやらないという人が株をやっていることである。株や宝くじはギャンブルではなく、競馬はギャンブルという感性が何処からくるのか、不思議である。

 このことは、上述した女性のイメージによる影響が大のようである。競馬と比べると、どうも株をやる男は金持ちというイメージがあるようで、競馬は貧乏人がやるようにみえるらしい。特にドラマなどで、競馬で身を滅ぼしたとか、競馬で借金をつくったとか、悪役のイメージが定着しているのも要因に思える。

 しかし、ドラマなどは嘘八百で、現実の世界では、競馬の損失はせいぜい数百万で、株の方が桁が違い数千万、数億円と、株で自己破産した人の方が遥かに多いはずである。FXで1億脱税したとか新聞の社会面を賑わすのはザラであり、競馬なんか、競馬ソフトでの脱税が、この間話題になった位である。

 しかし、株の場合はそんなに儲かるのか?だが、競馬は逆に借金と連動し、そんなに損するのか?になってしまう。

 このように株に比べ、競馬のイメージは著しく悪い。競馬のイメージの悪さは、どこにあるのだろうかと考えると、どうも「ガラが悪い」と思われているようである。「ガラの悪さ」はどうも「スマートでなく、がめつさ、必死さ」に、女性が興ざめで、ひくようである。

 賭け事に必死に血眼になっている姿が、女性受けしないようなのだ。女性が求める「爽やかさ、爽快さ」の微塵の欠片もないようなのだ。

 少し前に「チョイ悪男」が持て囃されたが、男の感覚からすると、女性に媚を売っている、ただの軟派にすぎないのだが、ここが男と女の感覚の違いで、男性からみる女性のエロティシズムを女性が男性への媚と捉えるのとどうも似ているようである。

 つまり、競馬のガラの悪さが、エロティシズムでないというわけなのである。例えば、競馬のこのガラの悪さは、男性の金銭への執着にみえるようなのである。だからして、女性には、競馬のもつギャンブル性のなさを逆にアピールしないといけないわけなのである。

 男性は女性が一枚脱ぐことに興奮を感じるが、逆に女性は、男性が一枚着飾ることに興奮を感じるようである。イタリア男がもてるのは、どんどん言葉を着飾り、要するに口から出任せの嘘つきだからである。

 だから、競馬はギャンブルではないと嘘をつくこと。早い話、競馬からギャンブル性を抜いたもの。例えば、競走馬の走る姿や育っていく過程などや競馬関係者の人間模様を前面に押し出し、ドラマ仕立てにするのが、女性へのエロティシズムとなるように思われる。



 実は、このようなことは、女性の馬券の買い方に現われているのである。女性は男性のように、配当はあまり計算しないし、よほど好きな馬でなければ賭けても少額である。男性は儲かることを優先するが、女性は馬を応援することを優先する傾向にある。なにより馬名や直観で、買おうとする。

 つまり、宗教のような競馬教をつくれば、よいだろう。半沢直樹のような倍返しのドラマ仕立てにすればいい。

 倍返しといっても、オッズではなく、長年虐げられていた弱い馬が、最後の有馬記念で、強い馬たちを見返すような劇的な走りをするとか、春日局のようなどこの職場の女社会にもいそうな権力女が、嫉妬して気が狂うほどの男性と結ばれ、最後にギャフンといわせるような人間関係の伴った、そういう嘘の競馬ドラマである。

 女性にとっては浮気しても嘘を突き通す男性の方が一目置かれるのである。 

 大体、これまでつくられてきた競馬のドラマは陳腐で、男性目線でしかつくられていないから、競馬のガラの悪さだけがギャンブルとして一人歩きするのである。





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Last updated  2013年12月20日 16時49分00秒
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