シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2014年05月14日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 脳の話をTVでみたが、相変わらず事後検証で留まっている。例えば、事件の動機を調べなければ、事件の真相がみえてこないように、脳を動かしている実体にまで迫らなければ、高次の働きが掴めない。

 まぁ、そういうわけで、オカルトの話を例のごとくシュタイナーの話で紹介する。

 ★  ★  ★

神経は鏡の働きをする(改変)

 通常の日常生活を営んでいるときには、意識の活動すべてが脳の働きと結びついていると考えるのは全く正しい。

 では一体、意識は脳とどのように結びついているのか?

 通常の(覚醒)意識が全く及ばない魂の深部から、脳のある部分にまず働きかけが行なわれる。霊魂の深部からまず脳の感覚野に働きかけが行われる。覚醒意識下の魂の深部の力が知覚神経に働きかけると、神経が鏡のような働きをするようになる。

 だから、日常生活の中に現れる意識の内容全ては、霊魂の鏡像なのである。

 例えば、鏡の前に立つとき、鏡にうつる像を見ることになるが、日常生活の中で思考、感情、意志を働かせるときも、それとまったく同じなのである。はじめに魂の深層から働きかけが起こり、それから知覚が生じる。



 (霊魂から感覚器に命令が伝わり、感覚器から、フィードバックされる。)

走馬灯(改変)

 死後まもなく、誕生から死に到るまでの生前の体験全てについての広大な記憶像が死者の眼前に拡がる。人生の中で忘れられていた出来事も現れる。しかし、この体験は長くは続かない。

 死後最初に生じるのは生前の記憶像の回顧で、その長さは人により異なるが、大略を述べるなら、この回顧の長さは、生前の眠らずに起きていられた能力に相当する。

 この回顧の次には、別の魂の力が現れてくる。この魂の力は、生前のように、肉体によって妨害されない。さて、しばらくすると(生前に換算すると数日)、死者を取り巻く環境から記憶像が消えていく。(P54-P55)

生前の地上生活を克服するための時間

 生前の走馬灯が消え去った後でも、魂の中に力強く残る執着はいまだ生前の地上生活に関わり続けたいと願う。

 生前に満足させられなかった事柄について、更に死者たちは渇望しながら人生を振り返り続ける。それはしばらく(生前の時間に換算すると数年間)続く。この期間中、死者たちの世界は主として生前過ごしてきた世界と同じである。

 死者たちは、生前決着のつかなかった地上生活での事柄を観る。しかし、死後は肉体を失っているので、渇望を満たす(感覚)器官をもたず、決着をつけることができない。地上でなければ満足が得られないのに、満足が得られない世界にしばらく(数年間も)居続けることではじめて生前の生活から自分で別れを告げることができる。

 この期間の経験の長さについては

 「生前の前世の記憶をもつ3歳ぐらいまでの時間経過は影響せず、また同様に25、26歳以後に過ごした生前の時間経過も影響しない。つまり、4、5歳から20代前半までの生前の時間経過が、死後のこの期間の長さに影響する。」



霊視は意識に左右される(改変)

 現代人も多種多様な機会に、多種多様な形で見霊者になれるが、霊視の内容は常に意識に影響される。ここでいう意識とは、覚醒的というよりもむしろ潜在的な、魂の深部の、思ったように認識したい、という願望のことである。

 例えば、自分の肉体から離れて、或る死者を霊視するとき、そのような願望を反映した意識がその人の霊視全体に影響を及ぼし、意識していないもの全てを見過ごしてしまう。見霊体験が可能になったとき、その人は、死者との関わり合いにおいて望んでいることを認識しようとして、死者の運命に働きかける。

 そして、死者以外の無関心な周囲の霊界は-表現は適切ではないが-無視され、闇のままに葬られる。その人は特定の死者との関わり合いだけを体験する。人間が霊界で何を見るかは、その人の意識次第なのである。

 だから見霊者が霊界の体験を記述するとき、その内容は人によって無限に異なる。それぞれ見たことを正確に述べているとしても、霊魂を肉体から分離した後は、自分の意識に従って観ることしかできないからである。(P85-P86)



人智学の学びかた(改変)

 人智学を学ぶときは、一般の学問を学ぶようなやり方ではなく、自分の中に人智学を生かすように真剣な努力をして学ぶべきである。人智学を理論的に研究し、その内容を単なる概念として受け取ることもできるが、人智学をただそのようなやり方で受け取るだけであってはならない。霊的な血液のようなものにして、自分の中で働かせ、感情も喚起させなければならない。

 人智学が語る言葉に耳を傾けるとき、精神が高まる一方で、他方では人間という存在の深淵を覗かせることを体験する。また、この深淵の中であってさえも、自己を失わないようにすべきである。人智学を正しく理解すれば、その語る内容を、高揚感をもって、また同時に深淵を直視しながら、どこまでも自己を追及し続けるようになる。

 人智学を学び、その概念を自分の中に生かすだけでも、つまり人智学に必要な用語や必要な思考法を身につけるだけでも、地上界に生きる魂を変化させるだろう。これまで何度も述べてきたが、人智学を真剣に研究すること自体が、究極な修行になる。

 さて、人智学を深く学べば、次第に或る特別な事柄が生じる。見霊者になるための修行として学ぶのではなく、通常の学問のように、単なる人智学の概念的な知識を獲得することに努力を重ねるような学びかたでは、恐らく見霊的な体験をすることはないだろう。堂々巡りをして、最終的には見霊者になることを目的とするかもしれないが、遥かに遠い未来の理想となるだろう。

 しかし、たとえそのような学び方でも、人智学を真剣に魂のなかに作用させるなら、魂のなかに、無意識な変化が生じるのに気がつくだろう。魂が本当に変わっていくのである。

 人智学を学べば、必ず人智学が魂の本質的な部分に働きかける。そして魂が変化すれば、これまでとは異なる共感や反感を生じるようになり、魂のなかに新しい光を注ぎ入れるようになる。すると、魂はこれまでよりも確かな自己を感じるようになる。

 このような魂の変化は、生活上のどんな分野にも認められる。人智学はどんな生活分野においても、このような形で影響を与えることができる。不器用な人が人智学を研究すれば、何も特別なことをしなくても、人智学に没頭するだけで、手の先まで器用になる。

 「といっても、非常に不器用な人智学の研究者が現にいるじゃないか。学んでから随分たつのに不器用な人がいくらでもいる。」

 と反論する人が多いだろうが、次のような問いを考えてほしい。

 そのような不器用な人たちは、当人のカルマが求める程度にまで真剣に人智学に打ち込んでいるのか?

 例えば、絵画の技法を或る程度身につけている画家が人智学を学ぶと、上述した光が、これまで学んできた技法の中に流れ込み、これまでよりも容易に色彩をつくり、早く絵画の着想を得るようになる。

 また、特定の問題を研究している学者が人智学を学べば、必要な文献を集めるような、これまでの苦労の種であった経験が克服され、わざわざ図書館へ出かけていって、結局は役に立たなかった数十冊の書物に眼を通すというようなことをせずに、すぐに必要な文献に出会うようになる。

 人智学は人生に直接関わり、霊魂の根本を作り替え、これまで以上に器用に生きていけるような意識活動を魂の中に送り込む。(P146-P148)

 ★  ★  ★

 霊魂を研究しない限りは、何もみえてこない、というわけである。





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Last updated  2014年05月14日 16時56分14秒
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