シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年05月13日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 憲法が死ぬかもしれない大事なときに、相変わらず漫画バッシングが続いている。どいつもこいつも小器量の持ち主なのか、漫画に目くじらたてる姿は政府の原発推進の責任を回避し、自己保身に走る卑劣さ満載である。

 漫画を読む暇があるなら、現地視察でもすべきだろ、とアホ福島知事にツッコミを入れる真面なマスコミがいないから、出鱈目大河ドラマを流して出鱈目歴史洗脳をする国営放送が幅を利かせているわけである。

 驚くことに、漫画に現を抜かしているアホ暇知事に右に倣えのアホアホ閣僚が盛り沢山だから、この国の政治は真っ暗闇なんである。増税をしておきながら、国家公務員や国会議員の報酬は上げる連中である。

 漫画を読んでいる暇があったら、少しは政治をよくしてもらいたいと多くの国民は思っているはずであるが、この国のアホ総理は、漫画のような感覚で憲法改正にまっしぐらだから、世も末である。

 アホ総理が独断で憲法改正に走っている大切な時期に漫画なんか読んでいる閣僚は失格である。辞職勧告すべきだ!

 一体全体、漫画と国家の根幹の憲法とどちらが大切なんだろうか?

 漫画を批判している暇があるなら、憲法改正を独裁でやるアホ総理をなんとかすべきだろう。外国の世論の方が、心配している始末だから、もうこの国の言論は死んだも同然である。

 もう馬鹿らしくてつきあってられないので、これらの輩は人類を早く辞めるべきであろう。何のために、この世に生まれているのかよく考えるべきであろう。

 はっきりいっておく、この世の真実をみつけるために生まれてくるのだ!



 というわけで、続けて、八切史観を紹介することで、独自に真実をみつけてほしい。

 真実というのは一つではなく、少なくとも人間の数だけあり、非常に複雑なものであるからこそ大切なものなのだ。

 自分でみつけずに、誰彼から与えられるものではない。そういうアホは人間をやめろ!

 ★  ★  ★

ムジュンの形而上学(改変)

 人間なにか一つ位は楽しみがあるものだというが、私は酒はのまず麻雀や競馬もだめ、釣り盆栽なにもない。哀れきわまるやぼてんである。

 ・・よくそれで生きていますね。と初めて逢うひとは必ずいうから、私は人見知りをして近頃は殆ど誰にも逢わない。ぐれている。

 仙人をきどっているわけではないが、ココナッツの実とかピーナッツ類を机の左へおき、サイダーをのみそれをかじって生きている。好きでやっているのではないが仕方がない。

 食事の時間を惜しんでというのではなく、ふつうに食するとバタンキューとすぐ睡くなってしまうからだ。『葉隠』に、武士道とは物狂いなりとあるが、人間誰しも生きるということは同じらしい。ただ利口な人はそういうことを表面に出さないだけで、私のようなバカまるだしの人間が、そうした手の内をさらけだしてしまうだけらしい。

 なのに付き合いが悪いと、よってたかって叱られて、これには泣かされる。泣くといえば先日、何処へでも失禁して歩く連中の始末に困って、苦くない睡眠薬を湯にとかして肴につけてやったら、ぞろぞろ皆が千鳥足になって人目につかぬ所へ消えてしまった。

 そこで分量が多すぎて病院へ連れてゆく前に死んでしまったのかと反省し、「申訳ない」と三日めに家政婦をよんで大掃除をさせていたら、揃って後脚をひっぱり、「ああよく寝られました」といわんばかりに自由猫の連中が欠伸をしながら現れてきた。



 「 通説を批判否定するところに学問がある

 と九大にいた頃の井上正治がいっても、それに「当り前のことだ」とは誰もいわない。

学とは他からの受け売りを覚えこみ、それを己れの教養のごとく錯覚するのではなく、自分で通説を打破する行為だが、ムジュンした話だが、日本では学者もこれを口にしない。

 が、こんなことは四百年前にデカルトが、



 と形而上学の課題を、ここに出したし、また、

 「真実をみきわめ、そして、これを言ったり書くということは、どんなに世俗的には不利益か判りません。何故かと申しますと真実を探求する者は、通説や俗説を守りそれで富や虚名をえ、地位を守る俗物共から、よってたかって蛇蝎視されるからです」

 と賭博の確率論を発表したあとポールロアイヤル修道院に入ったパスカルも、『パンセ(Pensees)』の中でそう述べている。

 つまり学問とは、通説への疑い、真実に対する追求だから、前例とか言い伝えの慣わしで、権力を押さえた輩からの迫害は必然という。そこで、「学問の府は、中世紀より国家政権から圧迫されぬよう配慮され治外法権下におかれ
た」

 と、英国の史家トインビーも書いている。

 ところが日本においては明治に入って、「なにがなんでも西欧に追いつかねば‥‥」というので、思考したり疑ったり、真実は何かと追求する本質には構っておられず、「ただ早く覚えろ、暗記してマスターしろ」と税金を納めるからの反対給付ではなく、義務教育ゆえというのが、勉強ということになった。

 つまり俗説であろうが、通説であろうが、「教科書」通りに頭へつめこむことが可とされ、それに疑義を挟むどころではなかった。

 (新興宗教と同じである。)

 そして明治時代の、末は博士か大臣かといった立身出世コースが、学問なるものと間違えられ、「国家が必要とする官吏養成機関」として大学が設置された。これでは、「真実を追求することこそ、学問だった」のが何処かへ消えてしまった。


 (売春を先導した福沢諭吉のくだらぬ「学問のススメ」などがこの典型)

 そして本当の学問とは「世俗から嫌われ、それは立身栄達とはまったく逆なものである」という観念が日本では宙ぶらりんになった。そこで心配して、「諸君は、痩せたソクラテスになれ」と前東大学長も卒業式に訓辞したのである。

 ★  ★  ★

 ソクラテスの無知の知も、無知を自覚しろという曲解が罷り通るから世も末である。この世では何の価値もない真実だからこそ、あの世では千金の価値があるのである。偉そうに知識(通説)を語りだしたら探求は終わりなんである。





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Last updated  2014年05月14日 10時54分00秒
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