シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年12月21日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 八切史観によると、日本社会が男尊女卑になったのは、明治維新からだという。戦国時代は、信長がよく「サルメ(猿女)」と言っていたように、以前紹介したが、「猿女とは元は反体制派の部族の名で、女上位だった。なので、幕末までカカア天下のことを猿女と言っていた。」というように、男尊女卑ではなく、女尊男卑の社会もあったそうである。

 八切史観によれば、信長が織田家の家督を継げたのも、嫁の奇蝶が、斉藤道三の娘で、美濃勢力を味方につけることができたためで、実際、織田家の家督相続の際に、道三が介入したという。

 信長が「タワケ(他分け、他外)殿」と呼ばれたのは、奇蝶ら美濃勢力が家督を信長に継がせた自負心から、信長のことを呼んだことに起因するらしい。だから、信長は奇蝶に頭があがらず、また奇蝶も、信長を子供のようにみていたようで、信長に側室との子作りをさせ、信忠らを引き取って育てたという。

 女性は一般的に男性が子供のようにみえるらしい。女性の方が精神の成熟が早いからで、同年代だと、男性を子供と見下すらしく、逆に若い娘が、年長の男に惹かれるのは、成熟した大人の精神に対する一種のコンプレックスで、自分の未熟さを年長の男と付き合うことで、解消するために思われる。

 奇蝶による家督相続にもかかわらず、信長は、道三が義龍に裏切られて、援軍を頼んでも、出し渋り、道三から、美濃を与えるという書状を引き出してからようやく、美濃近くまで出陣したが、道三を捨て殺しにする形であっさり引き上げている。このことが奇蝶に知れ、後の本能寺の変の黒幕が奇蝶という噂が流れたそうである。

 そもそも、織田家が尾張で勢力をもてたのも、信秀がやたら側室をとって、子作りに励んだためだという。有力な国人から、側室を頂き、子作りすれば、国人衆を味方につけることができるわけである。つまり、戦国時代で出世するには、女性の権力が重要だったわけである。

 戦国時代以前では、北条(平)政子が有名で、以前紹介したが、反藤原のために、頼朝らを使い、最後は源氏を捨て殺しにして、尼将軍として君臨したそうである。八切氏によると、源氏に対しての蔑称が、「馬鹿」であるので、恐らく、平政子らは、頼朝らを「馬鹿殿」と呼んだのかもしれない。 

 「馬鹿殿」といえば、現代ではお笑いの志村けんが有名だが、江戸時代の徳川幕府は、倒幕に対して目を光らせ、各藩の取り潰しを画策したが、「あそこの殿様は馬鹿だから」という油断のために、藩主がわざと愚かな振りをしたという説も流れているが、どうも嘘っぽく、そもそも愚かというだけで、取り潰されないとは考えにくい。

 現に、本当は聡明だった赤穂浪士で有名な浅野内匠頭が、馬鹿だったから浅野家が取り潰された、というのが通説となっているくらいである。浅野家が取り潰されたのは何度も紹介しているが、柳沢吉保の陰謀である。八切氏の「大江戸意外史」には、詳細が載っているので是非参照してほしい。



 この春日局の権力は、春日局亡き後は、済州島出身の綱吉の母玉(桂昌院)に受け継がれる。この玉は美女だったらしく、家光が上洛したときに、島原の乱の切欠となった御水尾天皇との領地増加の件の後で、家光が憤慨しているときに、京でみつけ、つれかえった側室だったそうだ。

 家光は男色家で、最初、この玉を男と思って交わったらしく、この玉が産気づいたときに女子だと発覚し、春日局が慌てて身内を調べると、済州島だとわかったので、出自を誤魔化すために、八百屋の一人娘ということにしたという。春日局は身元がばれないように、玉の両親に金銭を渡して、済州島から大陸に渡ってもらったそうである。

 玉といえば、通説では美女の代名詞で有名なのが明智光秀の娘で、細川忠興に嫁いだ方の玉だが、八切史観によると、どうも美女ではなかったようである。玉が、細川家と関わりのある本能寺の変の真相を知っていたため、細川家から情報が漏れないために、監禁するでっち上げの口実のようである。

 だから、玉が美女というのは、綱吉の母の方で、この玉へのあてつけであったのではないかと思う。光秀の玉はキリスト教徒の異教徒で、綱吉の玉も、綱吉に神仏混合令や生類憐れみの令をやらせ、済州島出身の仏教徒だったから、原住民の神道系の宗教からすれば、異教徒なのである。

 つまり、綱吉の母を批判できないので、代わりに、細川ガラシャの玉を非難するわけである。

 さて、その玉は、春日局亡き後、済州島の両親を探すのだが、既に死んでいて、代わりに親戚をつれてきて、坊主にして寺を建てたらしい。この寺を儲けさすために、綱吉に神仏混合令や生類憐れみの令をやらせた、というのである。

 このように、家光や綱吉の政策とされるものは、春日局であり、玉であることがわかるから、大奥=黒幕と呼ばれたのかもしれない。どうも、日本史の表舞台は男だが、実は裏舞台の女の権力が重要であることがわかる。

 また、八切史観によれば、驚くべきことに、かの上杉謙信は女性だったというから、いまほど、男女の区別がなかったのかもしれない。家康の四天王の本多忠勝は、戦国時代の女性が強かったと証言していて、眉を落とし、お歯黒を塗るのは、相手に殿中まで攻め入られたときに恐怖感を与えるためだったそうである。

 確かに、暗がりのなか、能面のような不気味な存在が現われれば、お化け屋敷か、ホラー映画に匹敵するだろう。お化け屋敷の原点は、攻め入った城の女人たちがまるで幽霊にみえたことにあったのかもしれない。だから、いまでも前世を記憶して怖いのかもしれない。

 春日局のように権力をもった女性ほど怖いものはないので、明治の男たちは、女性を孕ませ、育児に専念させ、家庭に縛りつけることで、女性から権力を奪ったのかもしれない。そして、自分たちがすき放題浮気するために。

 というように、男尊女卑は明治からはじまったそうで、そのことがわかる話を以下に抜粋紹介する。



【出産しない女性の歴史的考察】

反骨の後藤庄三郎(以下はその抗議文)

 新銭鋳造の御用命、をば春日局様御達しにより御老中土井甚三郎さまの差紙にて頂きました。 春日局様の御指示と在れば、御大老、御老中におかれましても、否応なく即座にお引き受け仕るべきものと存じております

 よって、かかる事を申しあげますることは、お局さま御威光をないがしろにするがごとき振舞いと、もし思召されましては、てまえ十二代目の家督をさる寛永二年九月、御聴許により相続したばかりの若輩ゆえ、いたって難渋致しまする。よって恐れながら、前もって書面をもってこの段申し上げ、ひとえにお局さまにとりなして頂けますよう慎んで御願い奉りまする。

 そもそも文禄四年までは、金は山金砂金にて相対通用し、銀も山出銀、灰吹銀として塊の儘でした。それを九代目後藤庄三郎が、初めて金銀役を仰せ付けられ支配し、当時は近江小比江村にて五十一石六斗の馬飼料を賜り、その御朱印も残っています。

 さて慶長二十年四月の大阪夏の陣に父十一代後藤庄三郎は武者百騎を率い、権現様御旗本に加わり、芸州浅野但馬守勇戦の折りは、権現様云いつけにて、松平右衛門佐殿、秋本但馬守と父庄三郎が連名にて感状を出してやっている程であります 。「金銀こそ天下治政の基石なり」と、その後天下も治まり、権現様より仰せを受けました 。

 よってご命令にて、ご府内有楽橋よりに、銀座八丁、金座十二丁をもって囲地となし槍を棄て、日夜のみや金てこにて、金銀のふきあげの御奉公を致し居ります。それなのに 金銀の司の当家に対して、今回のごとく鉄銭によるビタ銭〔寛永通宝〕を鋳れとは、言語道断という他ありません 。

 (贋金をつくれということで、さしずめ、現代のQE「量的金融緩和政策」や、アベノミクスのこと。)

銭という物は、もともと鉄の産出の乏しき当国の物ではありませぬ。あれは足利公方様が室町御所に栄えていられた頃、明国と安全保障条約を結ばれ、臣足利義満として、明国に臣従していたゆえ、向こうの欲しがる金を送り、その代わり扶持として送られていた物にすぎません 。

 誠に云うも恐れ多いことですが、 上様〔家光〕ご生母の春日局さま御実父は、斉藤内蔵介さまにて、その母様は蜷川一族で、御分家の角倉様は権現様のお計らいにて御免許を賜り、カンボジア、コーチンまで御朱印船を出しております 。

 「 雌鳥、ときを告げるは、それ亡国のきざしなり、心するべし 」ともうしまするに西の京にありては、台徳院〔秀忠〕さま御息女(和子)は帝〔後水尾帝〕を廃し、その生まれし女一宮〔明正帝〕をたてられ、ご自分は東福門院として勢力をはられ、

 「 女にあらざるは人にあらず。人間と男とは、これまったく異種ならん 」とまで仰せあると伝わる春日局は、御大老、老中方まで小僧っ子のごとく、こき扱われて、大奥どころか、表向きの政務も一切握られ、さきに、「 豊前の隠居、細川忠興は亡父の盟友なり 」と肥後熊本五十四万石を与えられし等越権の沙汰と申す他はありません。

 さて、手前父の庄三郎は、権現様の御上意にて、青山五郎の娘を妻となし、その後「子供産み用」にと仰せあって、すでに他家にて無事出産済みの安産型の、大橋どのを賜り、その腹にて出来ましたが私めにて、故酒井雅楽頭忠世さま邸にて元服しましたゆえ、恐れ多くも私は、権現様より命名を賜り「広世」と申しまするのです。

 つまり故信長公の頃も同様にござりまするが、 武家の女といいまするは、その正妻は子を作らずに夫に協力するのが昔よりの本分にござりました 。 子孫確保のためには「前に出産した保証付きの女」というのでありましょうか。専用に当てるのが決まりでなので御座います。

それをやはり子産ませ用として、前に稲葉佐渡守との間に四人の男児を無事に安産なしたる実績をかわれて、伏見にて、権現様の御種を拝領したにすぎぬ身なのに、春日局は、思い上がりと申しましょうか、「権現様は後家好みにて、よそで子を産んだ古いのばかりを召された」と、御当代〔家光〕へ、おまんの方を初め、出産の実績の無い者のみすすめられ、従って未だお世継ぎとてありませぬ 。

 かって秀吉めが、しくじった徹を又踏まんとなさっているので御座います。これは私が権現様お声掛かりの者ゆえ、春日局さまとてご処分できまいと高をくくって申し上げているのでは御座いません。

「腹は借りもの」とされ、ただ子産み用の身分にすぎなかったのに、秀忠様が亡くなった後、その実子の駿河大納言忠長様を殺して始末し、そのご生母の江与の方さまも閉じこめ同様になされて、「崇源院」として葬られた後も、一度の墓参も誰にもなさしめずに非情なことをなさっておられる春日局様の横暴に対して、最早男として我慢ならず申し上げるのでございます 。

 ☆  ☆  ☆

 というように、子を産まない女性が権力をもつにつれ、明治以来の男尊女卑の男子は次第に面目を失っていくのである。少しでも女子の恐ろしさを抑えるために、教育勅語で、女子はお淑やかに、子供をつくり家庭を守れ、と教えられたのである。どうも昨今のアホ政権にも大奥がいそうな気がする。というのも、アホは綱吉によく似ているからである。次回に続く。





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Last updated  2013年12月21日 12時07分14秒
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