シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年03月14日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 世界平和と大それたことを言う前に、まず自分の心を人生の間だけでも平和にすることであろう。前々回述べたシュタイナーの教育の原理からすれば、自分の心も平和に出来ないやつが、世界平和などできるわけがない、というわけなのだ!

 他者に求める前に、まず自分がそれを実践しているのか、それに値するのかどうか精査すべきである。

 自分でもできないことを他者に求めるのは分からず屋の妄想屋である。

 そういうような話を御馴染みのサイトに見つけたので以下に紹介する。

 ☆  ☆  ☆

世界が平和になるには 泣くな はらちゃん
http://golden-tamatama.com/page-1.html

 先日、金玉疎開村の人から「泣くな、はらちゃん」というドラマを教えてもらいますた。



 主演は長瀬智也(TOKIO)
 ヒロインが描く漫画の主人公が実体化して(ドラマ上の)現実の世界に現れ、創造主でもあるヒロインに恋をするというファンタジー作品である。

 動画もありますた。
 (動画はリンク先を参照してくだされ。)

 泣くな、はらちゃん #1 投稿者 yamutya1

 そのドラマに出てた漫画がとても良かったのでここに張ります。

http://www.ntv.co.jp/harachan/sp02/0101.html から

 ギターの青年 はらちゃんは言います。

 僕は誰にも干渉したくない。だから僕にも干渉してこないで欲しい。

 そうすれば、みんな平和に生きていけるだろう。



 ブログでさえそうなのです。個人ブログを書いているとあーだこうだと。攻撃をしかけて来る人もいる。

 会社で働いてたりしたらもっとでしょう。

 だったら、平和な世界を作るには、敵を排除するしかない。

 (敵は敵ではなく、自分の影的役割である。自分の心に闇があるから、敵にみえるだけ。)

 この世界の争いとはそういうところから始まるのでしょう。



 先日面白いことがありますた。
 まぁ、イベントをやった訳ですが。
 面白いと言っては申し訳ないのですが。

 ワタスはその講演会は成功だと思った。
 大雪の中でも多くの人が来てくれて、それなりに満足してくれた。
 感謝のメールも来た。

 しかし、スタッフの中には、失敗だった。
 お客さんを待たせて、嫌な思いをさせてしまった。
 段取り悪すぎる。

 等々の意見がありますた。

人によってぜんぜん見方が違うのだなぁと改めて思いますた 。

 ある人はその公演内容が全てだと思い、ある人は観客のもてなし方が全てだと思う。

 ある人は、ある程度の対応で十分だと思い、ある人はこんな接客じゃダメだと思う。

 何を優先して考えるか。どのレベルまで良しとするか。

 優先順位と程度の差。

人の物の見方には、人の数だけある 。

見る人によってある事象に対する評価は、180度変ってしまう 。

 ものの見方。

コップを上から見るか、横から見るか。はたまた下から見るか 。

 違う形にみえる。

でも、全部の見方が正しい 。

 それぞれが正しい。

 ただ、違う方向から見てるだけ。

 それがネガティブだとかポジティブだとか全然関係ない。

一つのものの見方に固定した瞬間に苦しみがおきるのではないでしょうか 。

 (全部の見方を集めてきてくっつけたのが正しい。だから自然高次元にならざるを得ない。)

 日月神示が良く「理屈悪ぞ」と言います。

 ワタスは、人々の心の中には日々浮かんでは消える心の波がある。
 でも、その波を固定してしまうと苦しくなる。
 それを理屈と言ってるのだと思っています。

 (自己意識とは、固定した見方から生じるわけです。しかし、その固定した見方のなかに、自己はないのです。脳が情報を集めてきて鏡のように映しているだけなんです。)

 思いは、一瞬一瞬で違うものです。

 そうだね。
 そういう見方もあるよね。

私はこういう見方をしていたけど、あなたの見方も正しいよね 。

全てのものの見方、思いを受け入れる心。認め合う心。
 その心が広まれば戦争なんて起きない。


愛とは、全ての波を受け入れること。
 調和のこと。
 それが、この世界の一切の苦しみを溶かす鍵だと思ってます
。

 この漫画を見てそんな風に思いました。

 本当にありがとうございますた。

 ☆  ☆  ☆

 という話を、シュタイナーの自己意識=認識の話から考えれば、自己意識というのが幻想であることがわかる。

 よく自分の意見に固執しがちだが、その意見が他に採用されなかったとしても、自分の存在が死ぬわけではない。むしろ、採用されないからこそ、自分の立場を個性として明らかにしてくれる。

 例えば、静岡側からみた富士山が本物だと静岡県民が主張すれば、いやいや山梨側からみた富士山が本物だと対抗して山梨県民が主張するだろう。そうすればせっかくの富士山も闘争の道具となってしまう。

 お互いが相手を認め合い、なるほど静岡側の富士山も見事ですなと山梨県民が絶賛し、また山梨側の富士山も静岡側にはない良さがありますね、と自分たちからはみえない景色に気がつけば、静岡県民の視野が拡がるわけである。そうすれば、富士山は、両県民の共通の美しい景色として象徴化される。

 この話は、山岡鉄舟の「晴れてよし 曇ってよし 富士の山 元の姿はかわりざりけり」という詩の意味にちなんでいる。

 人は、自分の予測(期待)が外れると意気消沈するが、そんな予測(期待)は人為であり、自然は人為などなんとも思わず、ただ自然の心(四季や天候)に従っているから、人為(願望)を自然に強要するのが間違っている。

 誰が富士は晴れていないとダメだと決めたのだろうか? それは人間側の一方的な都合だろう。晴れていない富士も富士に変わりはなく、それら全てを含むのが本当の富士で、富士山を楽しむ心なんである。

 領土問題も、この富士山の見方の問題となんら変わりはない。要するに他の見方を拒絶する心の貧しさに問題がある。

 つい最近問題になった浦和レッズの一部のアホサポーターによる人種差別横断幕もこの心の貧しさにある。

 これとは逆に、どんな観点やいかなる立場も受け入れるのが、おもてなしの心である。おもてなしの心は、心の豊かさにある。それは物質的に恵まれない生活のなかで節約をし、どんなものも生かそうとする勿体無いの心がけから生まれる。

 つまり、心がけ次第で事実は180度かわるわけで、ハサミと馬鹿は使いようというか、平和も戦争も人類の心がけ次第ということだろう。

 全体という心の土台があってはじめて、自分という自己があることに早く気づくべきであろう。

 自分は正しいと思っているその自分とは、実は自分ではないのである。これまでの経験から自分かのように思い込んでいる錯覚にすぎなく、少なくとも全体の一部にすぎない。一部をみて、全体をみたというのは嘘つきである。

 この国には金持ちは確かに増えたが、それに比例して、心の貧しさも増加している。その典型が極右である。極右の主張は、一面しかみていないのに、正しいと主張するから闘争の道具となる。





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Last updated  2014年03月14日 13時25分19秒
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