シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月06日
XML
カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 一連のアホの洗脳された歴史認識や「従軍慰安婦」問題などの発言で、日本の国際的信用を失墜させているが、その背景には、日本の古い集合自我と西洋由来の新しい個的自我の葛藤があることが、シュタイナーの話からわかるので、以下に抜粋紹介する。

 つまり、日本のなかで、古き東洋と新しき西洋が衝突している。それはつまり、逆説的にいえば、新しき西洋に古き集合自我を還元させ、古き東洋に新しき個的自我を演繹する役目を日本が担っていることでもある。

 例えば、原発問題はその端的な一例である。原発再稼動は古い集合自我がもつ意識の典型であり、新しいエネルギー獲得への孤独な闘いは、新しき個的自我がもつ意識の典型であるからだ。

 日本はいま精神(文化)の葛藤の最前線になっている。この葛藤のなかに一筋の光を探すべきである。 

 簡単にいえば、本当のキリスト教(個的自我)を仏教(集合自我)から生み出すことである。

 ☆  ☆  ☆

アジアの背教者(改変)(2)

世界問題における精神の忘却(1921年11月6日 週報「ゲーテアヌム」第一巻十二号)

 ベトマン=ホルヴェークの遺著『世界大戦の考察』が近く刊行されるが、その中に次のような一節がある。



 ヨーロッパ社会に責任ある地位から大きな影響力をもち得たベトマン=ホルヴェークのような人物の考えを、この主張に見受けられる方向に導くために、世界大戦が起こされたことがわかる。しかし彼はこの文章を書いたときには、既に権力の座から退いていた。

テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%AF

 ヨーロッパの民衆の自由と正義は世界大戦により生じたのではない。それ以前からそのような状況は存在し、そしてそのことが大戦の原因となった。その生活状況は、今(第一次)大戦を通してはっきり表面に現われてきた。

 (戦争は大多数の破壊と混乱と、少数の権力者への富の集中しかもたらさない。その事情を知る者は戦場に送られ、口封じされる。少数の権力者の周辺にイエスマンしかいなくなったときは人類が奴隷化される前触れである。)

 社会の指導者たちは民衆の生活の中に存在する本当の力を見ようとしなかった故に、恐るべき破局を回避できなかった。彼らは上辺の権力構造にだけ照準を合わせてきた。だが現実の社会は、民衆の魂の意識の中に根を下ろしていた。

 社会の混乱の中に1つの明かりを点じるには、

 「 民族の魂の意識を理解することなしに、社会制度等を健全な方向へ導くことはできない 」

 というような洞察力をもつ必要がある。

 ワシントン会議を考える人の眼は、今、極東の日本へ向けられているが、その眼は上辺の権力手段のみに呪縛されている。中国とシベリアでの西洋の経済的利害関係を十分満足できるようなものにするには、日本にどう対処したらいいのか、とそのような愚者は問う。



 しかし、本当はどのような力が生じるべきなのか?

 日本は現在(1921年だが現在と被るところがある)、西洋との関係からアジア社会の最も前衛的立場に立っている。

 日本は最も外面(表面)的にヨーロッパ文化を取り入れた。だから西洋の指導者は、同盟、条約他によって、政治的に西洋の慣例に従った手法で、日本に対処できている。しかし民族魂の特質に関しては、日本は今でもアジアの伝統精神に結びついているのである。

 実際、アジアは古い精神の遺産をもち、日本にとっても、その精神に優るものはないと感じている。この精神は、西洋によって日本を満足させることのできないような状況が作り出されたときには、強力な焔となって燃え上がるであろう。

 (夏目漱石がロンドンに留学してなかば廃人のようになって帰ってきたことなどからわかる。日本人のもつ魂を、西洋のモノは満足させることができないからである。)



 (西洋の指導者の代表のイエズス会の日本への侵略から明らかである。西洋の指導者は、東洋に紛争や戦争を持つ込むことしか頭にない馬鹿なんである。競争原理などという洗脳もその1つである。

 生まれながらにして貴族のような物質的贅沢な生活を身につけたアホが指導者だからである。だからメーソンロッジにまでもカースト制度を持ち込む馬鹿なんである。

 メーソンにはそもそも階級などなく、博愛の下の平等主義からはじまったはずである。キリストの「弟子の足を師が洗う」という教えを愚弄している。)

 今日、世界全体にまで広がった社会制度を精神に由来する意識の介入なしに遂行することは許されない。アジアの諸民族は、西洋が、彼らに真の人間性から生じる諸理念をもたらすことができたなら、西洋に対して心を開いて歓迎するだろう。

 彼らは、世界全体との関連のなかで人間が存在していることや、世界全体との関係に相応しいように社会的に、人生が調整されなければならないことを理解するだろう。

 東洋の古い伝統の中にありながら、今、彼らが暗い感情に促されて革新を求めて努力している諸事象について、西洋が何か新しい解決法を教えてくれることを確信すれば、西洋人と東洋人とは理解ある協力体制を作り上げるだろう。

 しかし西洋の指導者が、そのような東西協力による社会的な働きを非現実的な人間の空想にすぎないと考えるなら、たとえワシントンにおいて、軍縮が世界平和にとってどんなに素晴らしいことかと話し合っても、最後には東洋が西洋に対して戦争をしかけてくるであろう。

 西洋は自らの経済目標を達成するために、世界の安定を求めている。東洋は、西洋が精神的に価値のあるものを東洋に提供する、と信じたときにだけ、その経済目標に同調するであろう。今日の大きな世界問題に秩序を与えることは、精神と経済とを正しい関係に置くことができるかどうかにかかっている。

 (20世紀は失敗の連続で、少数の人類の裏切り者のニセユダの悪魔の手に堕ち、現在もそれら少数は人類の支配者づらの偽装を続けている。)

 人類が、社会生命体の中での精神を生来の自由な基礎の上に置かない限り、西洋と東洋との和解は可能にならないであろう。西洋は精神的発展を続ける可能性を持っている。西洋は自然科学的、技術的な思考法により、これまで蓄積した財宝の中から精神に相応しい世界観を取り出すことができる。

 しかし西洋はこれまではこの財宝の中から機械的=唯物的な観点しか取り出してこなかった。社会的な思考は社会制度の中で精神を経済に組み入れ、拘束した。西洋の魂の素質(個性)に強く組み込まれている精神の自由な発展は、精神の管理を、社会制度の別面である政治や経済と結びつけてしまった故に、妨げられている。

 高次の魂に関心を寄せる個人は、東洋からその古い遺産を受け取り、それを外面的な形で西洋の精神に継ぎ足そうとしている。「東方からの光」は、そのような前提下では、西洋の精神の貧困の証拠を示すにすぎない。

 これは恐るべき告発なのである。それは西洋が陰惨な利害関係により、自分の光を見ようとしない事実に対する告発なのである。

 (西洋が東洋に物質的なカースト制度の権力構造をもたらしたために、今度は、東洋での精神的なカースト制度の権力構造を逆輸入してしまうこと。)

 西洋自身で精神的価値を高揚させることこそが、人類が今日の混乱を克服し、何もできずに混乱の中で彷徨い続ける状態から脱却する唯一の道である。この基調をもった意識改革を非現実的な人間のユートピア的=神秘的な夢想と見做す限り、混乱は更に続くだろう。

 西洋の指導者は平和について語るが、戦争の原因を取り除くことができない。最近、かつて権力をもっていた西洋指導者(注)がまたそのような権力を手に入れようと努力している様を見るとき、ヨーロッパの運命について深く憂慮せざるを得ない。

 状況が極めて不健全であり、そのような憂慮をもたざるをえないことについて、西洋はよく考えなければならない。

 (注)カール一世。オーストリア皇帝、1921年の復活祭と10月にクーデターによってハンガリーの王位につこうとした。

文明の死をもたらすもの(改変)

 レーニンやトロツキーについては次のように警告しておく。

 特定の地域だけでも、あまりに長期間にわたって、彼らの考える政治が支配的となったら、それは文明に死をもたらし、そして近代文明が達成した全てを破滅に追いやるだろう。

 (共産主義は、ロシア文明に死をもたらすとシュタイナーは警告したそうである。実際に、ソ連は崩壊した。ニセユダがつくった共産主義からくる社会制度の束縛が、ロシアの人々の魂に崩壊をもたらしたからである。

 ニセユダがつくった少数支配の資本主義も同じである。資本主義は共産主義の偽装でしかないからである。右翼が名前を変えた左翼の偽装と代わらないのと同じである。)

 〔ルドルフ・シュタイナーの「大予言」- ソ連は、その70年後に崩壊した ルドルフ・シュタイナーの「大予言」2-ソラトの憑依と共産主義思想の蔓延〕

イエス教(改変)

 人類の大半は魂の深層で働く意識について無知である。

 (ソクラテスの無知の知とはこのことで、物質的知識のことではない。大半の人は、平和を語るが、平和の意識については無知である。)

 だから精神を単なる概念とイメージだけの働きに錯覚している。そして、このイメージや概念の中で、途方にくれる自己を感じている。というのは、概念自体は、何も内容をもたないからである。

 そのような空虚な概念思考を偏愛してきたのがこれまでの支配者層の通例だったが、概念思考への偏愛は別の結果も生みだした。この概念思考自身は無力で、外なる感覚から生じる物証に-つまり感覚から知覚できる故に否定され得ない確かな物証に-従おうとする傾向をもっている。

 つまり、外界についての感覚への信仰が、近代人の空虚な概念思考の結果から生じる無力感に伴って生みだされている。

 (偶像崇拝のこと。概念思考が偶像崇拝を生み出す。それは現実の行動や経験を伴わないからである。)

 概念思考の無力感は精神に関係する全分野に現われている。学者が好んで実験を行い、実証によって感覚界には存在しなかった新たな概念の何かを創り出そうとする。しかしそのようにして概念の力で感覚界を作り替えても、感覚界自体を超えることはできない。なぜなら概念自体が空虚だからである。

 ☆  ☆  ☆

 次回に続く。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2014年02月06日 11時51分36秒
コメント(0) | コメントを書く
[軟弱日本を斬る!] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: