シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月14日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回は、ニセモノの母国語愛や民族愛について、シュタイナーの話を紹介した。では、ホンモノとニセモノの違いは何かをシュタイナーの話から紹介する。

 ☆  ☆  ☆

天使と人間

天使は人間のアストラル体に何をなすのか?(改変)

 将来、人類のなかで発達することになる自由な宗教は「(これまでの)単なる理論ではなく、人生での実践のなかで、直接、個人のなかに実際に神の似姿を認める」ことを拠りどころとするようになる。

 (ホンモノのキリスト教では、各個人のなかで、実際のキリストと出会うという。)

 そうなると、もはや宗教を強制されることもなくなる。というのも、その時には、個人が他者と出会うこと自体が、既に宗教的な儀式、秘跡となるからである。その時には誰もが、物質的な組織(宗教団体)などによる特定の教会や寺院などによって、宗教上の生活を物質界で整える必要もなくなる。

 人生そのものが超感覚による表現(宗教儀式)となることから、わざわざ宗教上の生活を整える必要がなくなる。人生そのものが超感覚の表現となることで、教会が持ち得る唯一の目標は-もし教会が、本当の教会というものを正しく理解するなら-「教会そのものを物質界で不要にする」こととわかるだろう。

 (教会は個人の自由な信教に委ねて解散すべきである。バチカンをみればわかるが、現代のキリスト教はニセモノで、悪魔崇拝教だからである。)



 更に三番目の意識に注目する。それは、「(自由な)思考を通して霊(天使)へと到達し、(自由な)思考を通して、物質性を超越し、霊(天使)の体験へと到る可能性を人間に与える」ことに他ならない。

 霊を探求するための人智学や、霊魂のための自由な宗教や、肉体のための友愛などが、人間のアストラル体で天使がなす仕事を通じて、宇宙の音楽(シンフォニー)として鳴り響く。(P54)

聖人の光輪はどのようにしてできるか(改変)

 お互いのことを絶対に好きになれない二人の人間同士が出会った場合のことを考えてみる。極端な場合だが、こうした場面が人生には起こる。

 「お互いに良い感情を持たない二人の人間が出会い、通常以上の反感をお互いに向けた」場合を想定すると、その二人の人間の頭部を形成するエーテル体が、相手の方に傾くようになる。

 仲の良くない人間同士が出会うと、エーテル体は頭を絶えず相手の方(前方)に傾け、反感が現われてくる。

 また愛し合っている二人の人間が出会うときにも、似たような現象が認められる。この場合は、頭部のエーテル体が後方に退いて、後ろ向きに傾くようになる。

 つまり、お互いを好きになれない人間同士の場合、エーテル体はまるで挨拶でもするかのように前方へと傾き、愛しあっている人間同士の場合、エーテル体は後方へと傾く。

 (東洋のお辞儀は、このエーテル体の現象を真似たものかもしれない。好きになれない相手には、お辞儀というよりも、全体的には前方に角が生えるようにみえるという。だから鬼にみえるわけである。)

 では、この二つに共通して生じることは何か?

 それは「頭部のエーテル体を前か、後ろかのどちらかに傾けることで、頭部の物質部分が通常よりも自由になる」ということである。この現象は相対的な程度にすぎなく、勿論、エーテル体が物質体から完全に抜け出るわけではない。



 すると、その人間の頭部では、エーテル体の動きだけでなく、アストラル体の光の変化が生じるようになる。

 このような現象を理解している人は、多くのものを無私に愛することができる人間の肖像を描くときに、光輪と呼ばれる頭部のオーラを描き加える。この肖像画は単なる創作ではなく、事実上の真理に基づいたものである。

 (東洋風に表現するなら、「後光が差す」ということになる。)

 出会う際に、愛の中に強いエゴイズムが絶えず混入するなら、頭部にこのような現象はほとんど生じない。個人的繋がりだけでは、頭部に光輪のオーラは生じない。

 普遍的な人間愛をもつ-つまり普遍的な人類愛につながる人に、上述の光輪が頭部に生じる。このような人には、アストラル体が頭の辺りにはっきりと見える。



 無私の愛を霊視できる人は、このような愛の人の光輪をみれる。そして、霊視者は、光輪の存在-「光輪が人類愛から生じるの」を現実に認識できる。(P171-P173)

 (動物も霊視力があるので、善人かどうかは、光輪があるかどうかでわかる。動物に嫌われる人は、善人ではないことがわかる。)

悪の秘儀

現代の教育は人間をあまりにも早く老い(退化)させている(改変)

 今日行われているような教育が続いていくなら、人間はあまりにも早い年齢で老け込み年老いていくだろう。というのは、現代の教育はアーリマン(唯物論)的だからである。アーリマン的な教育は人間を早く老い(早熟に)させる。

 現在、学校で子どもたちを教育している方法は、全面的にアーリマン(唯物論)的で、まさに20世紀では、このような教育が行われているため、人類の進化はアーリマン(唯物論)的な方向に向かっているが、20世紀以前の時代では全く事情は異なっていた。(P28)

古代人は「決して老いることがない」という危険に曝されていた(改変)

 いまから8000年前の時代から、西暦紀元の始まる頃までの時間を遡ってみると、当時は、現代とは全く事情が異なっていた。現代とは逆に、その頃の人間は「決して老いることがない(現実を知ることがない)。」という危険に曝されていた。

 このような太古の時代には、現代のような意味の学校は存在しなかった。学校は、既にかなりの年齢に達してから正式の学者になろうとする人のためだけに存在した。学校は、正規の学者になるためにあった。

 古代には、子どもの教育のための学校は存在しなかった。子どもは人生そのもののなかで勉強をした。子どもは実際に目にみえるものの中から、様々なことを学んだ。当時は、学校は存在せず、未知の事柄を子どもたちに教えようと大人が骨を折ることもなかった。

 この時代には、人間が完全にルシファー(幻想)の中に入り込み、ルシファー(幻想)的な熱狂に没入してしまう危険があった。古代にはまた既に述べてきたような数多くの叡智も存在していたが、当然だが、このようなルシファー(幻想)的な傾向は抑えられる必要があった。

 もしこのままであったら、太古の人々は一日中幽霊の話ばかりしていただろう。当時の人々は、とりわけ幽霊の物語などを好んだ。

 従って、次のような結論に達する。

 「太古の昔、今から8000年前の時代から西暦紀元の始まる頃まではルシファー(幻想)的な時代だった。それから、アーリマン(唯物)的な時代がやって来た。」(P28-P29)

近代以前、福音書は禁書だった(改変)

 キリスト教の最初期の時代から12、13世紀、更には14世紀に到るまで、キリスト教徒が聖書を読むことは禁じられていた。例えば、新約聖書を読むことは禁じられていた。新約聖書を読むことが許されていたのは聖職者だけだった。

 一般の信者が聖書を読むことは許されなかったのは、なぜか?

 その理由は、聖職者たちが、「聖書は正しく読まなくてはならない」ということを熟知していたからに他ならない。聖書が成立した時代には、今日の人間のような(唯物論的な)方法で思考することはなかった。

 当時の人々は霊的に思考した。だから、聖書は、霊視的に、正しく読まなくてはならない。(P43)

 しかし現代のように、「福音書を読むのに心の準備をする必要はない(霊視力を必要としない)。」と言うようになる時代がやって来た。一般的に、現代人は、心の準備をする(霊能力を獲得する)、ということが一切ない。

 現代人も、学校に入学するに際して、準備をさせられ、躾などがされるわけだが、このような躾を必要とされなくなる頃-14歳、15歳をこえる頃-には、心の準備などは必要とされず、その時期には、全てが理解できるようになっているはずである、というのが、現代の一般的な考え方である。(P45)

サタンの別名(改変)

 アーリマンの霊やメフィストフェレスの霊とは、これらの名称を正確に捉えるなら、中世の人々がサタンの霊と呼んだ霊と本質的に同一である。(P58)

世俗の学問がもたらすもの(改変)

 現代を生きるには、次のような事柄を洞察する必要がある。単なる世俗の学問だけでは、人間は幻影にとりつかれることになるだろう。世俗の学問は、基本的な(物質主義的な)意味から、最後にはもっと愚かなことを行なうようになるだろう。

 現代(1920年代)でも、既に十分すぎるほど愚かなことが行なわれている。というのは、第一次世界大戦という災厄は大いなる愚行に違いないからである。現代の世俗的な学問に浸透された多くの人々が、世界大戦に関与していた。(P133)

 ☆  ☆  ☆

 ニセユダヤのほとんどが大戦に関わり、人殺しの兵器を売って金銭を稼いでいたことは明らかになっている。ニセユダヤは賢いとされているが、実は最も愚かな連中であることがわかる。





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Last updated  2014年02月18日 15時12分23秒
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