シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年03月14日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回の話から、輪廻転生の経験が多いほど、様々な人生を経験しているので、いまの自分とは異なる立場や考えを受け入れられる、つまり、平和な心をもてる、ということがわかる。

 そのようなシュタイナーの話を続けて紹介する。

 ☆  ☆  ☆

小さな霊と話す子供(改変)

 色々な問題を一度に取り上げずに、これまでの話を続けようと思う。この少年は他にも特殊なアストラル(心)体をもっていた。この少年は、私(シュタイナー)のところに預けられたときからすでに特殊なアストラル体をもっていた。特殊というのは、右の人指し指に小さな霊(アストラル)をくっつけていたからである。

 この少年は、この霊のことをいつも「アッシーちゃん」(Bebe Assey)と呼んでいた。まるで普通の人と話しているかのように、この霊とまるで現実の存在のように話していた。この霊は突然変身し、狼男にも変身できたが、例えばライオンに変身し吠え続けた後、別の動物に変身したが、一番好みの変身はライオンだった。

 このことから、少年のアストラル体が、正常な形で肉体の中に入ることができず、一部が外に残っていたことがわかる。実際、アッシーちゃんは、この子どものアストラル体の外に残った一部で、その子のアストラル体は、外に残ったその一片が垂れ下がっていた。

 そして、その一片に外から四大元素霊(プラズマの火、気体の空気、液体の水、固体の土)が憑依し、この霊の客観的な(外からの)働きと子どもの内なる主観的な働きとが混ざり合い、融合していた。

 だから、この子の教育には、この子のアストラル体が、肉体の中に完全には入り込めないでいることを知ることが大切である。



 この子の場合、そのような現象がはっきりと現れるように、アストラル体とエーテル体との調和を生じさせるのが非常に困難なのがわかる。(P139-P140)

教育は治療である(改変)

 古代人にとって、治療とは、アーリマン、もしくはルシフェルの一方に偏向してつくられた人体を、善霊の働きを通して、アーリマンとルシフェルの中間に近づけることだった。アーリマンとルシフェルの均衡を保つことが治療だった。

 (過度の覚醒意識か、過度の潜在意識かに傾いていた意識を、その中間にとどめることが治療とされたようである。前者は独占主義で、後者は妄想主義といえる。つまり、独占主義はアーリマンで、妄想主義はルシフェルといえる。)

 そして教育を通して、人間は一生のあいだ、この均衡をとるように促された。

 (この均衡をとる意識をキリスト意識と呼ぶそうだ。)

 古代人はどんな子どもの中にも病的と言える障害がある(意識の上で)、と考えていた。その障害は治療を必要とするので、治療と教育は古代では同じだった。現代に当てはめるなら、教育は、いわゆる健常者に必要な治療であり、治療は、いわゆる患者に必要な特別な教育であるにすぎない。

 子どものこころとからだは互いに深く結びついているので、一般的な考え方の、子どもに薬を与えるとき、薬は子どもの身体だけに作用する、と思ってはならない。どんな薬も大人とは比較にならないくらい、こころにも本質的な作用を及ぼす。(P244-P245)

未完成な自我(改変)

 人間の現在の自我は未完成であり、次の時代になって、はじめて(霊我として)現実に存在するようになる。

 現在の自我はまだ赤ちゃんで、霊視者には、自己中心的な態度でこの世を泳ぎ廻る人の魂は、まるで愛に溺れる女性のようなビジョンとしてみえる。霊視では、自我の幼稚性は、愛に溺れる喜びを心のなかで感じている女性のビジョンのようにうつる。



 (聖母マリア像など。つまり、聖母マリアの像は、現代人の自我の未熟性を表している。現代人への警告や戒めなのである。残念ながら悪魔教では人類愛と偽善解釈されている。)

 古代エジプト人たちは、有名なスカラベ(糞ころがしの昆虫)の像を作り出したが、このスカラベのような自我を少なくとも頭部に担っていた。

スカラベ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%99

 (古代エジプト人は、肉体を糞のようにみていたことがわかる。つまり「糞ころがしの昆虫」が自我=霊魂で、肉体=糞をころがしているように人生の輪廻転生を捉えていたことがわかる。)



メルヘン論

目に見えない友だち(改変)

 経験や体験が教えてくれることだが、子どもの心情は、しばしば自分の内面に、素朴な仲間のような友達を生み出すことがある。実際、この仲間は、その子どもの心情だけにしか存在していないが、その子どもに付き添って、人生の様々な出来事を一緒に体験する。

 眼に見えない友達を携えて生活している子どもたちに心当たりのない人はいないだろう。眼に見えない友達については、次のように考えるのがよいだろう。

 子どもたちが喜ぶような出来事が起きる際、その友達も立ちあっている。子どもが人生を体験するとき、眼に見えない霊の仲間や魂の仲間も一緒に参加し、もし「分別のある」大人が、子どもがそのような魂の仲間をもっているのを聞きつけると、子どもにそんな仲間は持たないように説教し、その仲間から子どもを引き離すことが子どものためとさえ考えるだろう。

 しかし、そのような大人の説教が子どもの心情をどれほど傷つけることになるか、大人は実際の経験を通してしばしば思い知らされるだろう。その子どもが霊的=魂的な気分に対して敏感であれば、この悲しみは深いものとなる。子どもが病的に衰弱する場合もある。

 このような話は、人間の魂の深い内(精神)の出来事として体験した現実のことなのである。

 (恐らく、過去世と関係があるのだろう。) 

 グリム兄弟が伝えている子どもとひきがえるのメルヘン(童話)には、この体験が直接現れている。(P22-P23)

 (グリム童話を「ヒキガエル」でネット検索すると、以下の話があったが、この話なのだろうか?

カエルの王様
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%AE%E7%8E%8B%E3%81%95%E3%81%BE

 日本のアニメの「ど根性ガエル」もシュタイナーが説くアストラル体の話として考えると、グリム童話のように、子どもの心情を捉えた作品といえなくもない。)

 ☆  ☆  ☆

 現代人は何万回と前世を体験してきたそうである。その体験は、魂のうち深くに残っているそうで、現世での体験が元になって蘇ることがあるそうだ。例えば、旅行していて、なぜだかわからないが、昔に来たような感覚に襲われることがある。そういう場合、過去世が影響している可能性も考えられる。





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Last updated  2014年03月17日 13時34分02秒
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