シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年05月09日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 以前、Y染色体アダム説から、日本が多民族国家であることを紹介した。しかし江戸時代の徳川家による出鱈目日本史と明治期の長州中心の出鱈目日本史によりなぜだか日本は表面上単一民族国家にされている。

 そのせいでどうやらいまでも日本人の感覚は中世期にとどまっているようである。マッカーサーが日本人の精神年齢が低いとか言ったとか言わなかったとかいわれているが、現代でも中世期の権威主義が蔓延っているのをみれば、どうやらマッカーサーでなくても、個人主義の進んだ国の人なら言ったように思われてくる。

 戦国時代が人気なのは、日本人の感覚がいまだ中世の権威主義から派生しているせいではなかろうか?

 しかも、その戦国時代の伝承が出鱈目だから嘘の美学に脚色され、自慰に耽ることになるのではないだろうか?

 つまり戦国時代を出鱈目の大河ドラマの知識などでお茶を濁すから真相がわからなくなる。戦国時代の素因となった差別を隠すから、差別撤廃のために旗を揚げた戦国武将の目的がわからなくなる。

 八切史観によれば、信長の天下統一とは、天上人と地下人の統一という意味であることがわかる。天上人とは、古代中国や大陸から来た唐を中心としたカースト律令制度を持ち込んだ連中で、地下人とは、日本列島に古くから住んでいた原住民で、唐の藤原氏により討伐され、捕虜とされ、奴隷とされ、部落民として差別された民衆であることがわかる。

 だから信長軍の武将たちの出自が曖昧なのである。秀吉や、徳川家により多くの記録が焼かれるか、書き換えられたことがわかる。酷いのは秀吉の出自で、江戸時代に農民に書き換えられたそうで、八切氏によれば、部落民の出だったそうである。それは秀吉(秀長)の父の竹阿弥という名からわかるそうである。

 つまり、天下統一とは、朝廷を打倒し、律令カースト制度を改めることを意味する。だから中世から続く権力者には都合の悪い真相なので、嘘=美化されてしまうわけである。

 それでも、朝廷が何度も信長の御機嫌取りに走ったことは記録として残っているので、それを逆手にとって、信長が朝廷を補佐していた美化に書き換えられているが、それなら、親中国の足利政権の末裔の義昭と仲違いする理由もなくなってしまう。



 信長は身分制度を打破するために、天下統一というシルシにより各土地の地下人たちに蜂(八)起を呼びかけたわけである。だから信長の目的は朝廷の解体だったはずである。そのためにキリシタンとも手を結んだことがわかる。

 天下布武とは、律令カースト制度を武力により打倒しようという呼びかけなのである。それを引き継いだのが、同じ地下人の秀吉である。秀吉は、朝廷を壊すのではなく、中国に帰ってもらうという目的にかえ、唐討ち入りする。しかし、それだと、古くから中国大陸を狙っていたイエズス会が不利になるので、イエズス会は秀吉に火薬と奴隷取引をやめようとしたので、キリシタン追討令を出して、対立してしまい秀吉の構想は宙に浮いた話となる。

 後を継いだ、これまた地下人出の徳川家康は、表向きは仏教徒の松平を継承した体裁となっているが、巧みに出自を歴史書の発行で誤魔化し、公武合体策に出る。つまり、公家と武家の統一である。だから、地下人出の武家を誤魔化し、公家にしてしまう。幕府を公儀と呼ぶのはその一例だろう。

 現代の歴史書の多くが江戸期に書かれているのもそのせいであろう。


 幕末に海外の革命論とつなげたのが長州の連中で、明治帝をロシア帝の代理にしたのはフリーメーソンたちの策略であろう。これは日露戦争の戦費がメーソンから出ていることからもわかる。

 このように八切史観から日本人の精神を考えるとわかりやすく説明できるから不思議である。

 ちなみに現在やっている大河ドラマの軍師なんて職業は当時なかったそうで、それに近いのは軍配役というものらしい。現代で例えると、選挙戦の選挙プランナー、もしくは選挙コンサルタントのような職業で、報酬や戦費などで敵側を勧誘したり、寝返らせたりする職業だと思われる。

 だから、敵側にも味方を送り込んだりする忍、当時はスッパ、ラッパと呼ばれ、いわゆる諜報役と考えればよいだろう。

 実際、黒田官兵衛や竹中半兵衛の伝記を読めば、勧誘や寝返り、謀反の話ばかりが出てくることからもわかるだろう。

 例えば、以下の八切氏の話などは面白い



 今は亡き荒正人先生が、「八切史観は庶民の恨み節だ」とおっしゃった事がある。そう言われればアンラッキーの一語に尽きるみたいに、私は組織機構の末端から迫害され続け、闘争の一生みたいだった。何故にかくも苛められるのかと庶民の立場で、己れ自身に問いかけ続けたのが、これまで誰も試みようともしなかった茨の道への突入というか没頭だったと言うべきだろう。

 「不可思議な国ジャポネ」[日本シェル出版]のカバーにケント歴史学博士[同書の著者]の若かりし頃の写真を使い、「タル・ティング(おも恥ずかしい)」と文句をつけられたが、15世紀から16世紀にかけて日本へ来ていたイエズス派資料を教わり、日本での伝承通俗史と余りに相違しすぎるのに愕いたのが、私の開眼のスタート。つまり、戦国時代から「裏返え史」として解明に入ってしまったのが始まりだった。

 「 同士討ちをせぬよう、馬印とよぶ標識を、遠くからでも判別できるように色分けしていた 」というレポートで、江戸期になっても大名行列の先頭に立っていた馬印にひかれた。

 日本での裏付け資料は史籍雑纂の家伝史料の「黒田文書」に、「馬印が金色に候はば別所同意と存じ候」の一行だけだったが、それを手掛かりに武鑑を調べてゆくと、単一民族ではなく中世期の宗教合戦の時代には、祇とよばれる太平洋沿岸より黒潮で渡来した北条政子系の古平氏の者らは、「赤色」。



 延暦の年号になっての原住民大団結反撃進攻の際に、東北には山金が転がっていたのを叩き延ばし、反射するからと共に同一目印にしたのが始まりで、反仏派は金色を用いたとも判った。

 つまり、彼らが捕虜にされ別所・散所の限定地に収容された奴隷の子孫が、下克上の世となって立身して武将になれた者は、[例えば]秀吉でも金色千成瓢箪である。

 「八切姓の法則」「日本人の血脈」[共に八切氏の著書、日本シェル出版]は、民族カラーの色分けと、独特の、苗字第一字発音の識別重視の選種別を鑑別する方式から、漢字はすべて当字ゆえとローマ字化してみて発見した。

 さて、八切史学、八切史観とよばれる私の考究は20年がかりで本書で終るが、新たに全巻を直接に送金してもらえる後学には、私が集めた文献類をもう入手不能の本ゆえ無料で専門別に戦国、外国と分け参考に供したい。

 というのは、読者名簿を整理処分したら、年賀状をダンボールに十五、六個も貰っていたが、照合すると九割までが図書館での方である。八切史観というのは初めから形が私の頭の中にあったのではなく、禁酒して20年前から次々と考究して展開してきたので、その中の一冊や二冊を読んで感心してもらっては困る。

 18年かけた「野史辞典」を軸にし、続篇の「庶民日本史辞典」の二冊と、「天の日本古代史研究」と本書の四冊を最低資料に揃え、後学は解明を続けてほしいのである。

 ★  ★  ★

 どうも現代に伝わる日本史は浪花節調で美化されすぎの感ありありである。 





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Last updated  2014年05月09日 14時56分59秒
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