シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年01月30日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の続き。

 ☆  ☆  ☆

薔薇十字の道(改変)

 叡智へと飛翔する最も新しい道は、薔薇十字の修行法である。この修行道は過去ではなく、未来を修行者に示す。薔薇十字の修行によって体験した状態を、人間は将来生きることになる。ある方法により、人間が自分の中にもつ叡智を発展させるのが薔薇十字の行法である。

 (ある方法とは、呼吸法であるらしい。)

 この修行法は、クリスティアン・ローゼンクロイツと呼ばれている薔薇十字の秘教運動の創始者により与えられたもので、非キリスト教的な道ではなく、現状に適応したキリスト教の修行道であり、本質的には、キリスト教の修行道とヨガの修行道の中間にあたる。

 薔薇十字の行法の一部は、キリスト教成立の遥か前から準備されてきた。薔薇十字の行法から、パウロの主宰したアテネの秘教学院の偉大な秘儀参入者ディオニシウス・アレオパギタの創設した修行法や、後代の全ての秘教的叡智と修行法などが発生した。(薔薇十字会の神智学 P192)

賢者の石(改変)

 薔薇十字の修行は、人体内で炭素を酸素に変化させる器官を形成する、規則正しい呼吸を指導する。現在、植物が行っていることを、将来、人間は自らの器官を通して行うようになるが、この器官を修行によって今から形成する。



 将来、人体は植物に似たものとなり、神聖なアストラルの愛の槍と出合う。そのとき、全人類は、今日、秘儀参入者が高次の世界へと上昇したときに体験する意識を獲得する。人体の実質は、炭素を基盤とする実質へと変化する。

 錬金術により、人体を植物に似たものに構築していく。このことを錬金術師は「賢者の石」の製造と呼び、炭素をその象徴とした。人間が規則正しい呼吸を通して、この器官を作りあげることができたとき初めて、炭素は「賢者の石」になる。

 この教えは師から弟子へと伝授されるもので、深い秘密に守られている。そして、自分を完全に浄化、純化した後で初めて、弟子はこの秘儀を受けることができる。もし、今日この行法を公開すれば、エゴイズムに囚われた人間は、この最高の秘密によって最低次の欲求を満たそうとするだろう。(薔薇十字会の神智学 P206-P207)

創造的断念(改変)

 物質的な生活において何かをなすとき、通常、その行為の基盤には意志がある。ちょっとした手の動作にしろ、偉大な事業にしろ、人間の行為は意志を基盤としている。人間を行為へと導く全ては、意志から発する。

 人々は最初のうち「救済と祝福をもたらす偉大な行為は強力な意志からなされ、あまり意味のない行為は虚弱な意志からなされる」というであろう。行為の偉大さは、意志の強さに比例する、という考えに、大抵の人々は同意する。

 しかし、この意志を強めることで、偉大な事業が成し遂げられる、という考えは、限界がある。ある点では、意志の強さと行為の偉大さとは比例しない。特に、霊界と関係を持つ行為は、特別、意志の強さとは関係しない。

 確かに、いま現在生活している物質界においては、行為の偉大さは意志の強さに依存している。物質界では、目的に達するための努力や緊張を必要とする。けれども、霊界ではその逆となる。霊界では、偉大な行為、大きな働きをなすには、積極的な意志の強化ではなく、その逆の、諦め、断念が必要なのである。

 身近な事象から考察を始める。自分の願望を表に出したり、できるだけ活動に努めることで霊的な働きを行うのではなく、逆に、願望や欲望を抑制し、願望の充足を断念することによって、霊界で何らかの働きがなしとげられる。

 霊(精神)的な内的作業を通して、地上において何事かを成就しようとする人がいる、といま仮定してみる。その人は何よりも第一に、自分の希望や欲求の抑制を学ぶ必要がある。物質界では、滋養のある食物を摂ることで肉体が丈夫になる。

 しかし、霊界での意味深い行為は、断食などの方法により、望みや欲望を抑制することで達せられる(だからといって、断食を勧めているのではない)。偉大な霊的な行為、魔術的な所業はつねに、このような自分の中に現われる願望、欲求、意志の断念という準備を必要とする。



 美食家が教師や教育家になった場合、その人の語る言葉は生徒には届かない。欲望の多い教師が語る言葉は、生徒の耳を素通りしていく。なのに、このような教師たちは、自分の煩悩を省みないで、生徒の理解の悪さを叱る。

 高い次元から人生を理解し、中庸を守り、必要以上の食事を摂らず、特に運命を受け入れるよう心掛けている人は、やがて、自分の語る言葉が霊(説得)力をもつようになっているのに気づく。

 言葉だけでなく、視線も力強くなる。それどころか、生徒のそばにいて、晴れ晴れとした思考を持つだけで、生徒を励ますことができる。どれほど深く、自分の要求を断念しているかにかかっている。

 高次の世界における霊活動の正道は、断念の道である。ただ、このことに関しては無数の迷妄が存在する。外見上はほとんど区別のつかない迷妄が存在する。迷妄は正常な霊行為につながることはない。



 創造的な諦念、創造的な断念という概念を自分のものにすべきである。この創造的断念を魂の中で体験することは、日常生活の遥か彼方に存在する宇宙進化のイメージを得るために、非常に重要である。創造的断念という概念の把握により、人類の進化の深みの中に歩みを進めることができる。(薔薇十字会の神智学 P251-P253)

カリオストロ伯爵とサン・ジェルマン伯爵とフリーメーソン(改変)

 フリーメーソンの様々な系統と特徴について、ほんの概略だが、述べておく必要がある。まず、あらゆる高位メーソンの源にいる、ある人物を考える必要がある。彼は様々な名で呼ばれ、また非常に誤解されてきた。とりわけ19世紀の歴史家たちに誤解されている。

 オカルティストが、生涯どんな困難な状況に陥るのか、彼らには全くわからないからで、その人物とは、少数にだけ認められていた悪名高いカリオストロである。高次の秘儀に参入したオカルティストだけが、いわゆるカリオストロ伯爵のうちに秘められた個性と真実の姿を知っていた。

 彼はロンドンで、フリーメーソンを新しい次元に引き上げようと試みた。というのは、フリーメーソンは18世紀の終わりには、以前述べたようなところにまで落ち込んでしまっていたからである。そのときのロンドンではうまくいかなかった。彼は次にロシアで、そしてハーグでも同じことを試みたが、どこでも、ある特別な理由から、うまくいかなかった。

 しかしリヨンでは、そこに住んでいたフリーメーソン員たちと共に、オカルト的な「フイラレート・ロッジ」を設立することに成功した。そのロッジは「勝利する叡智」ロッジと呼ばれた。ロッジの目的はカリオストロによって告知されたが、その告知の内容を、現在知るには、何もわかっていない人びとによって書かれたものしか残っていないので、曖昧にしかわからない。

 カリオストロは二つの問題を抱えていた。一つは、いわゆる賢者の石の合成であり、二つ目は、神秘の五角形、神秘の五芒星形の意味を知ることだった。いまは、この二つの事柄が持つ意味を、仄めかすことしかできない。嘲笑するかもしれないが、これは単なる象徴ではなく、事実である。

 賢者の石の目的は、人間の寿命を5527歳まで延ばすことである、とカリオストロは述べた。無神論者にはこの発言は馬鹿げたものに思えるだろうが、特別の修行によって、肉体によらずに生きることを学ぶと、本当に生命を永遠に継続できる。

 ただ、奥義に達した人は通常の意味での死に遭遇しない、と考えるのは思い違いである。また、奥義に達した人は煉瓦に当たらず、当たっても死なない、と考えるのも間違いである。勿論、奥義に達した人なら、自分でそうしようとしたときにしか、そういうことは起きないが、いずれにしろ、ここでは肉体的な死が問題なのではなく、次のことが問題なのである。

 賢者の石を認識して、それを取り出すことに習熟した人の肉体の死は、表面的な出来事にすぎない。他の人にとって、死は、人生の大きな節目を意味する現実の出来事であるが、カリオストロが弟子たちに望んだような形で、賢者の石を使うことを心得ている人にとっては、死はただの見せかけの出来事にすぎない。

 (物質界に生きることを必要としないという意味。物質的な価値観をもつ故に、物質界に生まれ死を経験しなければならない。つまり、自己意識を変えればいい。)

 死は人生に、特別重要な節目というものを決して作らない。奥義に達した人を見上げている人びとにだけ、死は存在し、その人びとは、彼は死んだ、と言う。しかし、彼は、実際には全く死んでいない。もっと正確に言えば、彼は決して肉体によって生きているのではない。

 通常、死の瞬間に肉体に突然生じる経過を、生きている間に徐々に生じさせ、死ぬ際に起こるはずの全ての経過を、彼の肉体は既にやり終え、肉体なしで生きることをとっくに身につけたので、彼にはもう死は生じ得ず。レインコートを脱ぐように肉体を脱ぎ捨て、新しいレインコートを着るように、新しい肉体を身にまとうようになる。

 この話から少し理解できるだろう。肉体の死を無意味にする賢者の石が、カリオストロの教えの1つである。

 二つ目の問題は五芒星形の認識だった。これは人間の五つの体を、各々区別する能力である。誰かが、肉体、エーテル体、アストラル体、カマ・マナス体(霊我)、原因体(自我)と言うなら、それはただの言葉にすぎないか、せいぜいは抽象的な概念である。それだけでは、何も始まらない。

 今日生きている人間は、通常、肉体のことをほとんど知らない。五芒星形を知って初めて、五つの体がわかる。肉体を客体として持つときに初めて、肉体を認識でき、肉体の中にいる間は、肉体を認識できない。

 五つの体が客体になったことが、そのような修行をやり終えた人間と、普通の人間とを区別する。一般人も、この五つの体の中で生きているが、彼(自我)はその中に存在し、そこから出て、この体を外から観ることはできない。

 せいぜい、自分の下半身を眼で見下ろすか、または鏡で見るか、ができるだけで、カリオストロの弟子たちが、その方法を遵守していたら、薔薇十字会員が至った学堂に到達するはずだった。薔薇十字会員の目的も彼らと同じであり、結局は皆一つの学堂に属していた。

 それは、五つの体が単なる概念に留まらず、現実となるように導いたヨーロッパの奥義に達した偉人たち学堂だった。この2つ目の認識は、「五芒星形」と「道徳的な再生」と呼ばれている。

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 次回に続く。





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Last updated  2014年01月30日 16時01分10秒
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