シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月18日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回はニセモノとホンモノの違いをシュタイナーの話から紹介した。ニセモノに騙されずに、ニセモノを見破るために、ニセモノの話を続ける。

 ☆  ☆  ☆

アーリマンの活動(改変)

 紀元前三千年紀の初めにルシファーが(東洋の中国に)受肉したのと同じように、またゴルゴタの秘儀の時代(西暦紀元がはじまる頃)にキリストが(中東に)受肉したのと同じように、現代のしばらく後の西暦三千年紀の将来に、アーリマンが西洋に受肉することになるだろう。

 (ニセユダヤなどに、その兆候が現われているようである。)

 人間の進化の道程では、一方の極にルシファーの受肉があり、中央にキリストの受肉があり、他方の極にアーリマンの受肉が位置している。(P107)

 アーリマンが用いる洗脳の一つは、「『特に近代以降支配的になった(唯物論的な)思考やイメージが、人間にどのような影響を与えるか』という問題に関心をもたなくさせること」に他ならない。(P110)

 アーリマンは、自らの受肉を完全にするため、特に次のような点に注意を払っている。

 「近代以降支配的な幻影としての学問を、人間が自らで完全なものにし-現代の学問は基本的に全て幻影だが-、それが幻影にすぎないことを人間に気づかせずに、アーリマンにとって都合がよい状況をつくりあげること」である。



 現在、学問という迷信が、あらゆる集団を捉え-このような迷信に基づいて社会学までも形成しようとしているが-三千年紀に到るまで、このような思考が支配するなら、将来、アーリマンが人間として西洋文明の中に現われ、地上に学問的な迷信が蔓延している機会に乗じて、アーリマンは極めて大きな勝利をおさめることができる。

 いま述べた話から、誤った結論を導き出してはならない。もし、あえて現代の学問を避けようとするなら、それは誤った結論である。現代の学問については、むしろ積極的に熟知しなくてはならない。

 現代の学問の側からやってくるものは、全て知っておかなくてはならない。しかし、そのためには、完全な覚醒意識をもつ必要がある。完全な覚醒意識をもてば、現代の学問の幻影としての局面が-このような幻影としての局面は人類の教育には不可欠だが-、幻影であることが明らかになるからである。(P116-P115) 

 「人間を学問的な迷信に縛りつけておくこと」

 が、アーリマンの受肉をできる限り有効にするために、アーリマンが用いる手段なのである。(P118)

 アーリマンが用いる第二の手段は、「多種多様な煽動により、現代の人々を互いに反目し合う小さなグループへと分裂させること」である。

 このようなアーリマンの力は、人間の集団のなかに不協和音が生じる場では、どこにでも作用する。こうした不協和音の大半は何に起因するのか?

 ある典型的な例から始めてみるとわかる。現代のプロレタリアート(労働者)はカール・マルクスを信奉してきた。「カール・マルクスの学説は、現代のプロレタリアートの間にどのように広まっていったか」ということを正確に探求してみるとよい。

 過激なまでに、無限の、莫大な量へと向かおうとするマルクス主義の文献に注目すれば、現在、通常行なわれている極めて分かり易い学問的な考察法(唯物論)が使用され、様々なことを厳密に証明している。

 それらの文献では、ほとんど全てが極めて厳密に証明されているために、既にかなりの人々が-当初、誰も予想しなかったが-マルクス主義の手に落ちてしまった(俗に言うコミュニスト)。

 では一体、マルクス主義のカラクリとは何なのか?



 このような学者たちはマルクス主義を認め、もはやマルクス主義から抜け出すことができなくなっている(マルキスト)。


 というのは、マルクス主義の文献を読めば、マルクス主義により導き出される結論は相互に見事に符合するようになっていて、現代の学問的な考察法やイメージ法を用いて、マルクス主義を実に正確に証明できることが、次第に明らかになるように洗脳されるからである。

 もしカール・マルクスが、それら文献に書かれている内容と全く正反対のことを証明したならば、こんどはプロレタリアート(労働者)ではなく、ブルジョワ(資本層)側がマルクス主義を受け入れるだろう。

 というのもマルクス主義の立場から、法や道徳などのイデオロギー的な性格や、剰余価値の理論や、唯物論的な歴史研究について証明できるのと全く同等に、それらとは全く正反対の対立の概念なども厳密に証明できるからである。



 ブルジョワ(資本層)的なマルクス主義から、プロレタリアートとは正反対のことを、イカサマや誤魔化しなどは一切入り込む隙もないほど、同等に厳密に証明することも可能である。つまり、プロレタリアとは正反対のブルジョワについても、マルクスの証明は完璧なものとなっただろう。(P120)

 (左手を右手抜きで、厳密に定義できないのと同じ。つまり左も右も両方があってはじめて定義できるので、左も右も同じということ。)

支配者の歴史的変遷(改変)

 「ルシファー的な時代」として描き出した古代まで時間を遡ってみる。当時は誰が支配者だったのか?

 当時は秘儀参入者が支配者だった。エジプトのファラオも、バビロニアの支配者も、アジアの支配者も、全て秘儀参入者だった。(P123)

 (秘儀参入者とは、現代でいうなら、霊能者のこと。)

アーリマンと民族主義(改変)

 最近(第一次大戦後の国際連盟成立期)、世界中で「民族的な国家を、民族的な王国を打ち建てなくてはならない」という声が叫ばれているのを耳にされただろう。「それぞれの民族の自由」について実に多くのことが語られている。

 しかしながら、国家が血や部族のつながりに従って建設される時代は、既に人類進化の中では遥か昔に過ぎ去ってしまった。だから今日、知性や精神の中から純粋に発したものでない民族や部族などのつながりがアピールされるならば、人類の間に不協和音が生じることになる。

 (日本のネトウヨなどは、この不協和音の典型である。)

 アーリマン的な力は、この人類の間の不協和音をとりわけ利用できる。民族的なショービニズム(排外主義)、あらゆる倒錯した愛国主義を材料として、アーリマンは自分が必要とするものを組み立てる。(P205)

 (ユダヤ人でないのに、自称ユダヤを名乗るニセユダヤなど)

アーリマンと統計学(改変)

 現代人の知性は、事物についての上辺だけの理解に留まり、真理が存在する奥深くの中身にまで探求していくことがない。知性については十分に深く、根本的に洞察する必要がある。

 現代人は、悟性の発達とともに、上辺だけの理解に留まることを好み、魂のより深くにある精神力を用いて、上辺だけでなく、更に、その先にある事物の本質に相応した霊的な存在の領域にまで探求していくことを好まない。

 (上辺だけの情報しか取り入れず、実際に体験してみるということを嫌がる。)

 少し自分の周囲、つまり人生を外面的に見回すだけでも、「人間は、いま自分が好むものによって欺かれる」ということがわかるはずである。

 例えば、現在の学問では数字が好まれる。現代は、社会生活でさえも数字で表わし、数字が好まれる。社会学に注目すれば、この学問が純粋に(無味乾燥な)統計学から成立していることがわかる。

 そして重要な事柄は統計学から、つまり数字から推論される。数字により様々な事象が証明され、信用を獲得している。

 しかし、数字とは、事象を証明する手段ではなく、人々を欺く手段なのである。数字よりも、事象の質に目を向けなければ、数字を超え、質を探求しなければ、大抵、数字に騙されることになる。

 (既に選挙などがそう。統計学ほどインチキな学問はない。)

 数字が証明の手段として持ち出され、証明の手段としてみなされることで、アーリマンは野望を果たす。(P207)

 ☆  ☆  ☆

 現代人は、アーリマンに洗脳されているといえるだろう。そのことがわかる話を、御馴染みのサイトから次回抜粋紹介したい。





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Last updated  2014年02月20日 14時54分07秒
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