シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年02月26日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 シュタイナーの話からわかることは、この世に生まれている人は修行が足りないということである。早い話、自分のことしか考えずに、思いやりがない生き方しかしてこなかったため、実際に体験してみて、自分のこと以外を考え、思いやりをもつようになるために生まれ、仲良く平和に暮らすことを学んでいくわけである。

 しかし、いまだに、自分の儲けしか頭になく、他者がどうなろうが知ったことではないという下等な人物が多いことは、天文学的な金銭を稼いでいても、人類の平和のために何もしないアホが多いことからわかるが、このようなアホが人類のなかにわずか1%の少数いるだけでも、世の中には貧困がいまだになくならないでいることからもわかる。

 シュタイナーが説いたように、これらの下等な頭の持ち主たちは、自分が、自分とは逆の立場を生んでいることにすら気づかずに、その逆の立場が、死後、自分に襲い掛かってくることすらの想像力、つまり知性もない。

 物質的に豊かな国の人々は、実は精神的に貧しい国の人々であるというようなことを、マザーテレサが言ったが、そのような発言も、まるで御伽噺のような話で、対岸の火事といったような立場を、特に人類の指導的な地位にある者がとり続け、いまだに快楽追求の虜となり、金儲けしか頭にないのは、まったくもって地球人全体の知性の低さを物語るものである。

 せっかく太陽からキリストがやってきても、それを戦争の商売道具にしてしまう悪魔教が蔓延っているから仕方がない。

 挙句の果てに、この国のアホは悪党と組んで日本版悪党CIAをつくろうとしているというから、馬鹿は死ななきゃ治りません。以下を参照に

 ☆  ☆  ☆

日本版CIAを設立するそうです
http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20140225/1393295971#seeall



 アホノミックスがQEのパクリで失敗したのに、懲りずにCIAのパクリをつくるとは、情報が漏れるだけで、馬鹿につける薬はないようですね。パクリに責任をなすりつけようというニセユダヤの判断なんでしょうね。要するに悪党がやるトカゲの尻尾切りでわかりやすいです。

 このアホは小学生並みの知的レベルしかないようです。外見はそれでも大人なので、醜い小学生といったところでしょう。経団連のオバカ怪物たちも、小学生のいじめっ子となんら精神上は変わりありません。死んでもまた生まれ変わるでしょう。今度は金持ちには生まれないでしょうけどね。

 というわけで、このようなアホからも多くのことが学べるわけで、なんと人生は有り難いものなのかを知らせるシュタイナーの話を続ける。シュタイナーで有名なのは、「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」だろう。今回は、この本から抜粋する。

 ☆  ☆  ☆

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか

内が外になる(改変)

 霊界を認識するためには、全く新種の判断を身につけねばならない。というのは、人間の精神内部(アストラル界)が属する霊界が、外界として現れてくるということから考えても、その現れ方が、この世の物質の姿とは逆の形で現れてくるからである。

 例えば、或る数を霊界で見た場合、鏡に写ったときのように、逆に読まなければならない。例えば、この世での「285」という数は、霊界では「582」を意味する。またこの世でみえる1つの球(面)は、霊界では、その球の中心にいるようにみえ、球面と中心が逆転して現れる。

 従って、霊界での、中心にいる観点を、物質界では、正しい形で球面に変換して改めて翻訳し直さねばならない。また、魂の特性も鏡像のような正反対の現れ方をする。

 この世での、外にある何か対象に向けられた願望(欲望)は、あの世では、その願望(欲望)を抱く人自身に向かってくる形姿として現れる。低次の攻撃性に基づく情欲は動物のような姿をまとって、その人自身に襲いかかってくる。

 この世では、このような情欲は、それを満足させてくれる対象を外界に求めることができるが、この世での外に向けられた、この情欲(欲求)が、霊界という鏡像の中では、情欲の所有者自身への攻撃として表現される。



 修行者が、このような霊視力を獲得する前に、冷静な自己観察を通して、自分の性質をよく認識していたなら、死後に、自分の内面が外界の鏡像となって立ち現れてきた時にも、直接、それと向き合う勇気と力を持つことができる。

 (要するに欲望の抑制法を体得しているからである。)

 冷静な自省を通して自分の精神内部に精通しようとしなかった人は、このような鏡像を己れの姿であるとは認めたがらず、それを自分ではない、異質な外界の一部と見做し混乱に陥るだろう。またはそのような鏡像に接して不安に陥り、その姿を見るに耐えなくなり、根拠のない空想であると思い込もうとするかもしれない。

 (端的な例は、自分が生前嫌っていた、差別していた人物が、ストーカーのように自分につきまとうことになる。実はそれが自分の本性なのである。生前は、自分が嫌っていた、差別していた人が身代わりになって、自分の本性を鏡に映していただけなのだ。

 金持ちなどは、本心がみすぼらしいので、錯誤の物証のために、物質的に着飾り、外見を取り繕っているだけである。だから東洋では外見よりも中身の精神が重視される。特に古代の中国では外見が禿げてみすぼらしくても、中身の精神が成熟していたら逆に尊ばれた。)



 (簡単にいえば、自分がゴミを出しているのに、その自覚がないことで、これは、自分が出したゴミを自分で処理できない人が物質界に現実にいることでわかる。このような人は自分のことしか考えられずに、想像力を既に失っている魂なのである。俗にモンスターといわれるのは、魂が既に獣の領域にあるほど低次元になってしまったことを意味する。)

 霊界へ参入するには、自分の魂の霊的な認識(自分の魂の進化度合い)が、修行者にとって極めて重要である。人間が一番に評価すべきことは、自分の霊魂を支配する自我の内容(統御具合)である。修行者が物質界での日常の自分についての認識を充分に深めた上ではじめて、霊界での自分の鏡像に接したなら、その両方を正しく比較でき、魂を良く制御(向上)できるようになるだろう。

 霊界での霊の姿を、物質界での日頃の自分の熟知している姿と関係づけられれば、自己の精神を確実な土台に乗せることから出発できる。そうでなければ、たとえどんなに多くの他の精霊(守護霊)たちが、修行者の前に出現してきても、修行者は、それらの霊が語る内容を知る手がかりも掴むことができない。

 その結果、次第に、自分の拠り所も消滅してしまうだろう。それ故、自分の本性を十分に認識し、評価することを学んだ者だけが、霊界においても確実な道を歩むことができる。このことはどんなに強調してもし過ぎることはない。(P158-P160)

 ☆  ☆  ☆

 人間は地球に修行にきていることを忘れるなという厳しい助言である。昨今の破戒坊主らをみていると、お釈迦さんの有り難い説法も虚しく聞こえる話である。お釈迦さんは物質界に定住するための商売道具をつくったのだろうか? 

 仏教徒に聞きたいものである。仏像つくって魂入れずである。死者の魂を墓に閉じ込める嘘念仏で金儲けしているアホである。次回に続く。  





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Last updated  2014年02月26日 13時41分17秒
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