シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 仏教のニセモノかどうかの見分け方は簡単である。墓を売りつける仏教はニセモノである。

 もし、霊能者であるなら、意識が死なないことを知っているはずで、本来、墓が生には無用の一種の記念碑のようなものであることを理解しているはずである。

 死なない者に墓は必要ないが、では何のために墓があるのか?である。

 それは、恵まれない弱者の立場を配慮せよ、という教訓のためにあるのではないか。人間は、健康なときや金銭に恵まれた地位にあるときや権力機構において上位の立場にあるときは、死ぬことなどや、金銭が欠乏した地位や、危険と隣り合わせの下位の立場など考えもしない。

 つまり、健康や、高い身分や、金持ちの生活が永遠に続くように錯覚しがちで、要するに天狗になりがちなのである。己と反対側にある立場に配慮がいかなくなりがちである。

 栄華を極めた貴族でさえも、死んでしまえばいかに立派な墓であろうが、石コロと一緒ということである。せいぜい生前は立派だったと吹聴し歴史の書き換えを子孫などに託すしかできない。そのために唯物論に至っては無としている死を偽装した見せかけの墓(記念碑)をつくる。

 むしろ立派にみえる墓こそ、自然の土地をいまだに占有し続け、死んでもなお覚らなかったのかと、虚しさ浅ましさの人生を感じさせるもんである。

 キリストや釈迦のお墓があるのか?と聞きたい。あっても悪魔教の商売道具のニセモノであろう。

 墓は、唯物論の塊だ!



 死が身近にない間は墓場に葬られることなど考えもしないが、いずれはそのような立場になるはずで、現在それに近い立場の人にどれだけ思いを行き届かせることができるか?と気づかせるために墓があるのだろう。

 「お前が生きているのは、死んでいる人がいる御蔭だぞ!」ということなのである。

 だから、生きている間に、親孝行でもしなさい、ということになる。恵まれない、弱者の立場にある人の力になってあげなさい、という教訓なんである。

 少なくとも墓場に行って内輪の自慢話をするためではない。

 肉親の不幸が痛切に堪えるのは、永遠に続くものと思われた思い込みが崩されるからである。墓参りとは、天狗の鼻を折るためにあるものと思われる。

 株が儲かったとか、景気が良くなったとか、一面ばかりしかみないハシャギぶりにはウンザリで、渡る世間は天狗ばかりの世の中である。その裏で損した人や、景気が悪くなった社会のことを少しでも考えたのか?全く浅墓この上ない。

 復興が必要なときにオリンピックに現を抜かしている日本の非常識ぶりが大嫌いだ!

 やるなら、私費でやるべきだ!

 こんな思いやりのない天狗の国を恥ずかしく思う昨今である。 

 というわけで、シュタイナーの話を続ける。

 ☆  ☆  ☆

秘儀参入の道

ミカエル(改変)

 ミカエルは独特の存在で、地上での不断の精神作業から何かをもたらさなければ、ミカエルは本来何も啓示しない存在である。ミカエルは無口な霊である。

 ミカエルは自己の内に閉じこもる霊である。

 他の支配的な大天使が多くを語る霊であるのに比べ、ミカエルは全く無口な霊で、至極僅かな指示しか与えない。ミカエルから経験するのは言葉ではなく、ビジョンの力なのである。

 その理由は、ミカエルは本質的に、人間の精神の創造活動に関わる存在だからである。ミカエルは人間が精神的に創造した結果の中に生きる。対照的に他の霊たちはむしろ原因に生きる。



 そして、人間にはまだ不可能なことを、宇宙の中で発展させるために、人間の行為を受け取り、担っていく。

 他の大天使たちは、人間に「程度の差はあれ、あれやこれやをなせ、という意識を生じさせる」という影響を与える。

 しかしミカエルは、最初、何の意識も与えない霊である。ミカエルの統治下にある現代は、人間の自由から物事が生じる時代だからである。しかし、人間が、いずれアストラル界の光(叡智)の解読を通じて鼓舞され、意識、無意識にしろ、自由に何事かをなすと、ミカエルはその人間の地上での行為を宇宙へと担い、宇宙の行為に拡大する。

 ミカエルは(人間の行為の)結果に関与し、その他の大天使たちは原因に関与する。

 しかしミカエルは単なる無口な、沈黙した霊なのではない。例えば、人間、動物、植物の中の遺伝性についての認識を退ける。ミカエルは、そのような認識は何の成果ももたらさないことを示す。

 人間、動物、植物のうちの、遺伝には全く関係なくみつけられる認識がミカエルの前に運ばれると、ミカエルは拒否の手振りをせず、同意のヴィジョンをみせる。

 そのヴィジョンは、「お前は宇宙が望むように、正しく考えた」と語るようにみえる。

 -このように人間が益々努力することを学び、アストラル界の光(叡智)にまで到達するために思考し、あらゆる存在の背後の秘密をみて、その認識をもって、ミカエルの前に進むと、その同意のヴィジョンをみる。

 そのヴィジョンは「お前のこの認識は正しい。この認識は宇宙の方針にも合致する。」と語る。

 例えば、ミカエルは人間の言語の分化(分離)を厳しく拒否する。人間が自分の認識を言語の中だけに閉じ込め、思考に与えないなら、ミカエルの近くに行くことはできない。言語の分化について、今日も実際に、霊界で非常に意味深い戦いが行われている。

 人類の進化に入り込むミカエルの意識が一方にあり、他方には人類の進化のなかで、このミカエルの意識を受け入れず、拒絶しようとする意識も存在する。例えば、民族主義などはミカエルの意識を拒絶しようとする。

 民族主義は19世紀に燃え上がり、20世紀に益々強固になった。民族主義は多くの人々を混乱に陥れる。実際、近年、民族主義は多くの混乱をもたらした。これらの民族主義全ては強固にミカエルの意識に反逆する。

 人間の地上生活に意識を与えるミカエルの働きに対抗するアーリマンの力が、民族主義の中に含まれている。アーリマン側の霊たちが遺伝性の民族主義から生じる意識と、ミカエルを強固に拒絶する意識を、上方に突進させて戦っているのが観られる。

 今日(1920年代)、実際に、このような激しい霊の戦いがなされている。人類の大半に、本当の思考でない、ただ単に言葉の外面だけで捉えられた皮相的な意識が注入されている。言葉だけを考えるのはミカエルの道ではない。

 (言葉を意味で捉えるのではなく、外見や発音だけで捉えることはニセモノである。内容は変わらないのに、看板をつけかえて、例えば横文字にして見栄えをよくし、外面を取り繕うことなどの典型の官僚用語などはアーリマン側の意識である。)

 言葉だけに止まらず、言葉が意味する本当の内(精神)的な霊体験へと到達した思考を行なうときに、ミカエルの道に至る。

 言葉を超えて霊体験に至るのが、新しい秘儀参入の秘密である。言葉だけの思考を超えたとき、人間は、本当の言葉(宇宙語)を感じ、本当の言葉(宇宙語)を知覚要素として自らの内や外へ注ぐことができるようになる。特定の言語による思考を超えることが今日の人間が努力すべきことである。

 (言語からくる思考の偏りをなくすこと。同じ意味をもつ言葉でも、文化によって、思考が偏り制限されてしまう。要するに宇宙語で思考せよということである。空海は、宇宙語を真言と呼んでいる。

 宇宙語とは、例えば、民族固有の言語に囚われない言葉のことで、例えば日本語や英語やスペイン語など特定の言語に意味を限定されないこと。端的にいえば、言葉で表される以前の認識やイメージのこと。)

天使と人間

母国語と民族性(改変)

 人生において(生きているうちに)正しい方法で霊魂をアンゲロイ(天使)の領域に達するまでに高めた人は(輪廻転生の意味を知っているので)、次の転生において、肉体に入りながらも活動する活力が霊魂に(意識的に)植えつけられる。

 対照的に、死後、霊魂を高める体験を携えてこなかった人には、アンゲロイ(天使)は、再び転生を促すために、地上への憧れを無意識に作用するように、霊魂に植えつけなくてはならなくなる。このような霊魂への植えつけの際に、極めて多くの事項が決定される。

 この決定事項とは、「どの民族か」、「どの言語を母国語にするか」などである。その際、民族や母国語への意識を、霊魂のなかの「より内面」、もしくは「より外面」か、なども決められる。

 その結果、「母国語への愛が内側から貫かれているか」、もしくは単なる翻訳ソフトのように外的に「言語を表現する器官に自動的に移されるか」という違いが生まれる。

 「言語については、この二つのうち、どちらで決定されるか」ということが、次の転生において大きな違いを生み出す。地球上での新たな人生を始める前に、アンゲロイ(天使)の領域を二度目(一度目は人生のなかで)に通過していく際に、霊魂のなかで、母国語への思慕の念が愛情豊かに満たされている人は、母国語を内面に受け入れる。

 このような人は母国語と一体化し、愛が自明のものに、つまり精神的な愛になる。このような人は次の転生では、自然に母国語や民族性に溶け込んでいくことができる。

 ところが、外的な形で言語と適合していく人は-先程「自動的に」という表現を用いたが-次の転生では、努力して、言語を愛することを学ぶことになる。母国語や民族性について自明の愛として精神的に獲得していない部分が、当人の肉体から歪な形で現われる。

 民族性や言語との関係に自然な形で適合していくことができる平安で純粋に自明な愛は、民族性や言語と内的に結ばれている人だけが持ち得る。そうでない場合、言語や民族に、自動的に適合していかざるを得なくなる。

 その結果、民族や言語についての精神的な愛を、いわば努力して強引に生じさせることになる。この二つの間には大きな相違がある。

 前者は、物質的な、いわゆる世にいうショービニズム(熱狂的な愛国主義や民族主義)の形、つまり民族性を外面的に主張する形で現われることはない。

排外主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%92%E5%A4%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 (霊魂を高めなかった人は、言語や民族性についての愛が希薄なので、物証を求めようとする。つまり、自分が劣等であることを隠すため、他者を巻き込む形で補おうとする。早い話、愛国心のないものが、愛国心云々と主張し始めるのである。)

 前世において、敬虔で理想的な体験から実際に獲得した霊魂のなかの民族や言語への愛はごく自然な姿で、真の普遍的な人類愛と一つになることができる。四海同胞主義(コスモポリタニズム)的な、あるいは国際主義(インターナショナリズム)的な感覚が、言語と民族性に向けられた霊魂の愛によって歪められることは決してない。

 対照的に、なんらの精神的な愛情をもたずに「自動的に」言語や民族性に適合する場合、言語や民族性についての加熱気味で歪な偏愛を生じさせ、間違ったナショナリズムや、ショービニズム的な考えや、物証主義的な方法で言語や民族性を自慢しようする傾向などが生じる。

 (領土問題などはこの典型である。)

 ☆  ☆  ☆

 前世で霊魂を高める人生を送ってこなかった人たちが右翼となるようである。それにつられて、反右翼の左翼も増えるわけで、つまり物質主義が横行すればするほど右翼や左翼などが増えるわけで、中道が減っていく困った状況になるようだ。





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Last updated  2014年02月14日 14時23分04秒
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